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BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

About The Dairy of Woman In A Port(港の女日記について)

 
新シリーズ『港の女』の滞在制作にあたって、その日記をひとまず英語で書くことにしました。必要なことはそのうち日本語で書くと思います。
 
· This diary is a record of long-term artist-in-residence of "Woman In A Port". This record will be also a part of the project.
 
· The primary purpose of this diary is for my memorandum. Therefore, some encryptions and fictions may invade here.
 
· This diary will be written irregularly. The past and the future may intersect. So In fact, THIS IS NOT A DIARY.
 

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The Diary of Woman In A Port 6

In Korea, Ansan City, I met some interesting people. For example, Kong Kie came from Macau. At the breakfast of the final morning with him, he introduced his friend Cindy who came from Beijing. We are talking about “art” or something, and will continue this conversation somewhere someday…(Macau? Beijing?)
 

 

https://www.instagram.com/p/BTtdFhPlsG0/

 

https://www.instagram.com/p/BTz2r8OFbf5/

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The Diary of Woman In A Port 5

 

In those days I was moving on UTOPIA which was not anywhere...

 

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初めてのマニラ、カルナバル(2017年版)

 
今年もフィリピン・マニラのケソン・シティ(Quezon City)周辺で、カルナバル(KARNABAL)フェスティバルが開催されます。今年の開催は5月10日〜21日までで、10月にもあるようです。
 
現時点で公表されているプログラムはこちら。
 
 
「演劇最強論-ing」に書いた紹介記事。
 
 
日本から来る人もいそうなので、去年つくったガイダンスをアップデートしたものを以下に記しておきます。
 
 
 
*****事前情報*****
 
【カルナバル・フェスティバルとは?】
「パフォーマンスと社会変革」を標語に掲げるコミュニティアートのフェスティバルです。舞台芸術が中心とはいえ、メディアアートの人もいて、ジャンルはそんなに関係ないかも。作品の上演だけでなく、そのプロセスも大事にされています。このフェスティバルにおける「audience」というのはただ観る人ではなくて、そのプロセスに参加する人々のことを指しています。
 
チケットは「Blank Ticket」制で、上演後に好きな対価を書き込んで支払います。お金じゃなくて別の何かでもOKです。
 
フェスティバルを企画運営するのはSipat Lawin Ensemble(シパット・ラウィン・アンサンブル)。より深く知りたい人は、フェスティバルディレクターのJKアニコチェ、サラ・サラザール、アイサ・ホクソンのインタビューをどうぞ。
 
 
【地理】
カルナバルの中心拠点は、メトロ・マニラにあるケソンシティのTeacher’s Village。ただし今年はスモーキー・マウンテンやスラム街など、様々な場所で上演される予定です。
 
 
【ビザ】
フィリピンは30日までは不要です。パスポートと航空券だけ持ってれば、来れます。
 
 
【空港から】
マニラの空港はぼったくりの巣窟。流しのタクシーは使わないほうがいいでしょう……。日本にいるあいだにuberをダウンロードしておいて、それを使ってドライバーを呼ぶのが懸命です。片道450ペソ(1000円)くらい。深夜や早朝なら車で40分程度の距離ですが、それ以外はフィリピン名物のtraffic(渋滞)があるので1時間半〜2時間半くらいは覚悟しましょう。
 
また、2017年5月6日(土)に、マニラのキアポ(Quiapo)地区で2度にわたる爆発が起き、死傷者も出ています。シーア派のモスクを狙ったテロ事件とも言われていますが、まだ詳細は明らかになっていません。人の多い時間帯であれば、できればキアポ方面を避けて、エドゥサ通りを使ってもらうように運転手に交渉するのが吉かと。
 
 
【両替】
2017年5月現在、10000円=約4,400ペソ。
1000ペソ=2200円くらいで脳内換算するといいと思います。
 
両替はマニラ空港(ターミナル出口、外に出てすぐ左手)の換金率が悪くないです。またフェスティバル会場周辺では、Kalayaan AvenueとMatalino Streetの交差点にあるスーパーマーケット「PURE GOLD」に両替所があります。
 
