BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20130411 遡行

 

この日記は実は毎日ちゃんと書いているわけではなくて、何日かに一度、記憶を遡ってまとめて書いているのであって、例えばこれは4月14日(日)の16時半、桜木町のぴおシティの「花壇」という純喫茶で、窓の向こうに立ち飲みの「石松」を眺めつつ書いている。この日記では、ツイッター的なインスタントな時間感覚から距離をとって、あるタイムラグを孕みつつ書いていくことにしたいので、日付はいちおう飛ばさない、というルールをしばらくは続けてみたい。

 

 

さて、この日は横浜駅でまたもや岡田さんにバッタリ会って、思わず2人で爆笑してしまった。なんの星周りか、ちょっと異常なくらいよくお会いしますね。そういえば岡田利規『遡行』の感想をお伝えしていなかったので、ひとまずここに(かなり私的なものを含んだ感想を)少し書くと、「現在地」からだんだん過去に遡るというこのやり方によって、次第に、岡田さんの言葉と思考の純度があがっていくのがスリリングだと思った。透徹された思考が浮かびあがってくる頃には、様々なものが蓄積しているのである(だからあの本は順番どおりに頭から読むのがいいと思う)。

 

これは個人的なことになるけれども、わたしにとって、やはり「エクス・ポ」で岡田さんの連載(小説、音楽、映画についての批評を語りおろして文字にするというもの)を担当させていただいたのは大きなことで、あれがなかったら、そしてそこからチェルフィッチュを観ることがなかったら、演劇にここまで興味を抱くことは確実になかっただろうし、下手をすると、編集の仕事に身を入れることもなかったかもしれない。もしもあの時期に岡田さんに出会わなかったら、自分の人生はどうなっていたかな。生きられているかな? と思うくらい。

 

岡田さんはじわじわとその演劇論を発展させてきた。もちろん作品を通して。そのいくつかのターニングポイントに、観客として、あるいはいちおう遠巻きの編集者として、立ち会ってきたのだな、とこの本を読んでいて感じた。つまりこの『遡行』は読んでいるわたしの時間も遡らせることになった。しかしただ過去にリニアに戻るわけではない。ある過去の地点までの幅。またある過去の地点までの幅。そうした幅が幾重にも重なっていくのが面白い。というのは、時間というのはどうしても、過去から未来の方向に向かって流れていくベクトルがあるので、遡行しようとすると、その流れに逆らう抵抗力をつねに感じながら行くことになるのである。ここに、厚みが出る。(編集の梅山くんはほんとにいい仕事したと思う……)

 

単純に演劇論としても非常に重要な本だと思うので、ぜひ若い演劇人にこそ読んでほしい。別に岡田さんの考えに同調する必要はないと思うけど、きっといろんな発見や刺激があるはずだから。

 

遡行 ---変形していくための演劇論

遡行 ---変形していくための演劇論

 

 

さて岡田さんにさよならを言った後、怪現象が起こる。iPhoneがフリーズして、数分間、すべての連絡先データが一端消えた。すぐに復旧したけれど、これが何か、この日の困難を予兆していたようにも思う。

 

 

人と待ち合わせてカプカプへ。地域作業所カプカプは今日もマイペースで、わたしは持ち込んだノートPCで仕事をしたり、お喋りしたり、卓球(!)をしたりして過ごした。これは謎の卓球だった。メンバーそれぞれが各自のリズムやルールにのっとってプレイしている。いわゆるラリーは成立していない、ようでいて、何かしらのものが成立している。一見無秩序にも見えるけれども、不思議な調和が生まれているのだ。いかにもカプカプらしい卓球だった。

 

C君が、月曜と金曜はカプカプ竹山のほうでもバイトしているというので、今度いってみようかと思う、リニューアルしたみたいだし。

 

凄い雨が降ってきたけれども、いつの間にか晴れた。気持ちのいい天気。四季の森公園をビール片手に散歩して中山駅から帰る。

 

そして野毛で飲んでいる時にトラブルが起きた。こういう時、簡単に謝ったりしないで、交渉の姿勢を崩さないことが大事だとわたしは思っていて、というのは、謝るほうが確かにラクだし、それでその場はしのげるかもしれないけども、結果的には後腐れを生んでしまって相手にも良くなかったりするし。誠実である、ということと、ただ謝る、ということはきっと別ものだと思う。それに、きちんと交渉することで、自分も含めて当事者たちが冷静になり、視界がクリアになり、よりよい解決策を協力して見出すことも可能になるかもしれないから。