BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20140107 知らない町で飲もうシリーズ・蒲田編

 

体調がだいぶ戻ったので、A嬢とS監督との新年会に。

 

最近は馬車道武蔵小山と少し変わった場所で2人と飲んでいたのもあって、またどこか知らない町に行ってみたいね、などと相談しているうちに、そういえばこないだ蒲田在住の某女優さんを撮影したらかなりディープな町っぽかった、というS監督の証言があり、満場一致で今回の目的地は蒲田に決定。

 

得意分野の異なる3人(小説、映画、演劇)が、ただなんとなく飲むというだけでわたしとしては十分楽しいのだが、とはいえ「知らない町で飲もうシリーズ」として回を重ねていけば何か見えてくるかもしれないと思い、いつもの日記とは少し異なるスタイルで試しに書いてみます。

 

 

さて。

 

集合場所はJR蒲田駅西口の大衆酒場・鳥万。A嬢がこの店を予約してくれたのだが、名前も電話番号も聞かれずにただ「どうぞ」と言って電話を切られたそうで、「さすが蒲田だね(偏見)」などと蒲田を知りもしないくせに3人で言い合っていた。ともあれ仮にも予約をしている以上、世の一般的な慣習にならえば「3名で予約した者ですけど」と言って入るのが自然かと思いそのようにしたわけです。すると入口にいた貫禄のある老女は、見ての通りどこでも空いてるから別に好きに座ればいいでしょう的なことをつぶやいた、ように聞こえた……。彼女の語り口、声質、語彙、イントネーションは、わたしがこれまで日常的に使用してきた日本語の範疇を逸脱するかなり魅力的な要素を多分に含んでおり、精確に聴き取ることは難しかったのだけれども、おそらくはそんな意味のようなことを彼女は言ったはずだ、とわたしは理解した。だが老女のその言葉とは裏腹に、店はなかなかに繁盛し混雑していて1階には到底座れそうにない。それならば2階に行きなさいと(たぶん)言われたので2階にあがったらそこも全然空いてないから上に行ってとまた別の人に命じられ、さらに3階(3階もあるのだ)にあがったら「え、下は空いてなかったの?、ここは(宴会で)うるさいよ」とやさしいおばさまが言ってくださって2階の人と交渉してくれて、その2階の担当のおばさまも「しょうがないわねえ、こっちだって忙しいのよ」とかなんとかブツブツ言いながらもテーブル席を用意してくれた。あのう、いちおう予約したんですけど……と苦笑いしながらも、こうしたやりとりにも不愉快な感じは不思議となくて、むしろさっぱり清々しい気持ちになる。それはきっと我々が「これが蒲田基準だろう」という偏見にもとづく寛容さをもってこのたらい回しを楽しんでいたからでもあるし、そもそもこの店や町にも実際にそうした鷹揚な雰囲気があるからなのだろう。

 

しばらくは焼鳥やくじら刺しや野菜炒めなどをつまみつつ、わたしはビールから熱燗に移行して、A嬢とS監督は梅しそ風味のバイスサワーを飲んでいる。梅しそか……。

 

話題はというと特にテーマとかないのでいつものごとく適当なのだが、今回のきっかけとなった蒲田在住の某女優さんがいかに素敵かという話や、カメラマンのピントを合わせる技術とテクノロジーの発展についてとか、手書きと(PCではなく!)ワープロ書きの作家さんのこととか、岸田國士戯曲賞芥川賞の動向、さらにはA嬢のお母さんの不思議ちゃん語録エトセトラについて話しているうちに、「今年の抱負は?」という、まあこの時節柄当然といえば当然の話題に流れた。するとA嬢が「私は10個の抱負を決めました!」と得意げに言うので、それはいくらなんでも欲張りすぎではないかと冷静な意見を加えると、「じゃあ〈欲張らない〉を11番目の抱負にします」とのこと。なるほど。

 

鳥万のメニューは多様であった。黄色い卵に赤いケチャップを載せただけの何の変哲もないオムライスが大好物なので注文して食べていると、「今度は蒲田名物の羽根つき餃子を食べにいきましょう」とA嬢が言う。そうね、そのうちまた今度ね、と思っていると「早くオムライス食べてください」と急かされる。え、まさか?、と思って聞き返すと、どうやら今これからさらに餃子を食べにハシゴしようという算段らしい。マジか。欲張りだなあ。君はもうすでにあの11番目の抱負を忘れてしまったのか……?

 

とはいえわたしもS監督も「せっかく蒲田に来たのだから」とすっかりプチ観光気分になっていたから内心は乗り気で、行こう行こうというノリになり、鳥万のお会計を済ませて(3人で5000円台、安……!)京急蒲田駅近くまでてくてく歩いて、大連系の中華料理店・金春(コンパル)本店で羽根つき餃子と豆苗炒めを食べたのだった。満腹、満足。しかし金春本店はなかなかにシビアな経営方針を採用しており、23時の閉店時間になると「お持ち帰りできますよ」という有無を言わせない(主導権が完全に店側にあることを示す)日本語によって強制終了でお皿を下げられた。ちーん。A嬢は「あっちのテーブルにはまだお皿が残っているのになんで私たちだけ先に……」と少々食い下がっていたが、まあ郷に入れば郷に従えということで、この日は解散することに。

 

2人をJRの駅に送り届けたあと、京急の駅までまた歩いて戻りながら、ほろ酔い気分になってつい蒲田行進曲の口笛なぞ吹いてしまったのを客引きのあんちゃんに聞かれて気恥ずかしい思い。こんなお膝元でな。

