BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

岡崎藝術座『+51アビアシオン, サンボルハ』

 

近頃は、個別の作品について”のみ”書くことへのモチベーションも時間もほぼ失われており、優先しなければならない課題が他に山積みなのだが、それでも岡崎藝術座の『+51アビアシオン, サンボルハ』については、誰からの依頼もないにもかかわらず書いておかなければならない。以下に書く文章はきっと口当たりの良い甘さをともなうことのないカカオ90%超えのビターな味にならざるをえないし、ここ数年来の作家KY氏との、仲が良いのかどうかさっぱりわからない、いやむしろどちらかといえば数々の困難しか思い浮かばれてこないような奇異な友情関係に、決定的なヒビを入れてしまうかもしれないことへの怖れが、わたしとて無いわけではないのだ。しかし「批評家」の看板を掲げる以上、摩擦や破談や喧嘩別れの可能性は宿命と思って諦めざるをえない。少なくともこの文章が、小劇場ラーメン戦争(©危口統之)にありがちな毀誉褒貶に加担するものにならないことを願う。というか、彼もわたしもいいオトナであるのだから、「褒める/褒められる」とかいう関係は、お年玉を欲しがってやまないあの小さな子供たちに捧げちゃえばそれでいいのだ。

 

『+51アビアシオン, サンボルハ』は大変なリサーチに基いてつくられた作品で、壮大なスケールを感じさせるものになっている。まずこの構想に敬意を表したい。昨夏のワークインプログレスでこの作品の最初の断片に触れた時、わたしは大きな興奮を感じた。しかしながら今回「作品」として出来上がったものを観て、わたしには、この物語が秘めていたはずのポテンシャルを十二分に発揮できているとは思えないのだった。それは肩透かしと言ってもよいくらいの落胆だった。テクストには確かに移民たちの壮大な物語が書き込まれてはいる…………。だが、プロレタリア演劇活動ののちに亡命し、「メキシコ演劇の父」と呼ばれるに至った佐野碩のエピソードと、消費者金融「プロミス」の創始者にしてペルーの神内先駆者センターの創設者でもある神内良一のエピソードと、それから神里雄大自身の沖縄やペルーを渡っていくエピソードと……これらがいったいどのように絡み合っているのか、わたしにはよくわからない。いや、もちろんわたしは「わかりやすいもの」なんて求めていない。そんなものを、今さら岡崎藝術座に求めにいくわけはないのである。だが、混沌以上の何かがこの舞台にあるのだろうか?

 

わたしには、単なる知識や情報の拡張を超えた、新しいビジョンを感じることができなかった。もしかすると、このテクスト(戯曲)だけを「読書」として読めば、読者の想像力が未知の世界へと跳躍していくこともありえたのかもしれない。しかし上演ではそれは感じられなかった。テクストの読者ではなく、演劇の観客であるわたしは、ひたすら流れていく言葉の群れを、やや拷問のようにも感じながら時を過ごした。「演出家」はどこに消えてしまったのか……? 「劇作家」の恫喝に怯えて逃げ出してしまったのではないか、とすら思えたのだった。

 

しばしば繰り出されるダジャレが英語翻訳では伝わらないとかいう些細なことはもちろん、俳優がほとんど動かないという事実も、わたしにとっては大した問題には思えない。一歩も動かなくたって演劇はできるだろう。問題は、観客がみずからの力でイメージを立ち上げる契機がほとんど皆無であるということだ。それこそが演出家の仕事だろうとわたしは考えるのだが、この作品は一方的なプレゼンテーションに終始してしまっているように感じた。もちろんそこで語られる話の大部分は、現代日本に生きる人々がほとんど知らない情報であり、貴重なのだが、「ちょっとした知識の拡張」をもたらすだけでは意味がないのではないか。命や人生を賭けた移民たちに対して、また神里自身のおそらくはとても大事な私的物語に対して、それでいいのか、と感じてしまう。余計なお世話かもしれない。もちろん、面白可笑しく脚色して語ればいいということでは全然ない。そんなことをしたらただよくできた物語として消費されるだけで、それこそすべてが台無しだ。だが、演出家には言いたい。「隙間」は必要ではないか? 観客が、そこに入り込むための。

 

