BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20130630 新しい生き物

 

黄金町の駅前の立ち食い蕎麦屋で、ざるそばを食べながらテレビを見ていたら、羽田空港のそばでしじみが採れるようになったところ、その漁業権をめぐって争いが起きている、という話が放送されていて、それで「マームと誰かさん」の今日マチ子さんの回の、あの汚い河口の話などを想い出しながら、頭がぼうっとしていたので、そのあとチエン堂で会った竹本真紀さんにいきなり「しじみ……」と訳の分からないことを口走ってしまった。ほんとは「ひやむぎ」と言いたかったのだ(それもどうかと思うが)。

 

 

そして横浜トリエンナーレ課外活動・フリペ班で集まってLOGBOOKを体験してみる。いろいろ反省点や手応えなどもつかめる。心中ひそかに、あ、この人に編集長をお願いするのがいいかも、となんとなく感じていたら、あとで別の人から「○○さんが編集長をやるのがいいと思う」と同じ名前が挙がってきたので、うん、まあ、そういうことかな、と思った。果たして本人がやってくれるかどうか。任せてみたい。面白くなりそうな予感があるので。

 

若い人たちは希望だと思う。

 

ギリギリまで黄金町にいて、大急ぎでチャリンコを飛ばして大さん橋へ。しかも会場を間違えて絶望していたら、向こうから制作の(陽気な)植松さんが手を振っているのが見えた……。なんとか間に合う。

 

河村美雪の企画による『形と暴力が私をパレードする』。目に見えないサウンドボックスと、そこで触れられなかった音が死んで、それが幽霊のように群れを為して鳥となり、人にまとわりつく、といったようないわゆるAR(拡張現実)的なモチーフはすごく興味深かったし、個々の構成要素(音楽、映像、オブジェなど)もよかったとは思う。しかし、観ていて、システムの構造やルールを理解するのに「?」となり、どうしても意識をとられてしまうのがもったいなかった。いったん、もっとシンプルにそのルールを体感できるような仕掛けを経由するといいのでは? 現状だと、複雑なものになんとなく雪崩れ込んでしまって、結果として「雰囲気」に留まってしまっていると思う。いったんあえて構造を顕わにすることで、より複雑に生き物としてのオートポイエーシスを体現していけるのではないかなと。

 

そうやって新たな「生命体」を生みだしてしまうのは恐ろしいことにも思える。わたしは実は結構『スタートレック』が好きなので、こういう無機物から本当に生命体が生まれてしまう、という事態も十二分に起こりうると考えてしまう。そうした、新しい生命への畏怖があれば、このプロジェクトはもっとスリリングになるのではないか。あと、大谷能生が読み上げていたテクストにもあったように、あの下は海なのだ、という想像力を喚起する言葉も、この作品にとっては大事な部分なのかもしれない。

 

 

Oさんと、伊勢佐木町のいつもの中華で辛い鍋を食べつつ、あれこれと話す。意外な過去なども。人にはそれぞれの歴史があるのだと思うと不思議な気持ちになる。相当に疲れていたので、12時過ぎくらいには早々に眠ってしまった。