BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20140228 ナノ・スクールから、変身4

 

とうとう2月の最終日がやってきた。いつまでも倒れていられないので、とりあえず各方面に連絡。むしろ精神的にアリかなと思い、blanClassの杉田敦ナノ・スクールへ。とある作業をしているうちに、自分の問題意識が2つほど強烈に浮かび上がってきた。

 

ひとつは、杉田さんから紹介された『The Next Documenta Should Be Curated By an Artist.』(2004)という本から触発されたもので、しかしこれについては今は書かない。

  

もうひとつについて。作業中に並べられた展覧会のリストを見て、自分の心がまったくワクワクしなかったという事実で、それが舞台にも当てはまってしまうであろうことを思って結構ヘコんだ。正直、自分は今、何かを観に行きたいと思えなくなってしまっている。飽きたわけではない。作り手が悪いとも思わない。ただ、批評や言説の流通する状況、あるいはその中での自分のスタンスを変えないことには、どんなに良い舞台を観てそれについて何かを懸命に書いたとしても、ほとんど無意味だろうという虚無感を拭い去ることができない……

 

もちろん、執筆活動が何かしらの反応を呼び込む可能性があることは知っているし、ありがたいことに実際に嬉しい反応を頂戴することもある。でもどうにも閉塞感の外に行ける気がしない。なにもかも徒労に思えてしまう。

 

ダメ押しになったのは去年のF/Tアワードで、いくら作品を観てそれを援護射撃するようなささやかな劇評や紹介記事を書いたとしても、まったく「範囲」を超えていないのだと思い知らされる結果になった。それは別にわたしの(誰かの)せいではないのかもしれない。でも自分としてはもっとできることはあるはずだと思い、年が明けてからはあんまり演劇を観に行かなくなった。というか、行けなくなった。せっかくの御招待や御案内の連絡も、ほとんど黙殺状態になってしまって申し訳ないと思っている。ほんとうに。ただ今は自分のリソースをいったん他のところに向けてバージョンアップする必要を感じていて、この前のTPAMで作品を観るよりディスカッションへの参加を積極的に選んだのもたぶんそういう意識からだった。

 

正直に吐露すると、批評を書く人間として若干の恐怖を感じないでもない。今まさに各地で上演されている演劇作品の中にはきっと素晴らしいものもあるだろう。作り手たちがどれだけそれらの作品に、情熱や、見えない汗や涙を込めているか、知らないわけでもない。それくらい創作現場と近いところで空気を吸ったことも、少なからずあった。だからそうした現場と、自分との距離がひらいてしまうことに対しての悔しさや、うしろめたさや、取り残されてしまうのではないかという恐ろしさが全くないと言えばたぶん嘘になる。……でもここを乗り超えていかないと、次は見えてこないという、これはまあもはやほとんど確信に近い。

 

 

ところで。

 

数日前からのクズ同然の「変身」の日々に漠然と生まれたのは、サバティカル休暇が欲しいというアイデアで、2014年度は結構そうなりそうというか、違った景色が見えてきそう。リフレッシュされた景色が見えるように動きたい。市原くんたちとまずは黄金町から始める「演劇センターF(仮)」の件も着々と(?)進んではいて、これもまた自分にとってのサバティカルになりそうな予感がする。

 

 

……まあいいや長くなった。

 

ナノ・スクールが終わったあとみんなで井土ヶ谷の呑み屋にいって、店主が麻雀好きだということが分かり、少し話が弾んだ。あと三浦半島、蒲田の情報とかもメンバーから教えてもらって、そこにはワクワクする自分を発見した。ワクワクは大事だ。……と思っていたら、心の中でひそかに「ワクワクさん」と綽名をつけている某氏から秘密の電話がかかってきた。新宿の某文壇バーで飲んでいたらしい。いいですねえ。金曜の夜ですねえ。密談とか秘密基地とか、大好きだ。そういえばこないだ某アーティストが次のように言っていた。すべてがオープンに公開された時、公共性は消滅するだろう。

 

 

 

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