BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

マニラ滞在記3 2日目(2016/5/17)


ゆうべ眠る時、隣室からJKたちの声がうっすらと聞こえていた。扇風機を止めて、カーテンを少し開けると、夜風が入り込んでくる。涼しい。いい夜だった。

 

マニラの夜は、東京周辺のそれとはだいぶ雰囲気が異なる。おそらくここでは情報の行き交い方が違う。ある種のアニミズム的なものがまだ(都市部でさえも)生きている。この国の人たちはあまり俯瞰的にものを見ない。だから地図も読めない。

 

明け方4時頃、凄まじい豪雨で目が覚める。町が水没するのではないかと思うほどの。

 

朝、大工のトカトントンの音で目が覚める。セミが鳴いている。町は水没していなかった。


階下に降りるとちょうどやってきたサラと会う。知り合ってからこの2年ばかしで彼女はどんどんキュートになっている。

 

さて今日は、まず感覚を取り戻す日にしよう。JKの家からすぐのミニストップは、りっきーの話通り改装中。その前に停まっているトライシクルを拾って、カラヤーン(Kalayaan)アヴェニューにあるスーパーマーケット・ピュアゴールドへ。水やティッシュを買う。ここには両替所もあって、相場は悪くない。

 

いつものカフェへ行くと、暇そうなおじさんが水だけ飲んで、新聞のクロスワードパズルにいそしんでいる。この店のオーナーっぽい。

 

ランチはよくKARNABALが使うレストランバー・トマトキックの向かいのタイ料理屋でパッタイ。シュリンプ抜きにしてもらう。美味しいけど、195ペソはちょっとお高いな。

 

マギティン(Magiting)の家に戻って昼寝。JKが「ちからさん病気ですか?」と心配して見に来てくれたけど、いやいやただの昼寝です。当面、無理しない路線でいくつもり。

 

午後4時半起床。寝すぎたな。タガログ語で「便利」を意味するように店で賑わうマギンハワ(Maginhawa)ストリートのカフェで仕事をしていたら、りっきーから、クバオ(Cubao)にいいバーがあるけど行きませんかと連絡。トライシクルとジプニーを乗り継いで、待ち合わせのカフェに行き、それからクバオ・エクスポ(Cubao Expo)にあるバーへ。

 

ジプニーは乗車の9割が女性だった。初乗り7ペソ。「バヤド」と言って支払うが、運転手から遠い場合、他のお客さんの手をつたって回されていく。降りる時は「パラポ!」と言うか天上を叩いて運転手に知らせる。

 

そうそう、この感じ、と思い出してきた。

 

カラヤーンからオーロラ・ブールバード(AUrora Blvd)に抜けるあたりはこのあたりでも屈指のカオスなエリアだが、ジプニーがここをどういうルートで抜けていくのかはこれまで謎だった。りっきーによると、その時の混雑状況やお客の都合(市場に寄りたい等)によってルートは変わるというが、ただし一方通行のため出口はいつも同じだと。なるほど出口の場所が同じならわかりやすい。つまり15thアベニューで出て、イェール通りで逆方向にたどる、ということ。

 

クバオ・エクスポはかなりいい感じの呑み屋街だった。マカティに取って代わられる以前、メトロマニラの中心街だったこのクバオには、マリキナの工場でつくられた靴が運ばれていたらしく、その名残なのか、靴屋もあった。その後、貿易自由化によって中国製の安い靴が入ってきたことによって靴産業は衰退し、クバオも中心街の座を奪われてしまった。その頃になると、このクバオ・エクスポ周辺はアートの町に変わったらしく、遠藤水城氏のギャラリーもあったという。その頃の映画館の建物も残っている。しかしやがて地価が高騰。今の呑み屋街に変わったという。(りっきー談)

 

なるほど、韓国やドイツでも似たような話を聞いた。工場街や廃墟のような場所にアートが入っていく。治安が良くなって地価があがる。するとアーティストたちはもう(追い出されるとまでは言わないにしても)いられなくなる。日本でも当然同じような事態は起こりうるだろう。

 

アーティストは町の掃除屋なのだろうか?

 

りっきーはこの店のかなりの行きつけらしく、彼のお気に入りだという牡蠣のオイル漬け(88ペソ)はおそろしく美味しい。カラマンシ、という日本のカボスにも似た柑橘類を絞り、塩、胡椒、唐辛子をお好みで入れる。いいなー。マリキナのリサーチ帰りに寄りやすい場所なので、また来よう。

 

店員が豚を捌いてるので、訊いてみると、レチョンの燻製にするのだという。実際食べてみると豚の燻製入りチャーハンという感じで美味しい。その米の食感を味わっていて、ふっと、タイ米が日本に輸入された時のことを思い出す。1993年の米騒動タイ米は日本人にとても不人気で、やむなくブレンド米、なんてものも出されていたな……。ウィキペディアで調べてみたところ、1991年のフィリピンのピナトゥボ火山の噴火が冷夏を招いたらしい。あの頃、まだ子供にすぎなかったわたしにとって東南アジアというのは完全に興味が無いという意味で未知の国々でしかなく、わたし自身もまだ「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という驕りの空気の中に生きていたなと思う。

