BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

マニラ滞在記3 17日目(2016/6/1)


いよいよKARNABAL当日。朝、滝のような雨が降ってくる。JKやクライドは、God blessだと言う。彼らも今日ばかりはナーバスになっている、と口では言うけれど、相変わらずのようにも見える。

 


冒険の書」をもう仕上げないといけないので、頭を最終整理するために以下を書く。

 

特にここ数日、言語的にわたしは混乱状態にある。JKやアーロンと話していても文字がちらついてしまう。日本でつくる時も最終執筆時はそうなるので、いつものことと言えばそうだけど、問題はここでは会話に集中できないと格段に英語のコミュニケーション能力が低下する、ということで、なんとなく呑みながらJKに「そういう状態なんだよね」という話をしてみた。

 

今回の『演劇クエスト』はこれまでと違って語り手(I am...)がはっきりと登場する。自分はalienだと名乗るのだが(I am an alien)、そのアイデアをJKは気に入ってくれた。言語的に不完全な英語で書くということ。というのはもし仮に流暢な英語で書いたとしても(できないけど)、それはフィリピーノのエモーショナルDNA(去年ジュリア・ネブリハから示唆された概念)に触れることはできないだろう。それならば、英語は不完全なツールにすぎない、という認識に立った上で、参加者に何をイメージさせることができるかが鍵になる。「冒険の書」に書かれるインストラクションはそのイメージが発露するための刺激さえ与えられればよいのだが、今回はレトリックが充分には使えないから、いつにも増してランドスケープの力を借りていくほかない(borrowing landscape)。りっきーの言葉を借りれば「絵本」に近づいていくことになるだろう。

 

冒険の書」は観光ガイドブックではないし、歴史の教科書でもない、あくまでもあなた自身のイメージを喚起し、それらを交換しあうためのシステムなのだ、という認識をあらかじめ共有しておいたほうがいいかもしれない。

 


KARNABALのオープニングは50分ほど遅れて始まった。今年はシパットのメンバーがマルコス一家をはじめとする政治家たちに扮している。一種のモノマネ。まあでも最終的にはみんなで壇上で楽隊の音楽に合わせて踊りまくる、ということにやっぱりなるので、メイクとか溶けてぐちゃぐちゃだったけど。

 

そのあとはシパット・ラウィン・アンサンブルによる『HARING+UBU-L GRAND SHOWDOWN』。タガログ語での上演。王殺しの話で、『マクベス』が下敷きかと思われる。JKたちは6年前にも上演しており、それはフィリピン国内の政治状況のアレゴリーにもなっていたようだ。今回は稽古なし、その場で台本を手にして演じていく。さっきまでフェルナンド・マルコスを演じていたJKは、今や王殺しを唆す妻の役である(かなりかわいい)。そしていくつかの役割は、観客の中から立候補した(もしくは半強制的に選ばれた)人々が担っていく。

 

内容的には、性器を模した気味の悪い小道具をつかっての露骨な性描写あり、血や精子を模した液体が飛び乱れる、といったていで、前方の客席にいた人々はほぼ赤い水の攻撃を受けて全滅……という凄いものだった。でもなあ、特に怒ったりもしないんだよなあ……。終わった後JKが笑いながら、これは日本でも上演できると思いますか?と訊かれて、「NO」と即答してしまった。バナナ学園=革命アイドル暴走ちゃんのことをもちろん想起した。ちなみにJKは旧バナナ学園の存在を知っている。

 

(そういえば、舞台上に引っ張りだされた石神ちゃんが、ポットの中に入った糞(もちろんイミテーション)を指につけて舐めろと命じられた時、彼女は「あなたの指ですくってもらってそれを舐めてもいいか?」と提案し、実行したのだった。ああ、この人フィリピンに来ていい意味で狂ったな、と思う。)

 

小道具のほとんどはいかにも手作りといった感じだった。フィリピンではごくかぎられた劇場を除いては、設備が乏しい。創作資金もほとんどサポートがない現状で、コマーシャルシアター(商業演劇)以外でやっていくとなると、手作りしかない。こういうのはヨーロッパの美的感覚からするとちょっと受け入れ難いものがあるかもしれないが、ここではそうやっていくしかない。このことは、「新・演劇放浪記」の坂本ももちゃんインタビュー(http://www.engekisaikyoron.net/sakamotomomo/)にあった「なぜ範宙遊泳が現時点でヨーロッパよりもアジアに売れているか」という話とも繋がっているように思う。ここフィリピンでは、だからこその表現(肉体を直接的に使ったり、観客とのインタラクティブな関係構築をしたり)が発達しつつあるのではないだろうか。実際、女装したJKが所狭しとパワフルに動きまわる姿は魅力的だった。

 

 

もうひとつ重大な話。武田・石神両氏とも認識を擦りあわせたのだが、KARNABALがシパット周辺からどれだけ外に広がりを持っているかというと現時点ではまだまだということ。りっきーはジョンを通して映画人との繋がりも生まれているし、石神ちゃんは98Bの協力も得ている。そういう形で異ジャンルの人々とのネットワークは生まれつつあるけれど、ではそうした外部の人々が積極的にKARNABALに参加できているかといえば、果たしてどう参加したものか、と戸惑っているのが現状ではないかという。これはしかしジャンルによる美学的なセンスの違いというのはどうしてもあるから、そう簡単な話ではないのだけれど。

 

ひとまず今回の滞在では、KARNABALから一歩距離を置いた立ち位置も確保しておきたい。だからこそ「alien」として登場する。8日のトークのテーマも"Experiencing ENGEKI QUEST: the invisible walls separating this world”にした。つまり、この世界を隔てている見えない壁について。これは今回の『演劇クエスト』のテーマであり、秋のデュッセルドルフ編にも引き継がれていく問題意識になりそう。でもよくよく考えてみたら、最初の三浦半島編からしてまさにこのモチベーションによってつくったのだった。

 

 

 

 

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