マニラ滞在記4-7
マニラ滞在29日目、月曜日。ゆっくり起きて、Matalino通りにマッサージに行った。かなり強めにやられた(腰に立たれた)。この結果、わたしはしばらくダメージを受けることになったが、それは後日の話。
郵便局から、城崎の三人姉妹にエアメールを送る。18ペソくらい。郵便局には机のようなものがなく、炎天下で座って手紙を書いた。背後には常に気をつける必要があるので、走り書きで。
昼寝をした後、わたしはインタビューを受けることになっていた。予定時刻の1時間を過ぎて、Kei君(通訳)とJK(通訳)がやってきた。Brandon(カメラマン)が到着したのはさらに1時間後だった。まあもはやこのフィリピン時間にわたしも慣れている。むしろこの時間がもうすぐ終わることが寂しい。インタビューの中で、わたしはMarikinaでのENGEKI QUESTを振り返った。なぜわたしがここに来たのかも。
ジプニー先生のRalphも、ENGEKI QUESTにおいて何が起きたのか、コラボレーターとして証言してくれた。
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夜はJKの家でパーティ。「どうしてRikiがここにいないの?」とClaudiaが嘆く。みんなで映画(TVドラマシリーズのファンタジー)を観て、ダラダラ過ごす。JKやBrandonが、さらに食べに行こう!と誘ってくれたが、疲れがあまりにひどいので、泣く泣く断って眠った。最後の夜だけど。無事に帰るまでは、気は抜けない。
▼同じ日の石神夏希さんの日記
http://natsukiishigami.com/2016/06/p13-2/
マニラ滞在記4-6
マニラ滞在28日目、日曜日。わたしは二日酔いだが、なんとか生きている。朝は、先日のカンファレンスの続き。JKハウスで、DavidとArcoが彼ら自身の活動についてそれぞれ語った。
Arcoのトークはまるでパフォーマンスだった。彼はしばらく沈黙していた。彼はEisaのドラマトゥルクだが、こうして異国に入っていく時、彼はあたかもダンサーのようになる。あるいはエイリアンのように。
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劇場に向かう途中で、わたしは一匹の野犬に襲われた。この野犬は凄まじい勢いで駆け寄ってきたので、わたしは後ずさりしながら身構えて、闘いを覚悟した。しかし手の届く距離まで来た時、犬は急に吠えて逃げていった。何か見えない力に守られたような気がする。もしかしたら幽霊がわたしに取り憑いているのかもしれない。「私たちは見た、あなたがレストランで見知らぬ女性と一緒にいるのを」「あなたはタクシーの中で誰かと話していた」……そうした証言を考えると、「幽霊」という説明が腑に落ちる。Marikinaの教会に行った時に、わたしは彼女を連れてきてしまったのだろうか? その教会には、幽霊が出るという噂があった。
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Tassos Stevensの『We’re Going to Tell You A Secret』。クイズ形式。彼がMaginhawa通りなどでリサーチしたことがクイズになる。パフォーマーやスタッフたちを巻き込んでいる。さらには、バランガイ・オフィサーを劇場に呼んだ。この短い滞在時間で、いつ彼はこんな準備をしたんだろう? 驚嘆に値する。そして、フィリピン人たちが、クイズに本気になることにも驚いた。
ただし、高速の英語を理解するのは難しかった。文脈を理解しているかどうかは重要な要素である。毎回、文脈(今何を話しているか)を最初から探さなければならないのはつらい。おそらくこの現象はわたしだけではなかったはず。長期の海外留学でもしていないかぎり、ほとんどの日本人が、文脈なしで英語を理解するのはかなり難しい。そのことは知っておいてほしい。
途中で、見たことのないような豪雨が降ってきた。音があまりに凄くてTassosの声をかき消したので、パフォーマンスはいったん中断した。Papet Museoの窓から、わたしたちは雨のマニラを眺めた。わたしは、わたしたちが今ここに生きていることを喜んだ。
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わたしは疲労困憊だった。何も食べていなかったし、高速の英語はわたしの脳みそをすり減らした。それでわたしはAte Fe’sにご飯を食べに行った。よりによって、この日はなぜか、料理が出てくるのが遅かった。それで遅刻してしまった。Ea TorradoとNikki Kennedyの『How Can I Miss You』。わたしは終盤のシーンだけを観た。ごめんなさい。が、この2人のコラボレーションが1年越しで実現したことをわたしは嬉しく思う。
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フィナーレは、JKのファシリテートによって、本をつくった。インディペンデント・アーティストが生きていくために必要なものをみんなで書き出し、それを巨大な「本」として綴じたのである。
それから、その場にいた全員で、ひとつひとつのパフォーマンスを振り返っていった。このファシリテートはPiperが務めた。彼女は去年KARNABALに来ていたMaxの弟子筋にあたるらしい。オーストラリア在住で、出自はベトナム。とても快活な女性だが、冷静にものごとを見ているようでもある。
最後は、JKがみんなに風呂敷を配った。それをバッグの形に結うと、彼はこう言った。「さあみなさん、家に帰りましょう」
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フライングハウスは夜遅くまで開いていた。
▼同じ日の石神夏希さんの日記
http://natsukiishigami.com/2016/06/p12-2/