 

 

 

 

東京には20年以上住んだけど、蒲田に来るのはたぶん初めて。少なくとも記憶にはない。「東京」とひとくちに言っても実は広大で様々に個性的な町がひしめいている。一様ではない。実際に知らなかった町を訪れてみると、そこに生きる人たちと大なり小なり何らかの遭遇を果たすことになるし、そこから脳内のイメージや地図が更新されていく。一気に認知できるエリアがひろがる。もちろん一度訪ねただけでは深く掘り下げることは不可能だが、それでも、0回と1回の差はあまりにも大きい。この感覚は、芸術や思想に関する知識を吸収する際にもやはりあると思う。たとえそれが最初は軽薄な知識の断片にすぎないとしても、それを浮標(ブイ)として広大な海に投げておくだけで、想像できる幅は大きくひろがるのだ。

 

実は約束の時刻よりも少し早めに着いたので、ひとりで京急蒲田駅からJR蒲田駅までの界隈をぶらりと散策してみたのだった。ここからはそれについて書くけども、文章もいよいよ長くてそろそろ飽きる頃だろうし、実際、wikipediaで付け焼き刃的に仕入れた賢しらな知識を再編集しただけだったりもする。

 

 

まず京急の駅前は再開発のために工事中で、数年前までの風景を見ることは叶わなかった。それでも蒲田名物らしい立ち飲み屋はちらほら散見されるし、アーケード付きの商店街も残っていて、今ではやや珍しいVHSのビデオショップも何軒かあって渋い町並みを形成している。飲食店の価格表を見ると相場は概ね安い。

 

そのアーケードを西に抜けて大通りに出ると、やがて巨大なJRの駅ビルがどーんと見えてくる。2008年に駅ビルの改築に合わせてリニューアルオープンしたというその「グランデュオ蒲田」の6階にあった有隣堂で、何冊か本を買った。

 

ちなみにJR蒲田駅東口前は、映画『蒲田行進曲』の舞台となった松竹キネマ蒲田撮影所がかつて存在していた場所でもある。1923年の関東大震災後で壊滅的な被害を受けた後も同撮影所は復旧されたが、ついに1936年1月に閉鎖され大船に機能移転したのは、「町工場の騒音の多い蒲田では撮影に支障をきたすように」なったからだとwikipediaには書いてある。実際には他にも様々な経営上の理由があったのかもしれない。

 

また1969年11月16日には、当時の佐藤栄作首相による70年安保協議に向けた訪米を阻止しようとするデモ隊と機動隊がこの東口で衝突している。火炎瓶や催涙弾でこの辺り一帯は火の海となり、ここだけで1600人を超える逮捕者を出したらしい。ちなみに渦中の人(いやすでに忘れ去られつつあるかもしれない)前東京都知事猪瀬直樹もまた、信州大学全共闘議長として部隊を率いて上京し、この阻止闘争に参加していた。この闘争はしかし決定的な敗北をきたし、新左翼運動にとって大きなダメージとなったようだ。

 

11月16日から始まった武闘派の実力闘争は、数百人ずつに分かれて蒲田駅に到着した部隊がその都度機動隊に個別撃破されるという形になり、羽田闘争等の過去の闘争と比べても完全な敗北に終わった。佐藤首相の訪米は予定通り行われた。(wikipedia「佐藤首相訪米阻止闘争」の項目より) 

 

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そう思うとこの辺りは、関東大震災、太平洋戦争(1945年4月15日の城南京浜大空襲で蒲田は焦土になっている)、70年安保闘争と、3度にわたって壊滅的な被害を受けていることになる。

 

 

……現在の蒲田の話に戻ろう。鳥万のあるJR蒲田駅西口はというと、地下鉄サリン事件高橋克也が漫画喫茶で逮捕された場所としても記憶に新しい。駅前から斜めに何本かの道が出ていて、長いアーケード付きの商店街が2本並列して走っている。さらにその横の道は東急多摩川線の線路脇になっていて、年季の入ったスナックや居酒屋や大衆食堂が並んでいて、なかなか渋い佇まい。西口駅前には「グランドキャバレー」なるものがあって「●千円ポッキリ」とか書いてあるし(連続テレビ小説梅ちゃん先生』に登場するキャバレーのモデルにもなっている老舗らしい)、路地に入ると腰の曲がった老婆がひとりで店番して干物などを売っている店もあり、さらには玄人感を漂わせる難易度の高そうな立ち飲み屋もあった。ご多分に漏れず再開発の波がここにも押し寄せる中にあって、古いものが点々とかろうじて残ってはいて、20世紀のこの場所にあったのかもしれない「別の蒲田」を想像させる。

 

 

ちなみに蒲田はかつては梅が名物で、「梅屋敷」という駅名にもなっているほか、大田区の「区の花」も梅だし、『梅ちゃん先生』の主人公・梅子もたぶんそこに由来する名前なのだろう(観てないけども……)。もともとは10世紀にこの土地の豪族・蒲田杵太郎貞武が平家の娘と結婚した際に、その娘の名が梅姫といったのを祝って、梅を植えたのがそのはじまりだという。

 

梅が始祖……梅しそ……と考えるとあの店にバイスサワーが置いてあったのも頷けるし、それを注文したA嬢とS監督はまこと慧眼というほかない。おあとがよろしいようで。

 

 

 

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