BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

マニラ13日目

 

水曜日。朝、アイリーンの娘と旦那さんがJKの家にやってくる。娘さんはややコギャルっぽい美少女で、JKに言わせると「ヤンキー」とのことだが、別に悪い子ではなさそう(ただし、気は強そう)。娘と旦那さんはこれからプロヴィンス(田舎)に休暇に行くらしい。アイリーンには明日インタビューさせてねと約束をとりつける。

 

武田君と石神さんは、悪名高き日米市街戦の舞台となったイントラムロスのツアーへと向かったが、わたしはケソンシティに残ることに。空港に、ケティング菜々、羽鳥嘉郎、筒井潤の3氏が到着したというので、頃合いを見計らってYuj Innに迎えにいき、タクシーに同乗してヴァルガス美術館まで案内する。

 


YENYEN DE SARAPENの『Birthday Party Bonanza for a Mascot』。マスコットの誕生日を祝うパーティという体裁で、昨日のパフォーマンスよりも参加型の色彩が強い。羽鳥君がいきなりマスコットのキスの餌食になっていてちょっと可哀想だった。たぶんYENYENなりに歓待の意を示したのだろうけれども。

 

何度か書いてきたように、KARNABALの客席には安全地帯はない。それはおそらく、フィリピンの一般的な演劇文化がそうだ、という話ではないのだと思う。JKやサラは保守的な演劇やアートをすでに体験し学習していて(たとえばJKは商業演劇の仕事もしているし、サラは世界のアート史をエリート高校で教えている)、そんな彼らが「観る/観られる」という既存の関係から脱出し、あえて選びとっているオルタナティブな方策に思える。

 

というのもこのKARNABALは「Performance and Social Innovation」をスローガンに掲げていて、要するにただパフォーマンス演目を並べるだけのフェスティバルではない、と宣言しているようなものだった。もちろん、フィリピン人の南国気質が、こうした参加型・祝祭型にフィットする、ということはあるのかもしれない。……このあたりは、フィリピンの文化事情に詳しい人にのちのち話を聞いてみたい。

 

KARNABALは3年計画の1年目だという。これからどのような広がりを見せていくのか? すでに枠組みが完成しているわけではない未知数のフェスティバルにこうして国境を越えて参加して、一緒に育てていくことができるということに、やり甲斐を感じる。

 


さて、続いてはTERESA BARROZOの『This Too Shall Past』。1人ずつ目隠しをされて手を引かれ、「音」を聴いていく、インスタレーション的な作品。町の音、人々の会話、政治的なニュース、薄いカーテン越しでの誰かとの会話、そして最後は外の環境音(このラストシーンでは、好きなだけ聴いていていい)。視覚を遮断して聴覚を研ぎ澄ませるという手法自体はシンプルで直球とも言えるけれども、「聴く」ことを通して世界を「見る」というテレサの手つきがよく現れている感じがして、深く感銘を受けた(8日目の日記に書いたテレサの話を参照)。

 


美術館を出て、しばらく歩く。YENYENのバースデーパーティでもらった風船を、UPの広い空に飛ばしてみる。あっという間に風船は点になって見えなくなる。

 

例によって「韓国人か?」と訊いてきたタクシーの運転手は、その問いかけにもかかわらず親日派であった。というか、友だちや親戚が日本で働いている、というケースは非常に多い。この運転手の場合も、いとこが日本で建設業に従事しているという。

 


パペットミュゼオにて、Everything is Everywhereによる『3 ROUNDS 3 LIES』。アメリカ人のIra Gamerman、Siobhan O’Loughlin、オーストラリア人のJessica Bellamy、David Finniganの4人による混成チーム。ラウンドごとに2対2に別れて対決し、指名された観客がどちらかに票を投じる。オーストラリアVSアメリカ、男VS女、カソリックVSユダヤ教の3ラウンド。さらにボーナスステージとして、ドミトリーでの共同生活中に最も多くマスターベーションをした者を、JKがマスターベーションダンス(?)で祝福するという、パーティっぽいパフォーマンスだった。

 

例によってネイティブの早口の英語を理解するのは難しかったが、シヴォーンが我々にも聞き取りやすいように喋ってくれたし、構造自体は理解しやすいので、十二分に楽しめたと思う。宗教観に触れるのはタブーではないのか、とちょっと心配しつつも……。ちなみにマスターベーション第1位を獲得したのはジェシカだったが、彼女の鷹揚な身体性は実に魅力的だった。

 


終演後、武田君とMaginhawaストリートで食堂を探したが、開演時間が大幅に押したこともあってすでに夜の24時近く……。唯一、屋台のハンバーガーショップがまだ開いている。こんな真夜中に、たぶんまだ20歳に満たないくらいの少女ひとりで営業していて、心細くないのだろうか? 24時を過ぎ、店を閉める時には男性が手伝いに来たけれども。

 

さてしかし、今夜はまだ終わらない。2人でタクシーを拾ってSipat Lawin Ensembleのスタジオへ。といっても行き先の告げ方がわからないので、ネパQマートまで行ってもらって、そこからは徒歩で。Qマート周辺は、屋台はまだ営業しているものの、路上で寝ている人も多く、夜はやや不気味であった。昨日行った、川沿いの集落のことを考える。彼らはもう寝静まっているんだろうか。彼らにはまったく失礼な話だが、なんとなく、昼間は穏やかだけれども、夜になると狼人間が徘徊する村、というイメージを思い浮かべてしまった。いったいどんな夜を過ごしているんだろう?

 


Victor Villarealの『LAMAY』。Lamayとはフィリピンのお通夜のようなもので、死者を棺に入れて悼む風習だという。会場に行ってみると、何人かが沈んだ面持ちで、とはいえ日本のように様式ばった感じはなく、それぞれの過ごし方をしている。小さな祭壇には瓶が飾られ、中にはコックローチの死体が入れられている。作家であるヴィクトール本人もそこにいた。JKによるとヴィクトールさんはもう疲れ果ててしまって創作活動をやめるそうで、これはつまり彼のアーティストとしての死を悼んでいるのだという。そういう「設定」なのではなく、本当にやめるらしい……。そう思うと厳粛な気持ちになる。創作活動をやめるということ。乞局のことを思い出す。下西さんは元気でやっているんだろうか。演劇をやめて、幸せになったんだろうか?

 


Lamayは朝まで続くらしい。サラとジェロ君は疲れたのか、仲睦まじそうに椅子で眠っている。みんな連日大忙しで、疲れ果てているに違いない。しかしタクシーに分乗して、JKハウスの近くにあるJJというレストランに向かうと、みんな息を吹き返したようにがつがつ食べている。たくましい。

 

その場でレッドホースを呑みながらYENYENにインタビューを行った。彼女は実に複雑な物語の持ち主だったが、夢の話が特に印象的だった。実はマニラでは『演劇クエスト』を日本と同じ形で行うことはまず無理だろうと思うに至った。では、地図を持たない人々の見ている世界にどのようにアプローチできるのか? もしかするとこの都市での『ENGEKI QUEST』は、誰かの夢の中をさまようものになるのかもしれない。YENYENの物語を通して、マニラの「見えない水脈」に触れられそうな予感がした。

 

 

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