マニラ滞在記4-5
マニラ滞在27日目、土曜日。Mapua Tekno Teatroの『Hanap Buhay』。私が少し遅れて到着した時には、すでに始まっていた。ワークショップのようだ。チープな素材を使って、塔のようなものをつくっている。JKはひとりで何か別のものをつくっている。なぜならJKは「インディペンデント・アーティスト」だから……。もうひとり、不審な人物がいた。彼はチームリーダーから怒られていた。そして彼は虚ろな目をして、別のチームに参加した。ところがそこでも彼はうまく場に馴染めなかったようだ。
そのうち、彼が高台の上に立った。彼は自殺しようとしている! 劇がここから始まる。仕事や人間関係に絶望した彼の告白。それを止めようとする人々。
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Storyboard Junkiesの『Cafe Bayani』。フィリピンの死んだ英雄たちが天国(地獄?)で集まって会話をしている(タガログ語で)。おそらくフィリピーノたちにとって、この会話は現在と繋がっているのだろう。もし日本版を上演するなら誰がラインナップされるだろうか。終演後は、コーヒー付きのアフタートーク。
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The Scenius Pro.の『Hear, here!』2回目。JamesとBunnyが「次はもっと言葉を使わないバージョンにする!」と言っていたので。今日は、耳の聞こえない人たちがたくさん参加していた。
歌がフロアに流れる。ダンサーが踊っている。途中で、音が消える。ダンサーは踊り続けている。字幕だけが無音で流れる。観客は、その聞こえない歌を聞く。
終演後に、くロひげのミサミサがなぜか号泣していた。
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Maginhawa通りのマッサージ店へ。それから、JKたちと一緒にタクシーで遠くのTomato Kickへ。「Strange Pilglims」。去年もわたしはここに来て、韓国人チーム(Creative VaQi)と踊った。あれ以来、「Chikaraは呑むと踊る」というイメージが定着しているらしい。そしてこの夜はそのイメージをさらに増幅させることになった……。
Claudiaのショーも洗練されてパワーアップしていた。David Finiganのパフォーマンスの変化にわたしは驚かされた。まったくの別物だった。観客は部外者ではなかった。わたしも舞台上に引っ張り出された。わたしはすでにレッドホースを何本か呑んでいた。変な緊張を感じたが、楽しかった。
実は何日か前のDavidのパフォーマンスについて、JKは辛辣な評価をしていた。(わたしは感動したが、それはわたしがDavidと同じように外国人であるからかもしれない)。ナイーブに自己言及し過ぎる、というのがJKの評価の理由だった。しかし今回のDavidのパフォーマンスは、その批判を見事に乗り越えたのである。
くロひげの3人も即席でパフォーマンスをした。それは非常に彼女たちらしさを感じさせるものだった。きっとこうした経験がいつかどこかに繋がっていくだろう。そして日本も変わるだろう。
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Alonの運転する車で帰った。わたしはかなり酔った状態だった。「覚えてる?」次の日、Alonはわたしにそう訊いた。わたしは答えられなかった。わたしは空席に向かって話しかけていたらしい。まるで誰かがそこにいるかのように。
▼同じ日の石神夏希さんの日記
http://natsukiishigami.com/2016/06/p11-2/
マニラ滞在記4-4
マニラ滞在26日目、金曜日。わたしが劇場(Papet Museo)の窓際でメールしていた時、サラがやってきた。「私はこの窓から見える景色が好き」と彼女は言う。わたしはメールのためにナーバスになっていたが、確かに、この窓からの眺めは美しい。
The Scenius Pro.の『Hear, Here!』。手話やジェスチャーでコミュニケーションするワークショップ形式のパフォーマンス。コミュニケーションの前提が崩れることで、日常とは異なる身体感覚が引き出される。JamesやBunnyのファシリテートは参加者の緊張をほぐし、あの場を多幸感で溢れさせた。彼らのパフォーマンスはナーバスになっていたわたしの心を温めた。
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Christopher Aronson、Guelan Luarca、Ness Roque-Lumbresの『Mausetrap: Anti-Hamlet』。ハムレットをモチーフにした作品。タガログ語のパートが多く、さらにスペイン語もあり、わたしは内容を完全には理解できなかった。しかしわたしは複数の問題意識の存在をこのパフォーマンスの中に感じた。例えば、形骸化した劇場への批判。英語という言語の問題。そして彼ら自身の交換可能性。
タガログ語をもっと理解したい。
CNNフィリピンの記事
http://cnnphilippines.com/life/entertainment/2016/06/14/karnabal-festival.html
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彼女のプライベートな歴史とフィリピンの歴史が重なる。わたしはその鮮やかさに対して少し羨ましく思った。
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今夜は、Rikiのフィリピン滞在の最後の夜だ。わたしもここに6ヶ月いたかのように錯覚した。人間はおそらく記憶を交換できる。強い好奇心があれば。