デュッセルドルフ滞在記2-10
10日目、土曜日。昨日お会いした元駐妻の方にばったりトラムで会う。こういうサイズ感もきっとデュッセルドルフならではなのかな。
トラムを降りると手を振って近づいてくる人がいる。「ENGEKI QUEST」のドイツ語への翻訳をお願いするかもしれない人。その瞬間に「あ、この人にお願いしよう」と思った。話してみてその直感は確信に変わった。よろしくお願いします。彼は16歳で日本を飛び出てから世界各地を転々としている。いい友だちになれそうだと思う。デュッセルはなんとなく恋の気配が漂う町なんだよね、と話すと、「ちからさんもどっぷり浸かってみたらいいんじゃないですか」と。うーん、そうねえ……。創作期間中はそういう気分にならないのよね正味の話。そもそも、通りすぎていくalienに過ぎないというね……(またきっと来るとはいえ)。
彼にお願いして、インマーマン近くにある日本人キャバクラ(ガールズバー?)の料金を一緒に調べに行く。おそらく飲み物代に場所代が含まれているシステム。でも実際は女の子におごったりしてそこそこの値段になるやつかな? どうかな?(……というわけで一緒に行ってくれる人、募集中です★)
Kagayaでサバの塩焼き定食をいただいた後、駅裏エリアを歩いてキーフェルン通りへ。フリマやライブなど、家族連れで楽しめるフェスが開催されている。実はmiuさんからあるミッションを授かっていた。「この通りの顔役である2人のアーティストを探してみて。おいらの名前を言えばわかると思うよ」。でもmiuさんそれはちょっとハードル高いっす。せめて誰か知り合いがいればなあ……。とりあえずアルトビール2杯分くらい呑むあいだに誰か例えばヴォルフガングとか通りがかったりしないかな、と期待してみたが、昨夜のロングウォーキングの疲れもあり、1杯呑んだだけで猛烈な眠気に襲われる。こらあかん。体調のキープは異国での滞在で不可欠なので、ここは名誉ある撤退を……。
家で1時間ほど眠って復活。Uバーンでホルトハウゼンの次の駅へ。アトリエKunst im Hafen e.Vでいくつかの美術作品を拝見する。マスヤマさんの不思議な球体、木村恒介さんの魅力的なコラージュ写真など。面白いなあ。そしていろんな人が集まっている。マリエ嬢の作品は初めどこに展示されているかわからず、迷路のようなアトリエ内を探索し、ようやくたどりついた。それは彼女にとっての「自由」を物象化したらこうなるのかもな、と思えるものだった。
ビールやワインをいただきながら、しみじみ話したり、音を鳴らして騒いだり……。サトシ君が実はかなり名うてのゲーマーだったという事実はここに記しておこう。すごくいい夜だった。新しい出会い、そして嬉しい再会。深夜1時過ぎまで宴は続いた。
デュッセルドルフ滞在記2-9
9日目、金曜日。忘れがたい日になった。痛み止めのジェル。日本人駐在妻の「白壁症候群」の話。日曜日のサッカーのチケット購入。突然の訃報とキレピッチュ……。ハイネ・ハインリヒ・アレーのアル中たち。WELTKUNSTZIMMERのトイレに閉じ込められる。結果、ビールを奢ってもらう。さらに再会したヴォルフガングにビールを奢ってもらう。彼との夜の長いウォーキング&トーキング。ゲリラ的な映写。日本人はあのことを忘れようとしているのか、いや、忘れることはできないのです。バーベキューの後、「気をつけて!」と見送ってくれるヴォルフガング。「金をくれ」とせびってくる中央駅の若い女。深夜2時。防御力+1程度の帽子を目深に被る。右手をポケットに入れて歩く。反省。まだ死にたくない。素晴らしい夜の最後に反省。肝に銘じたい。
『Urban Space Video Walk 2016』の上映場所メモ
1.北京の話@工場の外壁
2.暗黒舞踏@空き地
3.クィアの物語@パブの中
4.ポケモンGO@公園
5.声と字幕@大企業ビルの外壁
6.家の歴史@空き家の中、白い壁
ビルの壁はたぶんゲリラだった。「別に壁に傷をつけるわけではないからね。ただ光を当てるだけさ。いいアイデアだろう?」
デュッセルドルフ滞在記2-8