モノローグというスタイルが必ずしも悪いとは思わない。例えばマンハイムで観た、えんえん後半の1時間半くらいを作家みずからが舞台に現れて毒舌を吐きつづけるというAngelica Lidellの『Todo el cielo sobre la tierra (El síndrome de Wendy)』は強烈な「観客との対話」であった。あるいは日本でも(わたしはまだ数作しか拝見できていないが)わっしょいハウスのモノローグは、観客の脳裏に「架空の町」のイメージを立ち上げることに成功していると思う。

 

岡崎藝術座の作品は、これまでもしばしば「特異な(idiosyncratic)」という形容詞をもって語られてきた。それは彼らの作品が、《得体の知れないもの》に時として触れるからだろう。わたしもまた、《得体の知れないもの》への好奇心を持つ者のひとりである。そして、そのような未知の世界への扉を開いてくれる作家が、そんなにいるわけではない、ということも知っている。しかし、才能があればいつでもそこにたどり着けるわけもない。真にそこに触れるためには、丁寧な努力とアプローチを、作り手が、そしてもしかしたら観客も、ひたすら続けていくほかない。その意味では、ある種の「ぶっきらぼうさ」は岡崎芸術座の魅力のひとつだが、両刃の剣でもある。

 

別の演出家を入れる手もあるだろう。それは不思議なことではない。すでにこの作品において演出家と劇作家が分裂しようとしていることは、当日パンフからも明らかなのだから。あるいは時間と距離を置いてまたあらためてこのテクストを上演するかしてほしい、と願っている。もしかするとツアーで旅をしていくあいだに、何か変わっていく余地もあるのかもしれない。ともかく、この作品が持っているスケールは、今の日本人に、あるいはもはや日本という枠組みに留まらずにものを考えようとしている人たちにとって、とても大事なものだと思う。こうした言葉は失礼に当たるかもしれないが、正直、もったいない、と感じてしまった。

 

もちろんこんな、ひとりの観客による提案を聞き入れる必要はないのである。作家という人種が、おそろしく我が儘であるということをわたしはそれなりに知っているし、それをどうこうしようとも思わない。少しくらい我が儘でなければやっていけない職種ではあるのだろう。しかしそうは言ってもひとつハッキリしているのは、演劇はひとりでつくる芸術ではないということだ。誰か他に、ひとりの優秀なドラマトゥルクが入るだけでもずいぶん状況は違ったものになっただろう。だが、わたしがそれをやりたいわけではないし、岡崎芸術座からの依頼は(あったとしても)金輪際お断りしたい。というのは、わたしは純粋に観客としてまた批評家として、彼らが追い求める《得体の知れないもの》と対峙し続けたいからである。

 

演劇という芸術は、観客との対話をいつも狙っている、とわたしは思う。時にそれは作家側からの啓蒙的な提示になることもあるが、逆に観客からの逆襲を食らうこともある。とにかく対話だ。客席で居眠りしていれば俳優にバレるというくらいの距離で、すでに対話が始まっているのである。その対話は言葉を使うとはかぎらない。だからこそ演劇に関わる人々は、人間の身体や声に魅了され続けているのである。

 

演劇は不思議な芸術であり、しばしば定義されながら、打ち壊され、更新され、また形を変えていく。だがそこには今やそれなりの「演劇史」と称される蓄積があり、ずいぶん厄介だ。だがその多層性が魅力的でもある。あの「メキシコ演劇の父」なる人物が、「だが演劇はどうした?!」と凄んでみせる時、それは彼が演劇というひとつのジャンルに固執しているようにも見えながら、いっぽうでは、文字通り命と人生を賭けて海を渡り、ついには祖国の土を忘れさせてしまった、あの悪魔のような演劇に対して、最後の信仰告白をしているようにも見えるのである。そうした断末魔の呪いのような叫びを、過去の化石として片付けることは、数十年後の現代に生きる日本人にとっては容易いことだ。また逆に、あたかも歴史を継承したかのような、従順な孫の顔をしておじいちゃんの機嫌をとってみせることも、いとも簡単なことなのである。しかしおそらく『+51アビアシオン, サンボルハ』は、そのどちらをも、つまりはいっさいの安易な道を、拒否しようとしている。失敗と隣合わせの、イバラの道だ。わたしはそのチャレンジ精神を強く支持したいと思っている。

 

 

 

 

 

【追記】

☓ カレー戦争 → ◯ ラーメン戦争

に訂正しました。「スープ★★★、麺のコシ★★……」というふうに細かい差異を比較できるラーメンに比べて、カレーはそのような比較ができない。というのが、演劇クエストのトークで危口統之さんが語ってくれた話でした。