BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

彼に捧ぐ

 

馬鹿みたいに泣いています。


気づくと彼の名前で検索してしまう。本当にたくさんの人に愛されてたんだな。そしていろんな顔を持っていたんだな、と思います。でも彼は彼、いつも、危口統之だった。


わたしにとっては、思想哲学の話をはじめ、労働とか、人生とか、文学とか、歴史とか、の話を、実践(つまり芸術)と結びつけて話せる、かけがえのない友だちでした。友だち、という言葉を、わたしは安易に使いたくなくて、生前、我々が、そういう言葉によってお互いを認識していたかというと、それは微妙です。アーティストと批評家、という緊張感はやっぱりあった。いやそれも違うか。少なくともわたしは彼といる時に緊張はしなかったから。ただそれぞれの矜持は崩さない、という暗黙の約束はあったような気はします。


つい10日ほど前、彼が生きているうちに、最後に、悪魔のしるしについて書いた文章を読んでもらえたのは、せめてもの……と思いつつも、同時に、死の淵にいる人に言葉を書くということがいかにおそろしいかも、思い知りました。あまりにも早かった。もっと一緒にやりたいことがあった。


この写真は2016年4月23日、武蔵小山の路地裏にて。このあと雨が降って来て、夜になって閑散としているアーケード商店街のほうに麻雀卓ごと移動して、堂々と打ったのでした。ほんとうに馬鹿馬鹿しくて最高に愉快な夜だったなあー。道ゆく人たちが足を止めて覗き込んでいった。あたしむかし銀座で雀荘やってたのよ、っていうおばあちゃんとか。危口くんには、あの生来の気難しさ(?)にもかかわらず、人をその懐に招き入れるところがあった。それは、彼がつねにフェアだったからじゃないかと思います。彼はなんの「正義」も前提にはしなかった。人間がそれぞれに違うということを思い知っていて、でも、他人である人間と、その営みと、そこに付随する愚かさを愛していたんじゃないか。それは彼の作品にもよくよくあらわれていたと思います。わたしは彼のことも、彼のつくるものも、大好きでした。涙がとまらないです。

 

 

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日記

  

twitterで物議を醸していることの、発端のひとつになったTPAM初日のシンポジウムについて、わたし自身はそれほど損害をこうむったわけではないけれど(おそらく何人かの誤解は招いているだろう)、良くないイメージが先行してしまったな、と憂慮している。こうした互いへの軽蔑は、結局、言論する人間自身の首を絞めていくことになるだろう。それぞれの言い分がそれなりに正しかったとしても、全体的には良くない方向に向かうことがあるのだ、ということを、我々はそろそろ自覚しないといけないだろう(一種のゲーム理論のように)。我々はすでにそれぞれトランプ化している。鏡を見て、ひと呼吸置いて、そんなふうに思ってみる。
 
 
殺伐とした議論(?)の結果として、それぞれが何かにコンシャスになるのならそれでいいとも言えるのだが、わたしは、SNSで批判がお手軽になり、みなが自分の信じたいものだけを信じるようになったポスト・トゥルースとか呼ばれるこの時代にあって、事実が伝言ゲームのようにねじ曲がり、その場にいなかった人たちにその歪曲されたイメージのみが伝わっていくということが、やっぱり、気持ち悪いと思う。だからあの場に6時間居合わせた人間として、そもそも何が起きていたかという事実(にかぎりなく近いもの)をブログに書こうかとも思ったけど、数行書いて、楽しくない、という抵抗感が強くて、やめてしまった。記憶のあるうちにきちんとしておかないと後々に禍根を残すかもしれないけれども。何人かとはいずれ会って話せるだろうけど、何人かはそのまま、ということになってしまうだろう。それもまた人生、と割り切っていいものなのかどうか。
 
 
矢面に立つ人間にはなかなかしんどい時代になってしまった。我々は、歪曲されたイメージが誤配されることに常に気を配っていかなくてはいけないのだろうか。それはあまり幸福なこととはわたしには思えないし、体力的・精神的にも我々を蝕んでいくことになるだろう。「悪い場所」はいよいよ悪い方向にアップデートされてしまった。他者への無用な軽蔑がこれ以上蔓延しないことを願う。
 