8日目、木曜日。寝違えた。首が痛い。しかしようやくこれにて、時差を気にする生活ともサヨナラできそう。
今日は今いるあたりの近所を攻めてみる。再開発された遊歩道を歩いていると、「シューディグン!」と子どもに声をかけられる。ボールを拾ってくれという。で、ふと横を見ると、ある記念碑が。独英両言語で書いてある。ナチス時代のできごとについて。子どもたちは無邪気に遊んでいる。そしてまた遠くにボールを飛ばしてしまい、途方に暮れている。微笑ましい。
Sバーン、バス、トラムを乗り継いで、デュッセルドルフの周縁(の一角)を巡ってみる。市街地を少し離れるだけで景色が変わる。でもただ移動するだけではあまり意味がない。どうやったら物語が降りてくるのだろう。そういうタイミングや場所があるはず。
疲れ果ててTENTENカフェに。リモナーデ(レモネード)を呑む。隣の席ではタンデムのカップルが(タンデムというのは、お互いの言語について2人で教え合う行為)。このカフェはタンデムのスポットになっている。うまくいってる場合と、うまくいってない場合というのが、傍目にもわかる。隣のカップルは、そのどうしようもないディスコミュニケーションを楽しんでいるように見えた。
「私は社長です。私は会社員です。それはわかります。でも、私は営業です、って変な日本語じゃないですか?」
「……うん、鋭いね。えっと……」
夜はタンツハウス(tanzhaus)のシーズンオープニング。パフォーマーがみな全裸だった。ついでに言うと、2人ほどの観客も全裸だった(tanzhaus的にもこの演目についてはOKということにしたらしい。ただしそのまま電車には乗らないでください、と)。日本だと全裸はアウトなので……という話をFFTのクリストフにしたら、「それはどうしてだい?」と訊かれる。久しぶりに会ったクリストフの背の高さに驚く。でけえなあ。2メートルくらいあるんじゃないかなあ。観劇後はヴォリンガー広場から歩いて帰ったのだが、薄暗い道で、治安面ではそれなりに不安。大男とすれ違うたびに身構えてしまう。襲われたらひとたまりもないけど、最初の一撃さえしのげればなんとか逃げられるかな、とか考えながら。夜のデュッセルは別の顔になる。とはいえ酒場の明かりはまだ灯っていて、男たちが黙々と、ビールをその孤独な身体に注ぎ込んでいる。
デュッセルドルフ滞在記2-7
7日目、水曜日。ようやく朝の8時まで眠れた。5時くらいに起きてしまう老人のような生活にこれでオサラバできるといいんだけど……。後はもうただ、デュッセルドルフの太陽が昇って沈むことだけを考えたい。(お約束している劇評を含め、書き仕事はやりますよ。)
今日は、とりあえず無目的に、目の前に来たトラムに乗ってみる、という行為を繰り返してみた。トラムは蛇のように都市の中をするすると這っていく。意外なところに繋がるたびに、脳内地図にある都市のノード(結節点)が書き換わっていく。「聖地」に巡礼した後、適当に歩いていくと、飾り窓に着いた。おじさんが口笛を吹きながら、そこから出てきた。
偶然と直感に身を任せるのは楽しい。けれど一方では、全体の設計も練らなくてはいけない。デュッセルドルフの各エリアごとに、これまで集めた情報を整理してみる。去年撮り貯めた写真も見ながら、記憶を再度、具現化していく。情報量がまだ全然足りてないなこれは……と思った。とはいえここから欲しいのは、デュッセルドルフの観光案内的な情報ではなくて、もっと私的な、個人的な情報。またの名を物語ともいう。物語が欲しい。とにかく遊歩を繰り返してみようと思う。それでばったり誰かに会えるといいな。
ちなみに、ある日系レストランで夕飯を食べたのだが、働いている女の人が極めてカリカリしていて、新人とおぼしき人を何度も何度も叱っていた。こういう人はきっと「自分は仕事できる人間だ、なのにこいつは……」と自己認識しているのだが、目の前でそんなことをされればラーメンが不味くなるに決まっていて、だから客商売としてはむしろ失格である。悔い改めていただきたい。というか、日本から遠く離れたここデュッセルドルフまで来て、幸せを目減りさせるようなことをどうしてしなければならないのか?
