BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20130928 糸の城

 

誰とどんな話をしたのだったか。出身地はどこだっけ? あらためて聞けば、あ、そうだったねと思い出すのだが、その情報が幹として太く大きく忘れがたくなるまでちゃんと付き合えてないってことなのか。ある種、不誠実とも呼ばれうるこの健忘症を、多数の人間と付き合わざるをえない職業のせいにするのは簡単だけど、そもそも人格的な問題もあるのだろう。家族との縁が薄かったことのツケとか。まあそんな精神分析も安易だけれども、とにかく、ある特定の人と長い時間を共に過ごすのが得意ではない、というのは今のところ事実のようです。

 

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誰と、どこで、どのように生きていくのか? 『演劇最強論』に書いた論考「「以後」の世界の演劇」でも取り上げたこのテーマが、虫の息『糸の城』にも流れているように感じた。あの論考は東京デスロックの活動に大いに触発されたものでもあるし、『糸の城』作・演出の杉香苗は『シンポジウム』の演出助手も務めていたから、テーマに共通するものがありうるのはむしろ必然といえばそうかもしれない。

 

『糸の城』は「窓」から見える景色をモチーフにしたふたつの物語から成るオムニバス。特に第1話は意外に(?)古風とゆうか、良い意味で昭和文学的な匂いを色濃く感じた。共同体から切り離された人たちが、新しい時代の訪れを感じながらも、その流れにそぐわなさを感じている。ふすま一枚で隔てられた兄と妹の部屋。妹は中学生。兄はまだ未成年だが、自動車の部品工場で働く労働者である。趣味も友達もない。工場はかつては製糸工場であり、父が働いていた。父は毎朝、工場のそばにある鎮守様のところへ行って、家のほうを振り返る。家では窓から、幼かった頃の兄がその父の姿を見ている。だが妹はその毎日繰り返されていたやりとりを知らない。だがおそらくは、兄が想像している以上には、妹はいろんなことを知っている……。

 

(見えない)窓やふすまを隔てて、人と人との様々な距離が描かれていく。時系列はかなり前後に飛ぶので、リニアに(順番に)進んでいくわけではない。やがて妹の十糸子(としこ)は、本人曰く誰が子種だかわからない子をシングルマザーとして産み育てていくことになる。中学時代からの女友だちとの、つかず離れずの腐れ縁。……あらすじを書いていくとキリがない。劇構造としては、冒頭、まず年配の役者が朴訥とした訛り言葉で上杉謙信の伝説と田んぼの話をするところから始まるのだが、風景を喚起するその語りはとても効いていたと思う。全編にわたって、何度か役者がセリフを噛んでいたのがもったいなくは思ったけど、稽古をすればいい、とゆう単純な話でもなさそうで、ともあれ今のところこの作品の演出方針は、発話に関してフォルマリスティックな洗練を求めてはいないように感じた。むしろ隙がある。隙だらけだ。それは甘さや未熟さでもあると思うのだが、いっぽうで何か惹きつけられるものがある。特にヒロインの十糸子を演じた小野紗知の隙のある喋り口には、なんとなく聴いてしまうものがあった。それは『演劇最強論』に書いた俳優のヴァルネラビリティの問題にも通じるのではないかと思う。

 

第2話は、女とヒモの男(不法滞在者?)が生活する部屋に、どう見ても女の姿をした「犬」が転がりこんできて奇妙な共同生活がはじまる。隣の部屋には独居老人が住んでいて、たまに娘が様子を見に来るが、あえて孤独を望んでいるようでもある。老人はやたらと壁を叩いてわめき、隣部屋の共同生活者たちを威嚇する。しかしある意味でその喧嘩は、彼らにとってコミュニケーションの手段にもなっている。こちらはちょっとファンタジックな物語でもあり、川上弘美とか絲山秋子とかを少し思い起こした。

 

つまらない話をすると、これなら、ふたつの物語はもっと(演出上)キッパリ別れたものとして扱ってもいいのではないかと思った。

 

で、あまりつまらなくない話をすると、(戯曲上)ふたつの物語をもっと関連づけるか、あるいはどちらかの物語をもっと膨らませるというか、さらに糸をたどってその奥に行ってほしいなと思った。行くなら第1話のほうかな……(より困難そうだから)。自分自身はほとんど記憶がないけど、幼い頃にどうもこの物語に描かれていたような景色や雰囲気に触れたことがある気がする。『糸の城』は、そうした原風景にノスタルジックにアプローチするのではなく(懐かしさを呼び起こすことを主目的にするのではなく)、むしろもっと純粋に、かつてそこにあったはずのものに寄っていこうとしているように思った。つまり(この作品を観るかぎりでの杉香苗には)ノスタルジーよりも好奇心や探究心のほうを感じる。過去への懐古趣味は、思考をそこで止めてしまうけども、過去への好奇心や探求心は、現在そして未来を切りひらくのではないだろうか。そういう感覚を持った若い劇作家は自分の知るかぎりとても少ないようにも思う。劇作タイプの物語演劇にありがちな余計な気負いも感じなかった。シンプルな舞台美術もよかったし、匂いに関する某アイデアも面白かった。ただ、もうひとつ何か仕掛けがほしいとも思った。個性的な小道具ヒッチコックが言うところのマクガフィン的なもの)が強烈に存在するとか。

 

 

 

神楽坂を出て横浜に急行。山下公園氷川丸にて、渋さ知らズのライブ。これは詳しくは次の日の日記に書きます。終わってO嬢H嬢とフィリピンフェスタでビーフシチューなど食べながらまったりする。もはやこの人たちにはほとんど気を遣わなくていいのがありがたい(わたしがそう思ってるだけかも?)。夕暮れのみなとみらいを桜木町まで歩く。きれいですね。まあデートスポットだよねふつうに。そして横浜トリエンナーレサポーターのフリペのテスト印刷。疲れがひどいので基本的に山田さんにお任せしてうっぷして寝る。ごめんなさい。そういえば10年以上ぶりにかつての職場の仲間に再会した。最近そんな星回り。お元気そうで嬉しい。終わって吉田町のMIRAIでいつもの飲み仲間(?)に合流。だけどやっぱりあんまり飲めず、早めにタクシーで帰宅。鬼のように眠る。史上最強に猟奇的な夢を見る。何もそこまでしなくても、とゆうレベルだった。

 

 

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