 
【ホテル】
ケソン・シティのTeacher’s Village周辺にはいくつかホテルが点在しています。安くあげたいならMaginhawa streetにあるゲストハウスYuj Inn。フェスティバルの公式ハブであるFlying Houseで遅くまで呑みたい人は、Matino streetのホテルMaya Residence Innや、Kalayaan AvenueのVerjandel Hotelもいいかと。
 
 
【治安】
空港周辺、マニラシティ、観光客の多いマカティあたりは危険だと思っておいたほうがいいです。昨年、フェスとは別の時期ですが、ある友人の日本人がマカティで睡眠強盗に遭いました(おばちゃんたちにビールを奢られた中に睡眠薬が入っていた)。
 
ケソンシティはそれに比べるとかなり良好ですが、夜道の独り歩きはなるべく避けましょう。ゴルゴ13的な「俺の後ろに立つな」の精神は大事です。背後には気をつけて。歩きスマホはもってのほかです。
 
タクシーも密室なので安全とは言えないです。細かい移動にはトライシクルのほうが安全。
 
パスポートや大金はホテルに置いておくこと。
 
ちなみにスラム街でもコミュニティが生きているような場所であればそこまで危険は感じません。
 
 
 
【持ってくると便利なもの】
暑いです。基本的には半袖・短パン的な格好で。
 
★折りたたみの傘
 必須。どんなに晴れた日でも。
★タオル
 汗拭き用と、排気ガス対策のマスク代わりに。
★うちわ
 エアコンのない場所で重宝します。
★羽織れるもの
 必須。エアコンが効きすぎたカフェやバスで重宝します。
★動きやすい靴
 キレイな道はほぼないです。ハイヒールは自己防衛の上でも論外。
★冷えピタ
 熱い夜を過ごすための貴重アイテム。
正露丸、常備薬
 いざという時のために。
 
 
wi-fi環境】
空港にはあります。
ケソンシティではいくつかのカフェやバーでwi-fiが使えますが、初めてマニラに来る場合は、日本の空港であらかじめレンタルしてくるのがいいかと。
 
 
 
 
*****ケソンシティで一息ついてから*****
 
【情報のやりとり】
Facebookメッセンジャーが普及しています。
プログラムなどの情報もこちらでキャッチアップを。https://www.facebook.com/karnabalfestival/
 
 
【買い物、食事】
コンビニもありますが、サリサリストアというフィリピン独自の個人商店も楽しいです。
 
フェスのメイン会場周辺は閑静な住宅街ですが、目抜き通りのMaginhawa通りにはカフェやレストランが並んでいます。お酒を呑みたい場合はMalingap通りへ。
 
wi-fiの使えるオススメカフェは、MalingapのHillcrest Wellness Cafe、MaginhawaのBo’s Cafe。
 
 
【貨幣】
100ペソ札と20ペソ札をキープしましょう。
 
・1000ペソ札=使用を拒否されがち。隙あらば早めに崩そう。
・500ペソ札=まあまあ使い勝手はよい。
・200ペソ札=滅多に見ない。
・100ペソ札=主役。ほぼどんな時にも対応できるオールマイティ。
・50ペソ札=出番はあまりない。
・20ペソ札=かなり使える。ジプニーでもトライシクルでもどんとこい!
・10ペソコイン=たまに見る程度。
・5ペソコイン=何かと重宝します。
・1ペソコイン=ほっとくと貯まっていくので隙あらば使う。
・セント=出番なし。
 
 
【時間感覚】
1時間押しとか普通です。気長に待ちましょう。
日本のように、1日のうちに細切れでいくつも約束を入れるというのはほぼ不可能です。
 
 
【言語】
町なかでもほぼ英語が通じます(トライシクルの運転手はやや独特)。ただ、彼らにとって英語はあくまでも後天的な言語であり、感情を込める時はタガログ語になります。両言語をちゃんぽんした「タグリッシュ」にもよくなります。フェスティバルの演目によってはタガログ語での上演もあるので、近くの誰かに頼んで通訳してもらいましょう。
 