 

こないだ日本の呑み屋でたまたま隣り合わせた年長の人と話す機会があり、しかしあんまりにも「日本は素晴らしいが東南アジアはまだまだ遅れている」というような話をしているので、「はあー、日本が未だに世界一の国だと思ってる歳上の人たちははっきり言って時代遅れだしむしろ迷惑なんですよね」と言ってやったら、「え、そんなことをまだ言ってる人がいるの?」と(おそらく悪気なく)とぼけていたけれど、それ、あ・な・た・のことですよ!

 

……そういう話も含め、わたしがあんまりにも日本の現状について「やれやれ」を連発するものだから、よっぽど印象に残ったらしく、「村上春樹以外でリアルにやれやれと言う人を初めて見ましたよ」とりっきーが言う。確かに、たぶん少なく見積もって20回くらいつぶやいている。

 

『演劇クエスト』のマリキナ編は、英語で書くけれど、いつもとは違って語り手の顔を登場させて、日本人が参加者に語りかける感じにしようと思う、と話すと、りっきーはそれがいいでしょうねと言う。ここの人たちにとって英語はあくまでもツールでしかないからと。ならば、お互いにツールでしかない英語でコミュニケーションをとる、という形がいいだろう。

 

もうひとつ重要なことは、フィリピン人たちにとって「散歩」という概念がおそらくはないことで、たぶん、そのまま歩かせても意味がわからないのではないか。というのは今日、SipatのメンバーにFacebookメッセージで「マリキナまでの道はどれがベストだと思う?」と質問したのだが、イェンイェンが言うには(彼女がなぜそんなにジプニーに詳しいのか謎だが)サントラン駅ではなくてその手前のカティプナン駅を出発点にするのがベストだとのこと。なぜならカティプナンからは無数のジプニーがマリキナに向けて出ているからと。なるほどこれはわたしにとっては非常に有益な情報で、彼女のおかげであのあたりの導線をようやく理解できた気がする。

 

しかし、にもかかわらず、(今後のリサーチにもよるけれど)やっぱりわたしは出発点はサントラン駅のほうがふさわしいと考えている。『演劇クエスト』はマリキナを便利に観光することが目的ではないし、歩く、ということを考えるとサントランのほうがはるかによい。この意味が果たしてどこまでフィリピーノたちに通じるか? やってみないとわからないけれど、やるからには勝算は高めておきたい。

 

りっきーはオリザさんたちがマニラに来た4月の学会についても思うところあったようである。用意された車に乗ってスラムを視察することにどれだけの意味があるかというのはその通りだと思う。けれど(りっきーもよくよく理解しているように)オリザさんだってさすがに昔のように冒険王をするわけにはいかないだろう。年齢その他の条件によってアーティストにはそれぞれ役割分担が生じるものだし、おそらく国際交流基金の人たちもそのことはわかってくれているはずだ。ひとまず我々の使命としては、我々にしか入れないところに入り込んでいけばよい。とりあえず身体が動くうちにやれるだけのことをやればいいと思う。それはひいては日本のためかもしれないし、フィリピンのためかもしれないが、もっと極私的なことのように感じている。個人的な感覚と知見を極めれば世界に繋がるというのがわたしなりの極私的セカイ系のあり方だ。特に海外にいる時はできるだけ個人というフィルターを通すようにしたい。特にマニラに来ると、いろいろなものが自然と削ぎ落とされて、ただ感覚としてここに生きているだけの存在になれる気がする。だからまたここに来たい、と思うのだろう。

 

とはいえ編集者であり批評家でもあるわたしとしては、どうしても純然たるアーティストとは異なる意識も持ってしまい、余計な気を回してしまうこともある。これはもう一生ついてまわる性質だろうな。……やれやれ。

 

帰りはクバオ・エクスポのすぐ脇からジプニー。すでに10時半を過ぎているのでだいぶ空いているとはいえ、まだまだ満員だ。こういうのは気長にやるものですよ、とりっきーは慣れたもので、うまいこと空いたジプニーを見つけて乗り込んでいく。


マギティンの家があるティーチャーズ・ヴィレッジは、夜10時を過ぎるとあちこちのゲートが閉じられてしまうため、脱出ゲームの迷路のようになる。

 

部屋でりっきーとウィスキーを舐めていると、深夜1時にようやく打ち合わせを終えたJKとイェロ君もやってくる。JKが、ああー、もう、キュレーターとか影のドラマトゥルク(Shadow Dramaturg)とかやめたい、ただ単にアーティストやりたい!と嘆く。まあ気持ちはわかりますよ。そしてJKのその嘆きが、必ずしも本心そのものではないということも。なんせ、さっきまで我々もまさにそういう話をしていたところなのでね。……やれやれ。

 

 

 

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