でも、そうなってしまう人がいる、という現実も、やはり都市は呑み込んでいるのだと思う。ここも当然、理想郷ではない。LIEBE DEINE STADT(あなたの町を愛しなさい)。
かなり迷ったが、これもかりそめの根を下ろすためのひとつの儀式だと思い、ジャガイモ2.5kgを買って帰宅した。ジャガイモには3種類あった。後でわかったのだが、わたしは「煮崩れしにくい」という中間のやつを選んだようだった。常時ネットに接続できれば、その場で調べられるんだけど……。でも数日前に比べれば、ドイツ語表記に対する恐怖心(?)もだいぶ消えてきたのを感じる。どうしても必要な場合は誰かに訊けばいい、という楽観的な身体もできてきた。町の人たちがふとしたことで話しかけてくる確率もだいぶ高いし。今日はおばあさんが「今何時?」と訊いてきた。彼女は腕時計をしていたが、どうもそれが狂っているようだった。
帰宅すると、家主である若き写真家がいた。「面白い場所を知ってたらぜひ教えてね」とお願いすると、「面白い、ってどういう場所ですか?」と質問。うーん、そうねえ……
そこに立ってみた時に、違和感を抱くような場所。何かが起こるような場所。
風通しがよい場所。もしくは逆に、吹き溜まっているような場所。
……デュッセルドルフでの滞在制作は楽しい。けれど締切があるわけだから、時限爆弾を抱えているようなものだし、何も心配がないわけではない。最初の話に戻るけれど、ただデュッセルドルフの太陽の恵みだけを考えられればどんなに幸せかと思う。実は風邪をひきそうなのがちょっと心配。だから生姜も買ってきた。お茶に入れて眠る。
デュッセルドルフ滞在記2-6
6日目、火曜日。引っ越しをする。陽当たりの良かったあきこさんの家を去るのは寂しいけれど、たぶんここから「次」が始まるのだろう。今度の家主は若い写真家。なんと子供鉅人の益山兄と同郷らしい。ヌードを撮っているとのこと。作品を見せてもらった。彼はアジア各地を放浪し、様々な人々のヌードを撮っていた。今は笑い話になっているとはいえ、やや危ない目にも遭ってきたようだ。そうして今はここデュッセルドルフに拠点を置いて、ヨーロッパの人たちのヌードを撮っている。とても面白い。彼の佇まいはなんだかふわっとしていて、脱いでください、と言われたら脱いでしまうのもわかる気がする。
夜はMiki Yui & Carl Stoneのコンサート。様々な音をサンプリングしているのだが、そのボキャブラリーが豊かで、ただ心地良いのみならず、イメージを膨らませることもできた。去年も使われていたホノルルの時報がやはり気になる……。そして会場ではいろいろな人たちに出会う。ドイツ語が話せないのが申し訳なくもあるけれど、英語でいろいろ喋りたい気分でもあり、しばらくおしゃべりをして過ごす。いくつかの約束もした。とりあえず流れに乗って、どこにたどり着くか試してみたい。
昼はENGEKI QUESTのリサーチをしていた。Flingernの近く、フルール通りのあたりをメインに。男の子が立ち止まって微笑んでいる。影の長さをわたしのそれと合わせているのだ。かわいいなー。自転車でぐるぐると同じところを走り回っている2人組の女の子とか。
西日を正面に受けながら、ビルケン通りを歩いていく。この都市にはなんとなく物語が生まれる気配が漂っていて、それは、外からやってきた人たちの存在がそうさせているのではないかと思う。人間にはおそらく引力がある。離れたり、近づいたり。ちょうど大道寺梨乃が、イタリアでの生活で感じる「ノスタルジー」について書いている文章を読んだ。ああ、りのと話したかったな(イタリアに行くのはひとまず断念した……)。単に故郷が懐かしい、ということではきっとないのだろう。いろんな人の複雑な感情や履歴が交錯する。それが都市であり、町である。今の家主の写真家は、部屋をアトリエにしているのだが、その壁には、モデルとしてやってきた人たちが絵を描いている。絵は、積み重なっている。それが町だと思うんです、と彼は言った。
今回のENGEKI QUESTはいつも以上に虚実入り混じったものになると思う。物語が現実と溶け合うような状態を、この都市では実現できる気がする。
デュッセルドルフ滞在記2-5
5日目、月曜日。残念ながら早朝に目覚める。日本はもう昼頃だ、とか考えてしまうのがきっとよくないのだろう。去年ここに来て、編集の仕事をもう断念せざるをえないだろうと感じたのも、煎じ詰めればこの時差ボケに起因する。旅と物書きは両立できるけど、旅と編集仕事を両立させるのはとてもむずかしい。
ラーメン匠に並んでいたら「英語は話せるか?」と白人系のおじさんに話しかけられる。旅行者らしい。「あっちのラーメンと寿司はすでに試したが、こっちは良いか?」「良いと思う。ただしそれは1年前の話です。なぜなら……」などと話していると、店員に「お二人様ですか?」と訊かれて、なんだか吹き出してしまう。「ええ、今知り合ったばかりですが」。
「ニュースダイジェスト」の高橋萌さんがインタビューしてくださった。なんと3時間半超え……。自分がこれまでどんな人たちと出会ってきたか、何を大事にしてきたか、自分が考える芸術の意義、そしてそれらがENGEKI QUESTとどう関係しているのか。そんな話をした。(ポケモンGOとの共通点と違いについても話した。きっとそういう話もしたほうがよいと思って、用意していた。しかしそれ以上に根源的な話をたくさんできてよかった……。)
萌さんがデュッセルドルフに暮らすことになった経緯もすごく興味深い。人が移動する時、そこには物語が生まれるということだろう。ある日本人駐在員の妻の話。足を失ったドイツ人アスリートの話。多和田葉子さんの話。……この世界はそれぞれの見える世界=ヴィジョンによって成り立っている。
ENGEKI QUESTは個々人のヴィジョンと身体感覚を引き出し、そこに刺激を与えることによって、その未知の可能性をひらいていく。それはおそらく、人間の鬱屈を解き放ち、暴力を解除することにも繋がるだろう。わたしはそう信じる。暴力では、暴力を根絶することはできない。
マニラでは究極的にはたぶん雨が、孤独な人々を結びつけた。ここデュッセルドルフでは何がそれを可能にするだろう?
