BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20130616 横トリ課外活動始動

 

横浜トリエンナーレ学校サポーター課外活動のガイダンス。フリペ制作チーム立ち上げに向けたプレゼンをする。4月のエクス・ポ企画会議@ニコ生以来のパワポ。さすがにあの時ほどには作り込まなかったけど、今回もけっこう遊び心を入れたつもりで、(たぶん)なかなかに好評だった。自分は文章で笑いがとれるタイプではないので、まあこういうプレゼンではちょっと巫山戯るくらいが楽しい気がする。特に若い人たちに対しては、常識に囚われなくていいよ(囚われるとむしろ良くないよ)ってことはことあるごとに伝えていきたい。

 

さてそして集まったフリペ制作チーム、イラレ使える人いなかったらどうしよう、とか思っていたけどまったくの杞憂だった。デザイン経験ありの人とか、美大生とか、が、集結しているので、その点に関しては心配なさそう。世代的にもバラけていていい感じ。

 

その暫定メンバーに「どういうことを取材したいか?」などと聞いていくうちに、情報公開や関われる回路などの点で、横浜トリエンナーレと町との関係はあまりうまくいっていないのでは?、という話がぞくぞくと出てきた。やっぱりこの問題は根深くあって、そのあと飲みに行ったお店でも、町の人からやはり同様の不満が出た。これはどの町でもきっとあることだけど、特に、ある種の歴史を持つ黄金町では強い軋みなのかもしれない。

 

そのことに対してけっして無関心ではないけれど、経験上、自分はあまり深入りしていかないほうがいいだろうと思っている。観察者に徹したい。引っ越す時にそう決めたのだった。といっても、外側から観察する、ということではない。そんなふうにはなりようもない。だって、わたしはほとんど家にはいなくて、昼も夜も、起きているあいだは、だいたい町に出て仕事をしているのだから(これを書いている今だってそう)。その場所に存在しながら観察する、という道がきっとあると思う。

 

アートと町が仲良くするにこしたことはない。近年の様々な土地でのアートプロジェクトもまた、基本的にはその道を探っているのだと思われる。けれど、どんな土地でも必ずや抵抗はある。どこに行っても。それでふと思ったのだが、そもそもアートは町に(通常の回路では)馴染まないのだ、という見方も視野に入れておいたほうがいいのかもしれない。仲良くはできない、しかし、関係を持てる、という可能性もあるのではないだろうか。必ず軋みは生じる。それを繋ぐ回路は様々だと思う。人間関係だったり、端的に作品の強度だったりもするだろう。偶然性もある。というか、出会えるような偶然性をいかに担保できるか(柴幸男くんが最近取り組んでいるのはこれだ)。回路はおそらくひとつではないし、ひとつではないほうがいいとも思う。

 

フリペ班がどんなメディアを立ち上げていくかは、まだわからない。ただもしかすると、横浜トリエンナーレのサポーターの活動、ということに留まらず、横浜の様々な芸術活動と町の人々とを繋ぐものとして、ひとつの大事な何かになる可能性もあるかもしれないと、この日集まった人たちの話を聞いていて思ったのだった。いろんな人たちがいる。みんなリアリティが違う。横浜に住んでいる人もいれば、別の町に住んでいる人もいる。そうした人々すべてに、関われる(出入りできる)権利がある。そういうメディアになればいい。メディアというのは「器」なのであり、誰のものでもない。誰かの所有物・専有物ではなくて、いろんな人が出入りできるような「器」になるのが理想だ。もちろん理想の前には様々な現実が立ちはだかるだろう。しかし、やってみなければわからない。