 
【コミュニケーション】
マニラではシステムはあってないようなもの。とにかくコミュニケーションによっていろんなことが決まっていきます。わからないことがあったらすぐ誰かに訊く、というのが鉄則。より確実な情報を得たい場合は複数人に訊いて判断するほうがいいかと。
 
 
【交通機関】
マニラの渋滞は想像を絶しています。先を急ぐとか、予定通りに事が運ぶとかいった感覚は捨て去りましょう。
 
 
★トライシクル
マニラに馴染むには最適の乗り物! 暑いマニラではちょっと歩くだけでも体力を削られます。ホテルと会場の行き来などで重宝します。
 
価格は12〜25ペソくらい。小回りが利くのが強みです。トライシクルの溜まり場で拾ってもいいし、流しのを拾ってもOK。ただし拠点としているバランガイ(地区)ごとにトライシクルの「シマ」があり、別のシマには行ってくれないこともあります。行く場合はお高くなります。
 
運転手はフレンドリーな人が多いです。たまに恋人や家族や兄弟で運行していることも。
 
 
★ジプニー
庶民の足。最初の難易度は高いですが、いったん掴んでしまえばこれほど楽しい乗り物はないのでぜひトライを。難点は視界が悪いことですが、グーグルマップであらかじめ周辺地図を読み込んでおくとオフラインでもGPSで自分の位置を拾ってくれます。
 
行き先は前方車窓に表記されていますが、判別するにはかなりの慣れが必要です。ただ乗りたいという意思表示をすればスピードを落としてくれるので、そこで運転手もしくは助手席にいる人に行き先を告げ、OKだったら乗りましょう。
 
初乗りわずか7〜8ペソ。「バヤド」と言って支払います。運転席から遠い場合は他のお客に手渡しすると、回してくれます。
 
降りるときは「パラポ!」と言うか、天井を叩いたり紐を引っ張ったりします。
 
 
★タクシー
ほとんどぼったくってくるのでお勧めしません。やむをえない場合、メーターを使うように指示しましょう。なんのかんの言ってメーター使わない場合は少々怒ってでも使わせること。強気に出るのは大事です。ただし長距離の場合はまず絶対にメーターを使ってくれないので、その場合は事前にしっかり金額を交渉しましょう。英語が聞き取れない場合は何度も聞き直すこと。
 
中長距離の場合はアプリの「grab taxi」や「uber」を使うのが安心。150〜300ペソくらい。
 
 
*そのほかLRT高架鉄道)、FX(乗り合いバン)、バスなどもありますがそんなに出番はなさそうです。武田力のタコヤキで遠方に行く時にもしかしたら……。
 
 
【チップ】
釣り銭に小銭が出た時に端数を気持ちとして渡す程度でOK。バーやレストランではチャージ料として10%すでに計上されていることが多いです。
 
 
【水・氷・ビール】
基本的にミネラルウォーターを飲みます。食堂でサーブされている水もだいたい大丈夫です。ビールに氷を入れて呑むのも大きな問題はないかと。ただお腹の弱い人は注意しましょう。
 
ビールはサンミゲル・ピルスンと、ちょっと度数の高いレッド・ホース。どっちが好みかで、ひとしきり話に花が咲きます。
 
 
では、カルナバルで会いましょう!
 
 
 

https://www.instagram.com/p/BT01O4ClXYZ/

 

 
 

The Diary of Woman In A Port 4

 
After the good days with good friends in Yokohama, I packed my all life into a trunk. But of course I know, my true life will be discovered outside of this trunk. 
 
 

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I came to Kyoto like a “spy”. Actually in these few years, I became to be interested in “spy”. Why...? Because “spy” is a cross-border person who has multiple identities. He / She penetrates under-layers of various cities, pretends to be someone else, treats some secrets, and makes international networks…..Yes, you know, I'm talking about not only “spy" but also “artist”.
 
 
I met her at Kobe. She told me about her family’s history. It was a story of a small town far away from the sea. Our imaginations at a port will fly to everywhere.
 
