BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20140311 3年

 

この日はニュースサイトでもやはり「3.11」がらみの記事が多く、それを無意識に避けようとしている自分を感じた。それは別に記事にするのが悪いとかでは全然なく、ただ、自分自身の身体の中に、あの時に感じたダメージが未だに(どう回収していいかわからない状態で)残っているということを表しているのだろう。とはいえわたしはあの日、当時住んでいた新高円寺の自宅にいたし、当面の食糧や水にそこまで深刻な不安を抱くこともなく、テレビのニュースを見守りながら、ある意味では呑気に他人を心配していられる立場でもあった。もっと悲惨な状況を体験した人もいるだろうし、とはいえ、そうした諸体験のあいだに優劣をつけたくもない。

 

3年前の3月11日からしばらくのあいだの、ネットでの人心の荒廃ぶりが特にキツかった。流言飛語も凄かったし、攻撃的な言辞も目立った。それまでさんざん聞かされたり資料で目にしていたような、戦争や災害時の人間の心の動きというものが、とうとう自分の身体にもかなりの実感をともなって降りてきた……。

 

いっぽうで、あの後しばらくの、居酒屋でのおじさんたちの意気消沈ぶりを見て、もしかしたらこの国は、この一種の廃墟から生まれ変わることができるのかもしれないと、淡い期待を持ったりもしたのだった。新しい人たちが、未来をつくっていくのではないか……。震災から数日後に荻窪でひらいた飲み会には、計画停電や余震のリスクがあったにも関わらず、たくさんの人たちが集まってくれた。彼らは「とにかく人と話したい」と痛切に願っていたのだと思う。わたし自身もそうだった。そして実際、わたし(たち)には、話すことがあったのだ。その深刻さにグラデーションはあるとしても、「同じ体験」を共有したことで、これからはきっとなんでも語り合うことができる、などと、浅はかにも信じたのである。

 

だがそれは淡い夢だった。「取り戻す」を合い言葉に自民党政権が亡霊のように復活し、「アベノミクス」という甘い言葉を、経済界はもちろん、多くの日本人は受け入れた。居酒屋のおじさんたちも再びその傲岸さを取り戻した。隣人たちとの関係は(国家レベルでは)悪くなった。いったい国家はなんのためにあるのだろう? 他者に対する寛容や共有よりも、むしろ不寛容と排斥が進行した。それぞれの傷は、見えない領域に押し込められてしまった。実際、傷を顕わにすることは、耐え難い苦痛をともなう。見えないほうがいいのかもしれない。だけど本当に、本当に、それはそうなのか?

 

 

少し前の日記に、演劇は「暴力」を解除することができるはずだ、と書いたけれども、演劇を通しての世直しというのは本当に可能だとわたしは思っている。それはしかし暴力や破壊をともなったテロリズム的な革命ではなく、再生と創造による非暴力の革命なのだ。

 

それはただの理想主義ではない。理想主義的な革命家気取りほど危ういものはない、ということもまた歴史が証明している。それでも演劇には期待してもいいと思っている。演劇の良いところは、具体的な場所で、具体的な人々によって、具体的な身体や物質を伴って現れるということである。目の前にいる人々とのあいだに生じる確かな手応えは、まさしく(理想というか夢をともなった)現実主義と呼んでいいものではないか。

 

しかも演劇は、遠くに飛んでいく力も持っている。

 

 

この文章は、演劇センターFを立ち上げるにあたっての、わたしなりの極私的なマニフェストと捉えてもらっても構わない。市原くんをはじめ他のメンバーと直接これを文書で共有しているわけではないし、むしろ差異はあったほうがいいと思うけども、大事な核となる部分は共有できているのだろうと感じてはいる。ただし、もしもある種の宣言というものが、その強さによって様々な可能性を排除してしまうのだとしたら、そこで消してしまった可能性に対しても想いを馳せたいとは思っている。

 

異なる意見を持つ人々とも話をしてみたい。文脈を共有していない人たちとも。いろんな方法や回路を通して、対話をはじめてみたい。