BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

マニラ滞在記3 10日目(2016/5/25)


朝、カフェTHEO’Sでお気に入りのスムージーを飲みながら、ナボタスに行くかどうか熟考する。結果的に、うん、たぶんこの流れは乗っていい、となった。理屈をつけるのはやめた。りっきーと合流する頃には不安や迷いは消えていた。

 


トライシクルとジプニーを乗り継いで、カムニン(Kamuning)からナボタス(Navotas)行きのバスに乗る。モニュメント(Monument)のあたりでバスは迂回し、細い道を走っていく。このあたりの生活者の足になっているのだろう。料金徴収のおばちゃんが精力的に動き回っていて、もはやパフォーマンスの域。ひっきりなしに喋ってるし。途中で物乞いが乗り込んできて何かスピーチしたけれど、どんなストーリーを語ったのか、タガログ語なので聞き取れなかった。もっと勉強しなくちゃな……。

 

 

ナボタス入り口のカフェで休憩。wi-fiもある。りっきーと心構えの確認。できるだけ動画を撮ってほしいと頼まれる。そうね……でも確約はできない。こちらの身の危険ってこと以上に、動画を撮るという行為がナボタスの住人たちに対して搾取や無礼になるようだったらやっぱりやりたくない。しかしいずれにしても余所者が入っていくだけで多かれ少なかれさざ波は立ててしまうだろうし、その暴力性を自覚した上でどう判断していくか……。りっきーもそこはよくよく理解しているので、様子を見つつ、無理はしない、ということに。

 

ジプニーでサン・ホセ・パリッシュチャーチ(教区教会)まで行き、パスクアル・ストリートまで歩く。映像で観たあの墓地があり、少し緊張しながらも入ってみることに。遠くに海が見えていたので、もし誰かに何か訊かれたら「あの海を見たい」と言うことにしよう……。

 

少し歩くと「韓国人か?」と訊いてくる墓守がいる。「家に招待するよ!」と言われたのだが、うーむ。まあそこまで危険な匂いはしないので誘いに乗ってみることに。彼は家族と一緒に墓石の中に住んでいた。2m☓2mくらいしかないのでは? こんな狭いところに……。そのうちやはり「お腹が空いた、パンかスナックでもない? それかお金」とぐずり始めたが、そう簡単にあげるわけにはいかない。

 

そこに集まってきた男の子たち、ジェロームとエスカーロとアラアラに、海が見たいと告げると、案内してくれたので、そのタイミングで墓守の家を脱出。3人の中ではおそらく年長と思われるジェロームはかなり英語を話せるので、タガログに通じない我々ともいろいろな意思疎通ができる。台風の時は近くの小学校に避難するんだ。少年グループがこのへんにいくつかあって、抗争もある。だから緊急の時のために家には銃も置いてあるんだよ。……うーんそれは使わないでほしいな。なんで喧嘩するの?、と訊くと「わかんない。もうすでにしてたからね」……遠くからカラオケの大音量が聞こえてくる。カラオケはポピュラーなのかな? うん、毎晩呑んで踊ってカラオケしているよ。サリサリストアでレッドホースを買うんだ。

 

りっきーが唐突に「君の夢はなんだい?」と訊く。彼は船乗りになるのが夢で、いつかいろんな海に行ってみたいと話してくれた。

 

 

浜辺はゴミでできているのだが、子供たちは意に介さず、その海に飛び込んで泳いでいる。風が吹いている。心地よい、と思った。海の匂いがする。

 

 

ジェロームたちと別れて歩いていくと、向こうから葬式の列がやってくる。音楽を流しながら車で棺桶を運び、その後に白いTシャツを着た人たちがぞろぞろ後をついていく。思わず死者の冥福を祈りたくなるが、「祈ったら取り憑かれる」という話を映像で聞いていたので、祈らないように努力する。それはけっこう難しいことだった。

 

墓地の入り口まで戻ると、チョイサンという人物が親しげに話しかけてくる。妹が日本でしばらく働いていたらしく、たまに日本語が混ざる。環境警察(environment police)の仕事をしているそうで、免許証も見せてくれた。「ここは子供が多すぎるからね、環境維持が大変なんだよ……」

 

人間は住む場所は選べるが生まれる場所を選ぶことはできない。さっきの墓守が、遠目からじっとこちらを見ている。彼はさっき何もあげなかった我々に失望しているんだろうか? 目線で挨拶すると、墓守は黙ったまま、頷き返してくれた。

 

 

隣のバランガイ(地区)にマリアの家はあるはずだが、りっきーが前に連れていかれたというバランガイオフィスを尋ねてみると、この住所ならあっちのほうだから行ってみなさいと爺さん婆さんに言われる。てくてくバランガイに入っていく。どういうわけかりっきーもわたしもいざという時は歩調がゆっくりになる。ゴミが剥き出しておりハエがたかっている。子供たちは異物としてやってきた我々を見て大喜びで、何人か後をついてくる。めっちゃかわいい。

 