 

https://www.instagram.com/p/BTQthYel-nL/

 

The Diary of Woman In A Port 3

 
I really enjoyed wonderful days in Dingalan with some artists. We are always eating, drinking, swimming, singing, dancing, talking and of course sleeping. So, despite the attractive women for my project, we didn't have good timings and I couldn't interview them. For example, I couldn't ask a girl why she put a cool tatoo of an octopus on her right shoulder...
 
But it's OK, I got many materials and seeds for the future.
 
 

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The 2nd music party was finished by sudden strong rain before the climax. But people accepted this destiny. They seemed so happy. Me too.
 
 
https://www.instagram.com/p/BS6Ua3OFUcZ/
 
 
In a ban to Manila together with Rosell's family, we were talking a lot and playing some games which use our imagination. "If we go to the moon..." etc. etc. Sometimes we imitated B's voice. Who is "B"? Yah, he is my love-machine teacher.
 
B often says "O-key... Chikara-san, she looks so cute... Don't you think so?"
I always reply "Ahh...................Yes po."
 
 
Madam Rosell gave me a lot. I could find many opportunities in this Dingalan trip. And from now, I'm sure that we will develop our relationship STEP BY STEP.
 
 

https://www.instagram.com/p/BS8Pfp5lbkS/

 

 
 
After this trip, I went to my favorite drinking place which is called "Flying House" on Malingap, Quezon City. Almost Sipat Lawin Ensemble members came there for me (except Meira, but I met her few days ago). I was so happy. But Sarah said, "OK Captain, at first we should talk about our work. And then, let's go party." Oh my gosh. She is so clever......!
 
Sarah (of course clever), Yenyen (See looks like funky crazy but actually clever) and JK Anicoche (Looks like crazy, inside also crazy) suggested me a Spanish word "puerta". This word will be very important key word for "A Woman In A Port".
 

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I used Uber to the airport. At first the driver seemed silent, but after super heavy traffic, suddenly he opened his mouth. He asked me "If someone ask you something, please don't tell them anything about Uber. I'm your neighbors friend. OK?" After some conversations, I understood the situation. He was afraid of LTFRB (Land Transportation Franchising and Regulatory Board). In his opinion, he is regal, but sometimes at the airport the drivers face to difficulty by LTFRB. I promised him that I become his neighbor's friend. I explained to him. "I am not an actor. But now I will become an actor for you. Ok, I'm your neighbor's friend." 
 
He had been to Roppongi because his mother worked there. The phrase of "Japan" sometimes knocks the Filipino's memories.
 
 

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https://www.instagram.com/p/BS5mwwJFgYU/

https://www.instagram.com/p/BS_cxLEFaCA/

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The Diary of Woman In A Port 2

 

I was waiting for the bus at the terminal in 7 hours. 7 hours...? It was also like a ceremony, might be the suffering of Holy Week. Despite this terrible congestion, all Filipinos were not irritated. There were only few attendants and police men, however they formed a gentle order to care for each other. Crowd, trashs, pollution, strong sunshine... They accepted everything. I followed them because they seemed respectable. But on the other hand, I thought "Why am I suffered like this heavy experience? I don't have any families in this country..." Besides, my laptop has broken in this 7 hours celemony. Maybe I was a monk. Finally I felt my spiritual level had gone up a notch.

 

https://www.instagram.com/p/BSzSwm6lYv2/

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After this experience and more 6.5 hours trip, I met him at Dingalan. I know, he is the "ex-xxxxx". I'm convinced because he is a very attractive guy. He said "Nice to meet you. You are a good dancer, aren't you? I heard." ...Okey, I drunk some Red Horse and then I jumped into some groups of shy local young people. Mary Jane's songs inspired and pushed us. Surely I heard the sound "the wall" breaks, and everyone began to dance freely. What a crazy night. He watched my DANCE and said "Grabe siya!"
 

https://www.instagram.com/p/BS3J1ZJBdOd/

 
On the 2nd day I was gifted the grace of God. After the good morning conversation (including about "A Woman In A Port"), we got on 2 boats and swam in the Pacific. Actually this was the first time swimming in the Philippines for me. In the secret cove under a lighthouse, I found a cancer's corpse. He died, but his soul may be watching such a beautiful world.
 

https://www.instagram.com/p/BS3KqAtBm8f/

 

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The mother and the young sister of Ness came from their province. They gave me a masalap baked cake and a bottle of Lambanog (local liquor of Dingalan). They are very gentle and looks like family. Of course? What is family? They are one of the answers.
 
