BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20131224 クリスマスイブ

 

確かにこれまでの彼の本に比べるとスラスラ読めるという印象のある佐々木敦『シチュエーションズ』。おそらくは「3.11」という体験が、文脈として、書き手と読者とのあいだでひとまずの共有を得ているせいではないかとも思う。とりあえず第1章を読んでいてなんだか胃が痛くなった。これはネガティブな感想ではない。いろいろと触発されつつ、読み進めている。

 

 

Perfumeのライブに行こうぜという嬉しいお誘いもあったんだけれど、今何かを観てイェーイと盛り上がれるような気分ではなかったし、東京の中心地に行くだけの体力も失っているので、みなさんの足を引っ張ってはいかんと泣く泣くお断りすることに。結果としてクリスマスイブに何の予定もなくなったので、ひとり静かに過ごす。思い立って馬車道のベアードビールに行って、美味いビールとチキンをいただいた。

 

それから、山下公園〜赤レンガ倉庫のあたりを自転車で流してみた。暴走族がサンタの格好をしていて微笑ましい。象の鼻テラスでは相変わらず柴くんの映像が流れている。若いカップルに混じって、熟年の人たちも時々町を歩いている。何人かのおじさんカメラマンたちが、三脚を持ってイルミネーションをパシャリパシャリと撮っている。自転車に乗ったおじさんと何度かすれ違った。その人とは以前、黄金町のLOGBOOKを一緒に歩いたことがある。こないだの本牧のツアーパフォーマンスにも来ていた。おそらくは町というものに興味があるのだろう。同じ穴のムジナ、という言葉が頭をよぎる。

 

聖歌隊が通り過ぎていった。といっても白装束に身を固めてとかではなく、めいめいの服を着て、5人ほどのグループで自主的に歌っているように見えた。なんとなくやさしい気持ちになりながらその歌をしばらく聴いていた。

 

 

自分は今の生活にそれなりに満足している。もちろん向上心は捨てていない。ただ健康で文化的な生活はなんとか送れているし、静かに過ごせる時間もある。便利さだけでいえば圧倒的に高円寺に住んでいた時のほうが楽だったのだが、それなりの決意と期待を持って横浜に来たのだ。4月に怪我をしてからは「寂しい」という感情もほとんどなくなってしまった。あれで何か憑きものが落ちたという感じもある。といってそれが不感症だとか、何かに傷ついてトラウマ的にそうなっている、とかいう感じも特に自分自身ではしていない。より自分にとってふさわしいと思う方向には進んでいるような気がする。ただ人類の種の再生産という観点からするとこうした個体の振る舞いは大いに問題があるかもしれない。誰かと一緒に住むということをまったく夢想しないわけでもない。にもかかわらず現実には誰かと「付き合う」ということすらしていない。というかそもそも「付き合う」という関係がわたしにとっては不可思議なものになってしまった。2013年は自分の中にあった「所有」という感覚がいつのまにか消え去っていくような年でもあった。かといってこのまま何も無くなるとは思わない。子供を持たなかったロラン・バルトのことを考える。愛とはたぶん誰かと寄り添うことの中だけにあるものではないと思う。まあ単純に、いい人が現れたら「一緒になる」ということだって可能性としては全然残されているけど。

 

家にテレビがないので、偶然外で見るしかないのだが、こないだその偶然見たNHKのドキュメンタリー番組で、借金を抱えながら元女優の妻を介護する初老の男が取材されていて、本当に苦しそうだったし、正直なところ最初に感じたのは、こうやって人と連れ添うことは「面倒」だし、自分にはできなさそうということだった。しかし見ているうちに、ここで起きていることは「面倒」という言葉では簡単に片付けられるものではないとも思うようになった。それが何かは今は書かない(書けない)。人間が生きている現場にはつねに、わかりやすくきっぱりとした言葉からはこぼれ落ちてしまうものが存在している。

 

 

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