BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20141120 演劇クエスト、前々夜

 
八景の喫茶店で、いよいよ今週末ですねと声をかけていただき、ああそうかー、と。これまでになく不思議な感触で初日を迎えられそうです、『演劇クエスト』。
 
ところで気がかりだった横須賀のいつもの店に少しだけ顔を出したら、長らく療養中だった店主が今日はひさしぶりにいて、ほっとした。が、目の前で発作が起こり、くるしそうな顔を見ていて、しかし何もできず(店員さんたちは見慣れているのだろう、痛みが過ぎ去るのを待つしかないと言っていた)、発作のあとの煙草の1本がうまいんだ、とくゆらせる店主の顔を見ていると泣けてくるのだった。
 
 
演劇クエストが演劇なのかどうか、エンターテインメントとして優れているのかどうか、あるいは批評的に語るに値するのか、などといったことはわたしは批評家の看板も掲げているので当然あたまのどこかにはある。そしてそれは軽視できることではないと思っている。が、いっぽうで、どうしてこれを、演劇クエストなるものを、やりたいのか、やってしまっているのか、という部分の、それが設計者で創造者であれ作家であれ、のモチベーションのところで自分の内的な声に耳を傾けてみようとするからば、その声は、わたしが常日頃内省的なことをさぼっており、道化的、呑んだくれ的、快楽主義者的な振る舞いに身を任せすぎているせいだろう、その声は、なかなか聞こえてこないわけだが、それでも身体は嘘をつけないところがあって、正直なところとしてはこの試みがいったいなんなのか、どうしてそれをやってしまうのかわからない、が、自分にとって大事な何かを大いに含んでいるからやっているんだろうと感じる。もちろん他の誰かにとって大事だとか、東京の演劇シーンに対してうんたらとか、それは考えてはいるのだが、結局のところは、目の前の店主の苦悩だったり、あるいは、誰かの悦びだったり、みたいな実は様々な人生においてありふれた、誰の身にも起こっていて、それでいながら固有のものでしかありえない物語を前にして、なすすべがないということ、そこに編集者であれ作家であれおよそ物書き的な人間が何もできない、ということへの、自分なりのレクイエムなのではないか、とか、思いながら横須賀から横浜方面に帰る電車に乗っているのだった。
 
まあ、何いってるのかよくわかりませんね。とにかく土曜日から3日間、演劇クエストを本牧でやります。いろんな人たちの協力のおかげで、今の自分にできる現時点でのマックスまでは出せていると思います。もちろん本番まで、ベストを尽くしますけど。来てくださる人には「無」で来てくれればいいので、ここに書いたことも忘れてくださっていいのです。好きな日に来てくださると嬉しいです。当日は3日間、いますので。横浜は本牧の、かつての映画館でお待ちしています。