BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20130806 寛容について

 

8月6日の朝は毎年厳粛な気持ちになるけれども、そのわりには8月9日は軽視されすぎのようにも思うし、そう考えていくと、大事な日というものをずいぶん見落としているのではないかとも思えてくる。もちろんすべてを覚えていられないといえばそうだが、いや、しかし本当にそうなのかしら。忘れてしまう前にまず何もかも知らなすぎよね、と思う今日この頃。脳味噌の使っていない部分が知識や情報に飢えている。

 

「mauleaf」の校了直前なので、粛々と仕事をしつつ、並行して原稿も書く。関内南口のモスバーガーの2Fで作業をしていたら、東北訛りの老人たちの一団がやってきて、図々しくも女の子がひとりで座っていた席の隣によっこらしょと腰掛けて「相席ね」とか言って傍若無人な振る舞いを見せていたのだが(ちなみにそんなことをしなくても人数分空いている席は他にあった)、風のように去り、結局その女の子に「ごめんねーありがとねー」とか言っているのを見るとむしろ微笑ましかった。まあ別に相席くらいしたっていいじゃないか、そのほうが人生面白いのだし、という気分になった。ちなみにその女の子は「あ、だいじょぶです」とかわいい声で微笑み返したのだけど、その時になって初めてその子の声を聴いたわけで、あの東北訛りの老人の一団が来なければけっしてその子の声を聴くことはなかっただろうな、とも思った。というか柿﨑さんに会いたいなあ。

 

なんとなく自転車で三吉橋の銭湯へ。おばちゃんが相変わらず愛想がいい。そのあと今日こそフライ屋にチャレンジ、と思ったけどまたガタイのいいあんちゃんたちがいたのでビビってしまって入れなかった。いちおう荒川区育ちなのでヤンキー文化にはそれなりに慣れてはいるつもりだけど、ちょっとここの店が放っている雰囲気は半端ないと思う。まあ、いつか……いつかね。

 

いつものファミレスで作業。深夜に高校生男子4人組がやってきて、しかも近くに座ったから、うへえ、という感じで、他に禁煙席の客はといえばひとりで何か作業をしている若い女性だけだったから、もっと他に席があるだろう、と思いつつ、帰りたくなったけど、わたしが帰ったらフロアはこの高校生どもとあの女の子だけになるわけで、それはあの女の子にとってはあまり好ましい状況ではないかもしれない、などと勝手に思ってしまい、可能なかぎりふんばろう、などと謎の正義感を発揮しつつイヤホンを耳にねじ込んで耐えていたのだが、いつものママは、さすが、その高校生にも平然と介入していって、最初高校生たちは、何あのおばさん(の慣れ慣れしい口調)、みたいに嗤っていたのだが、いつのまにか、合宿先の相談などして慕うようになっていて、不思議なことに、そうなるとそれまで発していた高校生男子4人組にいかにもありがちなホモソーシャルなイヤな感じのノリ、は失せて、なんとなく彼らもそれなりには静かになり、というか、周囲の空間と馴染むようになり、いったいこの現象はなんのスタンドを使ったんですかママさん……みたいな気持ちになった。なんて寛容な人なのか。

 

大江健三郎の師匠の、ラブレー研究者の渡辺一夫が「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」という文章を書いていて、ずいぶん若い時分に読んだので細かい内容は忘れてしまったのだが、要するにこれは「不寛容にはなるべきではない」と言っているのであって、彼特有の「ユマニスト」としての精神を説いたものである(そしてそれは大江に影響を与えているはずだ)。最近、この文章のことを朧気に思い返すことがよくあって、まあ端的に言えば、できるだけ寛容でありたいですね、と思っているのだが、実際には、様々な価値を認めようとする寛容さは、多くの場合、何らかの強い価値観を盲信する人の攻撃をむしろ受けやすくなるし、それに対して反撃しない、と決めるのは精神的にはたいそうつらいことなのだ。それはそれでイヤな気持ちになるにしても、攻撃に対しては反撃をしたほうが、カタルシスも得られるし、自分の身を守ることだってできるだろう……。いや本当にそうだろうか? そこで「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」を思い出すのである。この本で書かれていたのは確か、不寛容な攻撃をしてしまうと、結果的にそれは身を滅ぼす、というようなものだった。(うろ覚え)