デュッセルドルフ滞在記2-4
4日目、日曜日。もちろん早朝に目覚める。イタリアにいる梨乃のアドバイスに従って、パスタにリベンジ。ニンニクとタマネギをちゃんと炒めただけで、だいぶいい感じになった。
あきこさんに導かれて、初の自転車。たぶん海外で自転車に乗るのは初めてだと思う。自動車やトラムのいる車道を走るのはけっこう怖い。けれどドイツでは歩道を走ると罰金40ユーロらしい。乗ってみてよかった。なるほど、町の見え方が全然違ってくる。
オープンアトリエKunstpunkteで、Soya Arakawaさんのパフォーマンスを観る。ドアが開け放たれ、外の雑音が入ってきまくりのホワイトキューブの中で、カンヴァスに絵の具で線が何度も何度も引かれていく。さらに、こねられた粘土の断片がすりつけられ、奇妙な歌声が響く。ふだん批評家としては、過度に自分のイマジネーションに引き寄せるのはNGだと考えているのだが、今のわたしはちょっと違うモードになっている。このカンヴァスはデュッセルドルフの地図であり、そこに引かれる無数の線は、この都市を行き交う人々の姿に見える。
会場で、デュッセルの呑みソウルメイト(とわたしが勝手に思っている)マリエ嬢に偶然再会した。醸造所シューマッハで地図を見ながらいろいろ話す。彼女は去年よりもさらに自由になったようであった。けれど、異国での暮らしで自由であるということは、傍目に見えるほどにはラクではないだろう。とはいえ人間はそんなに自分の生き方を選べるものでもない。とにかく彼女は次々とコップを空にしていく。アルトビールが五臓六腑に染み渡る。
デュッセルドルフ滞在記2-3
3日目、土曜日。相変わらず早朝に目覚める。アルトシュタットの醸造所シュルッセルにMさんを案内する。彼女とこうして長く話すのは初めて。海外でたまたま居合わせたから仲良くなる、というケースはやっぱりある。
土曜日のアルトシュタットは、いろんな人種の人々でごったがえしている。なんか変だな、と思ったら、トラムがほぼ地下化されてしまったのだった。安全になったとはいえ、あのカーブを描いて入ってくる路線がなくなったのは残念……。
tanzmesseのクロージングパーティは断念。今はこの都市での生活の足場をつくることに専念したい。そう思って、スーパーマーケットでトマトソースを買って帰宅。パスタを茹でたのだが、ありえない味になった……。
デュッセルドルフ滞在記2-2
2日目、金曜日。早朝に目覚める。tanzmesse(ダンスの見本市)に山口真樹子さんがいるらしいので、ライン川沿いをてくてく歩いて訊ねる。2014年に彼女にマンハイムに呼んでもらわなかったら、今自分がここにいることはたぶんなかった。
tanzmesseには世界各地から人が集まり、ブースがたくさん出ている。日本からはTPAMと国際交流基金が出展。ヒロミン、タン・フクエン、チョイ・カファイらとも少しだけ話す。旅人・カファイから進行中のプロジェクトの話を聞いて、いい刺激をもらった。どんな刺激を受けたかについては今ここには書かない。
アルトシュタットまで歩いて、定期券を購入。52.95ユーロ。やったね。これでトラムもバスも乗り放題に。カフェTENTENで少し作業してから、醸造所シューマッハまで歩いていく。すると聞き覚えのある声に遭遇。火曜日のコンサートにお誘いいただく。去年の滞在から、何かがゆるやかに繋がっている。
デュッセルドルフ滞在記2-1
初日、木曜日。例によって、2度目の都市を訪れる時はナーバスだ。特に今回はいくつかの要因が重なっている。日本から持ってきた仕事のこととか。まだ全然デュッセルドルフ版のテクストを書けてないとか。そもそもこの遠く離れた都市で何ができるのか、とか。この1年でヨーロッパの情勢も大きく変わった。どちらかというとその変化は芳しいものではなく、ENGEKI QUESTにとっては難問でもある。挑戦し甲斐がある、みたいな簡単な言葉で済ますこともできないような。