 
最近、身体の健康のことをよく考える。少しずつ死に近づいていく友人の日記を読み、わたしは生きなければならない、と思った。生きたい、ではなく、生きなければならない、と感じてしまったのがつらいところだ。この世界には楽しいことがたくさんあるのに、なぜわたしはそれを享受しようとせず、何かの義務感のような形で人生を捉えようとしているのだろうか。愚かなことだと思う。しかし愚かなことだ、と一蹴できないくらいには、様々なしがらみや業のようなものを引き受けてしまっている。立場的に。では、立場、とはなんだろうか? それは本当に捨ててはいけないものなのだろうか? TPAMが終わった次の日に、わたしはネスとラルフと長い時間を過ごした。我々はホッピーを呑み、デュッセルから来たチェルフィッチュを呑み(あ、修正、キレピッチュです!)、城崎から届いたにごり酒を呑んだ。いい時間だった。心からやすらいだ。わたしが今後「家族」と呼ばれるものをつくるかどうかはわからないけど、彼らはまるで家族のようだった。いや親戚くらいの距離感ではあった。まあいい、別に名前なんてつけなくてもいい。早くマニラに行って、彼らに再び会って、あの太陽を感じていたい。
  
 
もうすぐ岸田國士戯曲賞の選考会があり、わたしも同時刻に予想を「演劇最強論-ing」で発表する。今回はノミネート全8作がウェブで公開されたので、徳永さんとの予想対談を読む人の目もそれだけ厳しくなるかもしれない。逆に、ああ、なるほど、上演と戯曲はこう違うのか、とか思ってもらえるのかもしれない。何にしても、矢面に立つということは一定数以上の批判に晒されることになる。3月は公開の場でのトークもいくつか引き受けてしまった。これもまた批判に晒されるということだろうか? 楽しい会にしたい。なぜなら、人と人が顔を合わせて集まり、言葉を交わすということは、素敵なことであり、今や、貴重なことだと思うから。

 

 

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日記

 
自分の身体が今、期間限定の病を脱してみるみる快復していくのを知って、それをどこか素直に喜べないのは、おそらく、罪悪感だ。だが何の「罪」なのか。そこに「罪」を感じるとは、なんておこがましいことだろう。何様のつもりだろう。……とか考えていたところで、この日記を読んだ。

 

「もっと大きな大きな視点でみれば、きれいにつりあいがとれたかたちをしているのかもしれない。無限回振り続けることができるなら、サイコロの出目の確率はそれぞれ均等に六分の一だ。しかし僕たちにとってこの世は、そして生は有限なものだ。だからどんなに薄めていっても、均していっても、どこかで偏りが生じる。この有限性を肯定したい。」疒日記3

 

note.mu

デュッセルドルフ滞在記2-40

 

月曜日。憂鬱と隣り合わせの時期がついに過ぎた。ドイツ人の感情に少しだけアクセスできるようになった。

 

Monday. Melancholy time has passed. Now I’ve become to access German feeling a little.

 

(by Google Translation based on English...) Montag. Melancholische Zeit ist vergangen. Jetzt habe ich Zugang zum deutschen Gefühl ein wenig.

 

 

デュッセルドルフ滞在記2-39

日曜日。オーバーハウゼンの平和村へ。戦争の害は子どもたちの身体を蝕む。それでも生きていく子どもたちに、元気をもらった。『演劇クエスト』の執筆が一気に進む。

 

Sunday. I went to the Friedensdorf international in Oberhausen. Harm of wars hurt bodies of children. However they continue to live. I got vigor from the children. Writing of “ENGEKI QUEST” was advanced very much.

 

(by Google Translation based on English...) Sonntag. Ich ging in die Friedensdorf International in Oberhausen . Harm von Kriegen Leichen von Kindern schaden. Doch weiter sie leben. Ich habe Kraft von den Kindern. Das Schreiben von "ENGEKI QUEST" war sehr fortgeschritten.

 

https://www.instagram.com/p/BLV6odHj1co/

 

デュッセルドルフ滞在記2-38


土曜日。エラーへ行くも、不調。この町の魅力をまだ掴むことができない(なんとなく好きなのに)。夜は悪友たちと無尽蔵に呑む。いいリフレッシュになった!

 

Saturday. I went to Errer, but that was not so well. I couldn’t grasp the charm of this town (however I like there). In the evening, I drunk a lot with my nice friends. It was good refreshment!

 

(by Google Translation based on English...) Samstag. Ich ging zu Error, aber das war nicht so gut. Ich konnte nicht begreifen den Charme dieser Stadt (aber ich mag es). Am Abend habe ich viel mit meinen netten Freunden getrunken. Es war eine gute Erfrischung!

