BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20140111 3人の快活な観客について

 

井土ヶ谷に去年できた「宿るや商店」で美味しいナポリタンを食べた。今年はまだ一度も(蒲田を例外として)東京に行ってない。できるだけご近所を堪能したいと思っている。

 

というわけでご近所でもあるblanClassの「新年ベネフィットパフォーマンスパーティ」へ。18時過ぎに到着すると、サロンルームにはすでに美味しそうな料理が並んでいる。ナポリタンですでに満腹だったので後でいただくことにして、ひとまずギネスを注文した。ここのオーナーである小林晴夫さん以外には面識のある人もいないので、当日パンフやチラシを読みながら黙々とビールを飲んでいた。今無理に話さなくてもきっと後で話せるという妙な安心感もあった(そして実際にそうなった)。今年はこういうアウェイな機会が増えるだろう。変な話、演劇関連の場では知り合いが誰もいないという状況は滅多にないので、この「馴染まない」時間をむしろ楽しみたいと思った。

 

19時過ぎにパフォーマンスがはじまった。

 

1)最初は坂本悠 『some/one (お正月バージョン)』。メトロノームの音が鳴り、会場内の「少し過去」の映像が壁面に薄ぼんやりと映し出される。反復されループされるその音と映像によって、いったい今がどの時間・状態なのかよく分からなくなる。個人的には、ここに言葉を足したり、作為的な人物(役者?)を投入したくなってしまうけども。

 

2)続いてのヤング荘(津山勇/北風総貴)『夢は今もめぐりて(仮)』は一種の悪ふざけ。まず年賀状が配られ、その後は短い映像作品を。2人が半裸になって馬に変身し、静止画像を組み合わせることで「馬が走っている」かのように見せるという……。観ていた子供が「ひどい」とひと言。たぶん褒め言葉でしょう。

 

3)河口遥『一人の男に三人の妻』。うっかりして別室にいて見逃したので(ごめんなさい)あとでご本人に実演してもらった。コップとお茶を用いたささやかな試みによってある種の交換や解体を発生させるパフォーマンスであり、この日最も衝撃を受けるものだった。ちょっとエロい(バタイユ的な意味でのエロティシズムがある)。ちなみに彼女は22:00画廊をムサビの近くで運営している。

 

4)最後は中村達哉ソロダンス『うろうろする。』。あの空間に佇むだけでも観客の注目を喚起する力があり、ダンサーって凄い人種だなとあらためて思う。どうやら何かしらのルールにもとづいて踊っていたらしい。沈黙がとても心地よかった。ただし思ったほどには「うろうろ」しなかったという印象もあり、それはコンテンポラリーダンスの文法の中に留まっている感じがしたからだと思う。そこから離れていくのはなかなか難しいのだろうけども、個人的にはそうした文法から逸脱・氾濫するようなものを観てみたい。

  

 

パフォーマンス全体の印象としては、いずれも「作品」として完成されているというよりは実験的であり、完成度や強度という点からすると「物足りない」という言い方もできてしまうと思う。もちろんある作品を完成に近づけていくそのギリギリの状況において、初めて召喚されてくる得体の知れないものもあるだろうから、「実験」の名の下にそうした詰めの作業が放棄されてしまう危険性もなきにしもあらず。だけど、「作品」として確定していることに安心した観客が、ああ良かった面白かったと「確認」して「感動」して「通り過ぎていく」というあのお決まりの消費=観劇パターンよりも、この夜のように、実験的精神が作り手と観客のあいだで共有され、時にはそこから何かしらのコミュニケーションが発生していくかもしれない(そしてそれはかなりの確率で起こる)というこのblanClassの環境はたいへん貴重なものに思える。チラシにも記載されていた「言語がなければ生きていけない。」と題された文章の中で、blanClassの小林晴夫さんが「友だち以上、作品未満」と呼んでいるのはきっとこうした状況のことを指しているのだと思う。

 

(…)いつしかblanClassは、さまざまな世代のアーティストたちが、作品未満の「考え」を試してみる場になった。

 そんな状態のことを指して「友だち以上、作品未満」と言ったことがある。半ば冗談のつもりもあったが、後になってうまいこと言ったなと一人で喜んだ。「友だち以上」というのがいい。「友だち」では馴れ合いのようだし、「友だち以下」では取りつく島もない。「作品未満」の問題を抱えて、お互いに「友だち以上」の関係を探っていく。必要なのは、いくらかの条件とちょっとした約束だけ。それがblanClassの目指すところだといっても過言ではない。

