20130715 『シンポジウム』3日目
この日の消耗ぶりは凄まじかった。終わってみんなで中華街に行って、麻婆豆腐や紹興酒を楽しみ、最後は疲労と酔いとで寝ちゃったけども、そこから別れてひとりになっていつもの温泉銭湯へ流れて、湯舟に沈んでつかれをとる。
批評が欲しいな、と切実に願う。出なかったら自分で何か書くだろうけど、やっぱり他人の言葉が欲しい。
この日、3回目はドサ健事件(↓下記引用参照)があり、2日目までとは全く違うことになった。結果的には、これまででいちばんクリティカルな回になったとは思う。露悪的なことをやりたいわけではない。ただ、かなり際どいところまで行ってしまった。
嘘のない状態やヴァルネラビリティを発露することと、いわゆる「露悪系」は全く異なるのだが、見た目がかなり近いので、多くの場合誤解を招く、ということはこれまでの様々な観劇体験からわかっている。そうならないために、ある不可能な状況からそれでも何かを探し続けること。「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」のだとしても。
語りたいことは山ほどあるし、いったん書いたけど、とりあえず下書きフォルダに入れてもう少し寝かせておきます(そのままお蔵入りになるかも)。4日目以降もお待ちしています。たぶん3日目とはずいぶん違うものになるでしょう。でもこの日の収穫は実は凄く大きかったと感じているので、ここで得たもの、見えてきたものは手放さずに置いておきたい。
ほんと、これが終わったら、しばらく青春18切符とかで彷徨いたいな。愛について。知らない町の場末の呑み屋の片隅でぼんやり考えたい。
「博打は、もうやめだ」と私はいった。
「何故?」
「博打で生きていくってのは、大変なことあんだなァ。明日から小市民になろう」
私は本当に、そのときそう思っていた。
「殴られて、痛かったから?」
「いや。——ママご免よ。俺たち財閥のお坊ちゃんなんぞじゃない」
「そりゃそうでしょうよ。財閥の坊ちゃん方が二人揃ってトイレに立ったり、ジョニイなんかと殴りっこするもんですか」
「じゃ、あの3ピン打ちのとき、肩を押えてくれたのは?」
「さァね、忘れたわ」
私は、相棒にした健のことを逐一しゃべった。
「奴は人間じゃない。いや、奴ばかりじゃなくて、この世界のバイニンは誰も彼も化け物みたいだ。博打で生きていくには、俺もあんなふうにならなくちゃいけないのかと思ったら、もういやになった」
「そりゃあんた次第じゃないの」と彼女はいった。「博打で生きてくのって、案外やさしいわよ」
「どんなふうに?」
「もし、誰かに所属する気ならね」
「——ここはどこ?」
「三原橋よ」