 
After the dinner together with the mayor of this town, his bodyguard told me his story a little. He was working at a shop in Ueno in 7 years during 80's-90's. So he can speak Japanese well. But I couldn't ask him what kind of shops.
 
 
In the night, I went to a beach and listened to sounds of waves under the moon. There are many stars in the dark sky, but I didn't know how to find Cancer. In the legend, Cancer was trampled by Hercules' foot. He was defeated to the hero by his compassion to his friend. But as the courage was appreciated, Cancer became one of the constellations.
 
In the distance, a lighthouse was flashing. I guessed there was the cancer's corpse underneath. That will soon be erased by winds and waves.
 

https://www.instagram.com/p/BS3omR8l7gv/

 

 
 
 
 
 
 

The Diary of Woman In A Port 1

 

Last night I spent the unsettling night. Is it due to fatigue? It may be caused by air pollution in a long way jeepney from Antipolo to Cubao.

 

A woman asked me, “Why are the Japanese skins strong?" I answered, "It depends on each person." And I told her the following facts. There were also serious pollution in Japan like Minamata disease or Yokkaichi asthma…etc. Only the names of those pollutions are listed in the textbooks of elementary schools. But just names...

Why did I talk this to her? Because Japan is a “pioneer" who reflected on its negative history? ...... No way.

 

In my student age, I mentioned a shallow idea. "Human beings can learn from history, so we become smarter by accumulating histories." At that time, a teacher who were always gentle got very very angry with changing his face to red. Now I can understand the meaning of his anger.


*

 

Skin.

Maybe there is loneliness under the human skin. When uber's car rocked, she began to lean on my shoulder. If she did it, I may have decided to commit to her loneliness more deeply. But I was afraid that. Perhaps she also felt so.

 

However, in the Philippines, you know, it's a daily matter that skinstouch each other. Affectionate hug. Close body contact in a crowded jeepney. Sweaty skins are often touching.

 

Words are also. Filipino exchange their moist feelings through conversations from every morning until every night, or from dusk till dawn. Even if I’m alone in a town, I can feel that easily.

 

*

 

Well, In the past few days, I received some invitations for sexual massage. To be honest, some of them upset my heart, but eventually I declined them. I’m not here to extend the black history lying between Japan and the Philippines. I will access this history in some ways. Not to continue but to create new future.


However, it was a fact that I wanted a real massage. No sexual massage. But my favorite massage shop was no available because the slot was full… Perhaps I should have filled this blank with a fake massage.. OK. Now in the Philippines, we are in Holy Week. I can endure my suffering.

 

Nevertheless, tonight the massage shop is also full. People are always seeking some skin contact. C'est la vie. Mabuhay...!

 

 

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彼に捧ぐ

 

馬鹿みたいに泣いています。


気づくと彼の名前で検索してしまう。本当にたくさんの人に愛されてたんだな。そしていろんな顔を持っていたんだな、と思います。でも彼は彼、いつも、危口統之だった。


わたしにとっては、思想哲学の話をはじめ、労働とか、人生とか、文学とか、歴史とか、の話を、実践(つまり芸術)と結びつけて話せる、かけがえのない友だちでした。友だち、という言葉を、わたしは安易に使いたくなくて、生前、我々が、そういう言葉によってお互いを認識していたかというと、それは微妙です。アーティストと批評家、という緊張感はやっぱりあった。いやそれも違うか。少なくともわたしは彼といる時に緊張はしなかったから。ただそれぞれの矜持は崩さない、という暗黙の約束はあったような気はします。


つい10日ほど前、彼が生きているうちに、最後に、悪魔のしるしについて書いた文章を読んでもらえたのは、せめてもの……と思いつつも、同時に、死の淵にいる人に言葉を書くということがいかにおそろしいかも、思い知りました。あまりにも早かった。もっと一緒にやりたいことがあった。