通りすがりの自転車おじさんに住所を見せると、案内してあげるよと言って、ある建物の前に連れていかれる。りっきーは、うーん、ここは記憶と違うんだけどなあ、とぼやいているが、とにかくおじさんはここで待っていろと言って去る。ふと隣の建物を見やると、なんとここでも麻雀が! しかもこの前マリキナで見たのとはまたちょっと違うルールのように見える。麻雀に興奮するわたしを見て、子供たちも「マージョン、マージョン!」と口々に騒ぎ始めた。女の子のつけているイヤリングが可愛いので、褒めてあげると恥ずかしそうに喜ぶ。そうこうするうち、さっきの自転車おじさんと一緒にマリアばあちゃんがゆったりと歩いてきた。

 

この建物は家ではなくこのバランガイの小学校であり、だからりっきーの記憶と違っていたのだ。マリアばあちゃんはりっきーを大歓迎している。いったいこの2人の親密さはどうやって育まれたのだろうか……? マリアの家へとゆっくり歩いていくあいだにも、周囲からは好気の目で見られている。しかし今や我々は招かれざる客ではなく、正式なバランガイの客人として認められたのだった。「フィリピンへようこそ!」と声をかけてくれる住人たちも何人かいたが、今思うとそこには「この貧しさがフィリピンの本当の姿だよ。ようこそ!」という一種の皮肉が込められていたのかもしれない。

 

マリアの家は路地からさらに細い道を入った先にあり、薄暗いし天井も低い。一見して貧しい暮らしなのは明らかだが、スマフォも置いてあるし、電気も通っている。貧しいでしょう、ここはとても貧しいの、と寂しく笑うマリア。それなのに、パスタや、さっき路上で買ったライスケーキ、さらにはアイスやコーラまで出してもてなしてくれる。子供や孫がどやどやと入れ替わり立ち代わり入ってきて、この家はずいぶん賑やかだなあ。そしてかわいいなあ。

 

 

しばらくまったり過ごした後で、りっきーが、「タコを獲りたいんですけどこの辺で獲れますか?」と本題を持ちかける。この辺の人たちは「オクトプス」と発音するのだが、「オクトプスはそもそも滅多に獲れないし、雨季が終わらないことには無理だよ」との答え。結局、じゃあ9月にまたここに戻ってきますね、とりっきーは約束することになった。

 

「あなたは何の仕事をしているの?」と訊かれたので、演劇の批評家だと答えると、ジョアナが目を輝かせて、私の夢は、舞台の一部になることなの、でも舞台ってほとんど観たことないし、何から学んだらいいかもわからないんだけどね……そう言って彼女は、はにかみながらも歌ってくれる。とても美しい歌声だった。きっと『かもめ』のトリゴーリンも、けっして疚しい気持ちだけでニーナを籠絡したのではなくて、ある種の純粋な感動をもって彼女のことを愛おしく思ったのではないだろうか、と思った。

 

ジョアナはかなり英語が堪能で、「動画を撮ってどうするの?」とりっきーに訊いてくるが、彼は例によって(おそらく英語をきちんと理解していないがゆえの)適当な答え。うーん、今日はやりとりになるだけ口を挟まないように(彼には彼のやり方があるので)と思いつつも、この点についてはしっかり答えたほうがいいよと伝える。それで説明を始めたりっきーの話は全然要領を得なくてわたしにはさっぱり理解不能だったけれど、彼女たちには何かしらの真心(?)が伝わったようだから、ひとまずこの場としてはいいかと思う。ひとまずは……(葛藤が消えることはないだろう)。おそらくりっきーはこういう彼なりのやり方で、5ヶ月ものあいだ、この国で生き延びてきたんだろうな。わたしとはやり方は違うけど、それはそれで尊重したい。

 


帰りはジョアナとササキがジプニー乗り場まで送ってくれる。ジプニーのおっちゃんも気さくで、なぜかハイタッチ……。最後までナボタスの人々は温かかった。

 


フィリピンにおいて外国人が危険な目に遭うパターンは、わたしが知るかぎり3つある。「テロリストによる誘拐」「ビジネスマンのトラブル」「痴情のもつれ」。……つまりスラムはこの種の凶悪犯罪とは関係ないのではないか、というのが今のところのわたしの仮説だ。「スラムは危険だ」というイメージは、貧困層への偏見や差別によって捏造されたものではないかとも思う。

 

貧富の差は、溝を生み、人々を分断する。マリアが「ケソンシティの人たちはお金持ちよね」と口にする時、そこには複雑な感情が込められているのを感じる。けれど、ルサンチマンということではなく、むしろそれは、良くも悪くも、ある種の達観に近いものだった。なにしろ5人の子供と16人の孫(!)を、齢82になるまで守ってきたのだから。『百年の孤独』のウルスラをふと思い出す。

 

マリアの末裔たちに幸福が訪れますように。

 


フィリコーアに着く頃には大雨が降ってきた。よりによって屋台でマミを食べる。スパイシーな旨味のあるマミは20ペソ。美味い。仕事帰りと思しき人たちが美味そうに腹を満たしていく。雨で服がびしょ濡れていくが、それもまたよし。不思議なことに、その濡れた身体は、自分のものではない何かにも感じられる。

 

ナボタスのあの子たちは、今頃この大雨の中、どう夜を過ごしているんだろう。

 

 

 

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