BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20140216 『RE/PLAY』2回目、TPAMクロージング

 

いよいよTPAMも最終日。もうタクシー使いたくないから自転車で、朝からAIRのミーティングに参加。この日はアジアのアーティストたちによる実際的な話。ペーパームーン・パペット・シアターのマリアとイワンのプレゼンはすごく楽しくて、英語もわりと分かりやすかったので、同時通訳のスイッチを切って聴いていた。だいぶ耳も英語慣れしてきた感じはある。

 

午後に、参加可能な面々で実際に今後のAIRについて具体的に話し合ってみましょう、ということになったので、通訳ナシだけど参加してみることにした。まあ、スピーカーによって聴き取りやすかったり聴き取りにくかったりするんだけれども(流暢な人のほうが聞き取りにくい)、まあ何ごとも経験ということで。とりあえずマリアとイワンとは黄金町でミソスープを一緒に飲んでみたいなと思った。連絡先を交換して、彼らのDVDもいただく。ジョグジャカルタ、行ってみたいな。

 

 

そのあと、横浜トリエンナーレのプレイベント。時間がないので中座しなければならないことが決まっていたけれど、ある程度の雰囲気はつかめたかな……。これも直接聞いたほうがむしろわかりやすいなと感じて、同時通訳のスイッチは切って聴いていた。

 

 

そして再び『RE/PLAY』へ。初日の緊張感とはまた違った楽しみ方を見出した感じがあった。集団自殺という、「死への物語」を重ねることはもうしなかった。オブラディ・オブラダがかかるたびに腕まくりする遠田誠をどうしても見てしまうのだ……。遠田さんときたまりは、低体温の時の身体のバリエーションがものすごく多いなと思った。というか、きたまりの、段階に応じたボキャブラリーの豊富さは凄まじい。本人にあとで訊いたら、演劇に呼んでもらって出ていることも大きいかも、と言ってたけども、なるほど「越境していくことによってボキャブラリーが増える」という仮説は様々な局面で通用しそう。演劇やダンスにかぎるものではなく。

 

 

ハンマーヘッドでMOKKの当日券を入手したのだが、立ち見で、それはいいけどほとんど見切れていて何も観られなかった。ざんねん……。

 

TPAMクロージングパーティ。シャオ・クゥたちと一緒にいた中国の若い批評家を紹介される。それで、わたしも批評家なのだと名乗る。シャオ・クゥに「日本のママ」と呼ばれていたある人から、「へえー、とうとう批評家って名乗り始めたのね」と言われたが、まあTPAMでは必要に迫られてそんなふうに名乗ることが多かった。そしてそのことは大きな意味があると思う。

 

 

まあそんな感じで今年のTPAMは終わった。おつかれさまでした。特にスタッフのみなさん!

 

こうやっていちいち日記を書く意味があったのかどうかわからないけれど、とにかく、ここに書いていない様々な素敵な出会いにもTPAMではたくさん恵まれた。こんなに人と話をするということは滅多にないし、まだ少し感覚が麻痺している。とはいえ、(課題と共に)新しい道筋がかなりクリアに具体的に見えてきたのも確かで、それは、国境やジャンルという「壁」がもしもあるのだとしたら、それを軽々と超えていくような道だと感じる。

 

わたしはネットワークというものに生来、懐疑的なほうである。人間が好きだけど嫌いだし、なるだけコネクションに依存しない形で生きていきたいとも思うから。けれど、実際にものごとを具体的・現実的に動かすためには、人脈の存在を無視することはできない。それによって現実を変えていくのがリアリストの道だろう。

 

「外」にいきたい。でもまだ準備ができていない。……ということをずっと考えてきた。だけどそろそろだな。時が満ちつつある、という感触が今はあるし、いろんな人の後押しも感じている。

 

 

 

「/」(スラッシュ)は、何かを分かつと同時に、それらを結びつけてもいる。

 

あるいは何かの裂け目のようにも見える。

 

 

 

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