この写真は2016年4月23日、武蔵小山の路地裏にて。このあと雨が降って来て、夜になって閑散としているアーケード商店街のほうに麻雀卓ごと移動して、堂々と打ったのでした。ほんとうに馬鹿馬鹿しくて最高に愉快な夜だったなあー。道ゆく人たちが足を止めて覗き込んでいった。あたしむかし銀座で雀荘やってたのよ、っていうおばあちゃんとか。危口くんには、あの生来の気難しさ(?)にもかかわらず、人をその懐に招き入れるところがあった。それは、彼がつねにフェアだったからじゃないかと思います。彼はなんの「正義」も前提にはしなかった。人間がそれぞれに違うということを思い知っていて、でも、他人である人間と、その営みと、そこに付随する愚かさを愛していたんじゃないか。それは彼の作品にもよくよくあらわれていたと思います。わたしは彼のことも、彼のつくるものも、大好きでした。涙がとまらないです。

 

 

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日記

  

twitterで物議を醸していることの、発端のひとつになったTPAM初日のシンポジウムについて、わたし自身はそれほど損害をこうむったわけではないけれど(おそらく何人かの誤解は招いているだろう)、良くないイメージが先行してしまったな、と憂慮している。こうした互いへの軽蔑は、結局、言論する人間自身の首を絞めていくことになるだろう。それぞれの言い分がそれなりに正しかったとしても、全体的には良くない方向に向かうことがあるのだ、ということを、我々はそろそろ自覚しないといけないだろう(一種のゲーム理論のように)。我々はすでにそれぞれトランプ化している。鏡を見て、ひと呼吸置いて、そんなふうに思ってみる。
 
 
殺伐とした議論(?)の結果として、それぞれが何かにコンシャスになるのならそれでいいとも言えるのだが、わたしは、SNSで批判がお手軽になり、みなが自分の信じたいものだけを信じるようになったポスト・トゥルースとか呼ばれるこの時代にあって、事実が伝言ゲームのようにねじ曲がり、その場にいなかった人たちにその歪曲されたイメージのみが伝わっていくということが、やっぱり、気持ち悪いと思う。だからあの場に6時間居合わせた人間として、そもそも何が起きていたかという事実(にかぎりなく近いもの)をブログに書こうかとも思ったけど、数行書いて、楽しくない、という抵抗感が強くて、やめてしまった。記憶のあるうちにきちんとしておかないと後々に禍根を残すかもしれないけれども。何人かとはいずれ会って話せるだろうけど、何人かはそのまま、ということになってしまうだろう。それもまた人生、と割り切っていいものなのかどうか。
 
 
矢面に立つ人間にはなかなかしんどい時代になってしまった。我々は、歪曲されたイメージが誤配されることに常に気を配っていかなくてはいけないのだろうか。それはあまり幸福なこととはわたしには思えないし、体力的・精神的にも我々を蝕んでいくことになるだろう。「悪い場所」はいよいよ悪い方向にアップデートされてしまった。他者への無用な軽蔑がこれ以上蔓延しないことを願う。
 
 
最近、身体の健康のことをよく考える。少しずつ死に近づいていく友人の日記を読み、わたしは生きなければならない、と思った。生きたい、ではなく、生きなければならない、と感じてしまったのがつらいところだ。この世界には楽しいことがたくさんあるのに、なぜわたしはそれを享受しようとせず、何かの義務感のような形で人生を捉えようとしているのだろうか。愚かなことだと思う。しかし愚かなことだ、と一蹴できないくらいには、様々なしがらみや業のようなものを引き受けてしまっている。立場的に。では、立場、とはなんだろうか? それは本当に捨ててはいけないものなのだろうか? TPAMが終わった次の日に、わたしはネスとラルフと長い時間を過ごした。我々はホッピーを呑み、デュッセルから来たチェルフィッチュを呑み(あ、修正、キレピッチュです!)、城崎から届いたにごり酒を呑んだ。いい時間だった。心からやすらいだ。わたしが今後「家族」と呼ばれるものをつくるかどうかはわからないけど、彼らはまるで家族のようだった。いや親戚くらいの距離感ではあった。まあいい、別に名前なんてつけなくてもいい。早くマニラに行って、彼らに再び会って、あの太陽を感じていたい。
  