  

 

この日は眞島竜男さんも後からいらして相当ごつい話(?)をさせていただいたし、二十二会の遠藤麻衣さんとも初めてお話ししたり(クレバーで愛らしい方という印象)、あるいは、わたしも出演していた東京デスロックの『シンポジウム』を観てくださったというとある方ともかなり多岐にわたる話ができたりして、結局23時半くらいまでblanClassにお邪魔していた。作品を観てハイさようならというのも嫌いではないけども、飲み食いしながらこうやってお喋りができる環境は貴重だし、これからますます希少なものになりそう。

 

F/Tディレクター交替の話もしばしば話題にのぼったけども、まさにこうした「成熟した観客たち」が言葉を交わし合える環境をひろげていこうとしたのが、相馬千秋ディレクションのF/Tだったとも思う。あの事件は演劇界内部のお家事情で済む話ではなくて、芸術と言葉・環境をめぐる大きな問題なのだと、この日は思った。

 

市村作知雄氏がどのような事情で新ディレクターを引き受けたのかは分からないが、今後はどんどん公の場で新しいフェスティバルの像について発言していってほしいし、今後関わっていく若い人たちも様々な場で(自分の言葉で)語ってほしい。想定されうる最悪の事態は、お役所的な古い感性の人間が運営し、広告代理店にそそのかされてただ派手さと観客動員ばかりが追い求められ、若者たちはただボランティア(志願兵)として使い捨てられるという状況であり、決してそうはならないと信じたいが、しかしながら、おそらく今後のフェスティバルとまったく無縁ではないであろうオリンピックの組織委員長に、あの「神の国」発言で知られる元首相が就任したという悪夢みたいなニュースを聞くと、そうした最悪の事態もただの妄想では済まないのかもしれない。

 

日本(の芸術)はどこに向かうのだろうか。

 

 

blanClassでレクチャーを開講している美術批評家の杉田敦は、著書『ナノ・ソート』(2008年)の冒頭に置いた「世界に沈黙する危険と、世界に言及する危険」と題した文章の中で、オクウィ・エンヴィゾーがディレクションした2002年のドクメンタ11について詳細な批判を加えながらも、その会場でよく見かけ、ドクメンタの5色のカラー・バーをデザインしたお揃いのトートバッグ(実は彼女たちの手作りであることがのちに判明する)を肩にかけた、ある3人の快活な観客たちについて次のように書いている。

 

 あのときの光景が忘れられない。彼女たちは、フェリーが着くと、そそくさと近くの駐車場に消えていった。近郊の町からやってきたのだろうか。決してアートと関連のある立場にいるとは思えない彼女たちが、決して観やすいとは言えないオクウィのドクメンタを、最大限に楽しんでいることが驚きだった。もちろん、楽しむといっても、バッグを作ったり作品を眺めたりするだけではない。会場のあちこちで、彼女たちが、熱心に作品を覗き込んでいる姿を何度も目にした。彼女たちは、凝視め、考え、そして楽しんでいた。彼女たちの姿勢は、表現されたものと対面する人間のひとつの理想を指し示していたような気がしてならない。難解だと敬遠すること。おそらくそこには、怠慢と傲慢さが関係している。本当にそれは難解で遠ざけなくてはならないものなのか。トートバッグを肩にかけた彼女たちが特別で、彼女たちの示した反応は奇跡的なことなのか。おそらくそんなことはないはずだ。誰もが、アートを介して、それを呼吸し、楽しみ、悩むことができるはずなのだ。そのために必要なことは、諦めて放棄しようとしているものに向かって、少しだけ手を伸ばしてみるようなことでよいはずだ。

  

 

ちなみにblanClassはもともとはBゼミと呼ばれた、美術史的には伝説的な場所でもある。そのあたりの経緯については、「マグカル」での山城大督との対談インタビューが詳しい。人や場所には蓄積していくものがあって、それはけっして一朝一夕に簡単に生まれるものではない。何かを育んでいくには時間がかかる。だけど壊すのは一瞬で済む。