 

https://www.instagram.com/p/BLWTCIRj8Hu/

 

デュッセルドルフ滞在記2-36

 

木曜日。ニッポン・パフォーマンス・ナイトのプレ企画があった。ニュースダイジェストに大きなインタビュー記事が載る……。びっくり。

 

Thursday. The pre-event of Nippon Performance Night was held. My interview was published on Doitsu news digest... Surprised.

 

(by Google Translation based on English...) Donnerstag. Die Vorveranstaltung der Nippon Performance Night fand statt. Mein Interview wurde auf Doitsu news digest veröffentlicht... Überrascht.

 

https://www.instagram.com/p/BLPOAINDRJr/

 

デュッセルドルフ滞在記2-35

 

水曜日。都市には様々な綻びがある。それらは人間が生きた証でもある。

 

Wednesday. There are various bankruptcy in a city. They are traces of human living.

 

(by Google Translation based on English...) Mittwoch. Es gibt verschiedene Konkurs in einer Stadt. Sie sind Spuren des menschlichen Lebens.

 

 

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デュッセルドルフ滞在記2-34

 

火曜日。ティーンたちの秘密の遊び場を知る。孤独を埋めることが幸せだ、とはわたしは思わない。

 

Tuesday. I found a secret play spot of teenagers. I don’t hope to fill my solitude.

 

(by Google Translation based on English...) Dienstag. Ich fand einen geheimen Spielpunkt von Jugendlichen. Ich hoffe, nicht meine Einsamkeit zu füllen.

 

 

https://www.instagram.com/p/BLKBwHZDzDX/

https://www.instagram.com/p/BLKJ27IDoVt/

 

デュッセルドルフ滞在記2-33

 

月曜日。ドイツの壁が消えた日。村の中を歩き回った。憂鬱について。言語の越境について。

 

Monday. The day in which "the wall" of Germany has disappeared. I was walking around in a village. About melancholy. About crossing above languages.

 

(by Google Translation based on English...) Montag. Der Tag, an dem "die Mauer" von Deutschland verschwunden ist. Ich war in einem Dorf herumlaufen. Über Melancholie. Über oben Sprachen kreuzen.

 

 

https://www.instagram.com/p/BLFRPEwjDa9/

 

デュッセルドルフ滞在記2-32


日曜日。この都市では複数の言語に毎日触れる。ほとんどの言語は理解できない。けれど、相手の目を見ることはできる。


Sunday. I hear various languages in this city every day. I cannot understand almost. But, I can gaze the eyes.


(by Google Translation based on English...) Sonntag. Ich höre verschiedene Sprachen in dieser Stadt jeden Tag. Ich kann fast nicht verstehen. Aber ich kann die Augen schauen.

 

 

デュッセルドルフ滞在記2-31

 

Samstag. Ein monatiges jahrestag. Fußball und Musik. 1 3 Trotzdem wäre diese Melancholie was? Ich bin sicher, dass es den geheimen Punkt von ENGEKI QUEST gibt. Ich traf wieder einen schönen Kurator, der mich aus dem Gefängnissaal rettete.


土曜日。1ヶ月目の記念日。サッカー、そして音楽。わたしはドイツを楽しんでいる。にもかかわらず、この憂鬱は何だろう? きっとここにENGEKI QUESTの秘訣がある。美しいキュレーターに再会。わたしをトイレの牢獄から救ってくれた女性。

 

Saturday. one month anniversary. Soccer and music. I have enjoy Germany days. Nevertheless, this melancholy would be what? I'm sure there is the secret point of ENGEKI QUEST. I met again a beautiful curator who rescued me from the prison toilet.

 

https://www.instagram.com/p/BLCcxXrDmjv/

https://www.instagram.com/p/BLCdQpBDxbq/

 

デュッセルドルフ滞在記2-30

 

Freitag. Ich bitte um Unterweisung des jungen Fotografen. Über das Zusammenbringen. Schöne Mädchen mit schmalen Schulter. Haselnuss-Likör.


金曜日。若き写真家に教えを乞うた。出会いについて。肩幅の狭い美しい女の子。ヘーゼルナッツのお酒。

 

Friday. I beg for teaching the young photographer. About matching. Beautiful girl with narrow shoulder. Hazelnut liquor.

 

https://www.instagram.com/p/BK_6f_LjVF5/