けれど飛行機から、緑あふれるドイツの大地を見て、気持ちが昂ぶった。アジアのそれとは異なるヨーロッパの森であり、田園だった。この土地で生きてきた人たちのこと、その歴史、そして今も人々を生きさせている、この大地の力強さを感じる。
Sバーンに乗ると、見慣れた風景。去年、この都市を歩きまわった記憶がまざまざと蘇ってきた。懐かしい……。ヨーロッパを訪れてこんなファミリアな気持ちが湧いたのは初めてのことだ。中央駅でトラムに乗り換えて、あきこさんの家へ。お久しぶりのような、そうでもないような不思議な気分。おかえり、と言ってもらえるのが嬉しい。
疲労困憊ではあったけれど、アルトビールが呑みたい。miuさんに無理を言って、少し散歩してから近くのバーへ。この1年のお互いの変化について話す。ある男の子との出会いについてmiuさんは語ってくれた。もしや、と思って苗字を訊いてみたら、やはりそれは、足の長い男の子のことだった。
中国・近況報告その5
「私の働いているスペースに遊びに来ればいい」とダミンが誘ってくれたのだが、その場所は、なんと訪問予定に入っていたPSA(Power Station of Art)だった。午前中は、マッサージ店という名の売春街か、ナイトマーケット跡地、あるいは朝市に向かうつもりだったけど、せっかくなのでダミンと話したいなと思い、ひと足先に地下鉄でPSAに向かうことに。最寄り駅に着いてみると、遠くからPSAの異様な煙突が見える。元は発電所だった建物が、今は美術館になっているのだ。社食をご馳走になり、中国のこと、日本のこと、未来のことなどをダミンと話す。午後には他のメンバーも合流。PSAが去年から始めた演劇ブランド「聚裂 ReActor」というプログラムについて聞く。そこにラインナップされた作品は極めて実験的で興味深いもので、特に組合嬲というカンパニーの観客への挑発ぶりは凄い。多田淳之介のラディカルさを思わせる。
中国・近況報告その4
上海、ヤバイ! 意識を高揚させられる何かがこの都市にはある。今日の上海話劇中心でのレクチャーはライブ中継もしてもらったのだが、延べ60000人超、最大瞬間風速は4000ビューを超えたらしい。さすが中国……。詰めかけてくれて立ち見まで出た5、60人の観客たちの反応も身近に感じた。
中国・近況報告その3
タンユエン・リー(藤原力)として活動して5日目、ついに上海に辿り着いた。しかしネットの調子が最悪で仕事にならない。この日記もいつアップできるかわからない。意気消沈。とはいえ、逆境を楽しむことにかけてはわたしもそれなりに定評がある。
中国・近況報告その2
今回の滞在は自由時間がほとんどない。タクシーを使い、言葉もほぼ全部通訳してもらって……とシンシンたちにアテンドされるがままになっている。マニラの友人たちがこんな受動的なわたしを見たら驚くだろう。しかし今回は批評家モードに集中せざるをえない。今は、朝から晩まで人と会って話している。
中国・近況報告
北京滞在も3日目が終わろうとしている。徳永京子さんと共に、日本の現代演劇の状況を伝え、また同時に中国の演劇状況について知るための仕事で来ている。遣唐使や遣隋使も、こういう感覚だったのかもしれない。滞在しているホテルはネット環境があまりよろしくなく、そもそも日本で流通しているSNSも(抜け道を使わないかぎり)見られないので、現在の日本の状況からは著しく乖離している。2年目の北京訪問だからこその困難も感じている。ただ、初日にヒアリングをした中間劇場の王林さんの毒舌話が刺激的だったこともあり、調子は悪くない。