 
もうすぐ岸田國士戯曲賞の選考会があり、わたしも同時刻に予想を「演劇最強論-ing」で発表する。今回はノミネート全8作がウェブで公開されたので、徳永さんとの予想対談を読む人の目もそれだけ厳しくなるかもしれない。逆に、ああ、なるほど、上演と戯曲はこう違うのか、とか思ってもらえるのかもしれない。何にしても、矢面に立つということは一定数以上の批判に晒されることになる。3月は公開の場でのトークもいくつか引き受けてしまった。これもまた批判に晒されるということだろうか? 楽しい会にしたい。なぜなら、人と人が顔を合わせて集まり、言葉を交わすということは、素敵なことであり、今や、貴重なことだと思うから。

 

 

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日記

 
自分の身体が今、期間限定の病を脱してみるみる快復していくのを知って、それをどこか素直に喜べないのは、おそらく、罪悪感だ。だが何の「罪」なのか。そこに「罪」を感じるとは、なんておこがましいことだろう。何様のつもりだろう。……とか考えていたところで、この日記を読んだ。

 

「もっと大きな大きな視点でみれば、きれいにつりあいがとれたかたちをしているのかもしれない。無限回振り続けることができるなら、サイコロの出目の確率はそれぞれ均等に六分の一だ。しかし僕たちにとってこの世は、そして生は有限なものだ。だからどんなに薄めていっても、均していっても、どこかで偏りが生じる。この有限性を肯定したい。」疒日記3

 

note.mu

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デュッセルドルフ滞在記2-40

 

月曜日。憂鬱と隣り合わせの時期がついに過ぎた。ドイツ人の感情に少しだけアクセスできるようになった。

 

Monday. Melancholy time has passed. Now I’ve become to access German feeling a little.

 

(by Google Translation based on English...) Montag. Melancholische Zeit ist vergangen. Jetzt habe ich Zugang zum deutschen Gefühl ein wenig.

 

 

デュッセルドルフ滞在記2-39

日曜日。オーバーハウゼンの平和村へ。戦争の害は子どもたちの身体を蝕む。それでも生きていく子どもたちに、元気をもらった。『演劇クエスト』の執筆が一気に進む。

 

Sunday. I went to the Friedensdorf international in Oberhausen. Harm of wars hurt bodies of children. However they continue to live. I got vigor from the children. Writing of “ENGEKI QUEST” was advanced very much.

 

(by Google Translation based on English...) Sonntag. Ich ging in die Friedensdorf International in Oberhausen . Harm von Kriegen Leichen von Kindern schaden. Doch weiter sie leben. Ich habe Kraft von den Kindern. Das Schreiben von "ENGEKI QUEST" war sehr fortgeschritten.

 

https://www.instagram.com/p/BLV6odHj1co/

 

デュッセルドルフ滞在記2-38


土曜日。エラーへ行くも、不調。この町の魅力をまだ掴むことができない(なんとなく好きなのに)。夜は悪友たちと無尽蔵に呑む。いいリフレッシュになった!

 

Saturday. I went to Errer, but that was not so well. I couldn’t grasp the charm of this town (however I like there). In the evening, I drunk a lot with my nice friends. It was good refreshment!

 

(by Google Translation based on English...) Samstag. Ich ging zu Error, aber das war nicht so gut. Ich konnte nicht begreifen den Charme dieser Stadt (aber ich mag es). Am Abend habe ich viel mit meinen netten Freunden getrunken. Es war eine gute Erfrischung!

 

https://www.instagram.com/p/BLWTCIRj8Hu/

 

デュッセルドルフ滞在記2-37


金曜日。ベンラートをフィールドワーク。

 

Friday. I went to Benrath as a field work. 

 

(by Google Translation based on English...) Freitag. Ich ging nach Benrath als Feldarbeit.

 

https://www.instagram.com/p/BLRdCbfjG0n/