BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

マニラ再訪日記21日目

 

木曜日。今回のフィリピン滞在中はあまり夢を覚えていないのだが、なぜか今朝は色濃くイメージが残っている。夢の中での主要言語は英語だった。今回は適度に力を抜いたせいか、前回滞在時のようなイングリッシュ・パニック(もう英語なんて喋ってやるかふざけんな!な状態)は訪れなかったし、むしろ英会話のトレーニングになったとも思う。

 

フィリピンは山岳地帯でも英語がかなり通じる珍しい国で、もちろんそれは、米西戦争の結果としてアメリカがスペインからこの国をまるごと買い取り、聖書などを通じて英語を普及させたという植民地政策の痕跡でもある。

 

アテネオ大学の学生たちのパフォーマンスに不満を覚えたのは、彼らが、宗主国であるアメリカ的な身振りを舞台上で無邪気に真似していたことにもある。公用語とはいえ、後天的に習得しなければならない英語を流暢に喋れることが、エリート階層の証にもなる、ということは理解できなくもない。しかしそこにすでに存在している格差・ヒエラルキーや、みずからの言葉や身体に刻まれた痕跡に対して、まるで無批評な人たちに、未来を託せるとは思えなかった。

 

もちろん植民地主義への反動として「フィリピンらしさ」を追い求めるのもそれはそれで危うい。そもそもこの島嶼国をひとつの線で囲い込むことに無理があるのかもしれないし、国家のアイデンティティが必要という考え方自体、すでに西洋近代的な思考のフレームに毒されている恐れもあるのだから。タガログ語で政府を意味する「gobyerno(ゴビエルノ)」という言葉はまさにスペイン語そのものだし、曜日を表す言葉もスペイン語のそれを転用している。曜日という概念もまた、スペインとその宣教師によって持ち込まれたのではないか。人間が生きて海を越えて何かを交換し合う以上は、文化は混ざるし、変化していく。まったく他者の影響を受けていない純粋無垢な状態を想像することは難しい。

 

もしも「フィリピンらしさ」なるものがあるとしたら、複数の、言語、民族、宗教が混在し、そして数々の困難を抱えながらもどうにか共に生きているという、このまだら模様の(ハロハロと称されるような)多種多様ぶりがそうなのかもしれない。同じコーディリエラの山岳地帯であっても、村ごとにまったく雰囲気が異なるように。

 

ポリス山の山頂で、バグネン村の子供たちと、隣り村の子供たちが、緊張関係を保ちながらも交流していた姿が思い起こされる。

 

 

イェンイェンとサラ、そしてクリスに見送られてタクシーに。エアコンは壊れているし、運転手はお喋りだし、途中ことわりもなくトイレとか寄るし、例によっての凄まじい渋滞で、ほとほと疲れてしまう。まあこの生活ともしばしのお別れ。日本に帰ればきっと、快適な生活と、そしてその代償としての何かが待ち受けている。


成田に着くと冷たい空気に包まれる。YCAT行きのバスに乗ると、従業員たちがみなバスに向かって深々と頭を下げる。日本に帰ってきた。誰かひとりくらい、そっぽを向いてタバコを吸っていても問題ないのだが。残念ながら、日本の市営バスの運転手が、運転席をDJブースにするような日はやってこないだろう。すでにマニラのあの暑さや混沌ぶりを懐かしく思う。またすぐ5月に訪問するのでそんなに寂しくはないけれど、もしもあちらに帰りたいという気持ちを強く持つのであれば、あちら側を「ホーム」と呼ぶことだって不可能ではない。結局自分にはそんな勇気はないだろうと思いつつ。

 

とにかく刺し身を食いたい。新鮮なやつを。