BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

本牧アートプロジェクト2015を終えて

 

(以下、Facebookに投稿したものの転載です)

 

御本人を知らない人が読んで何か変な勘違いとかされるのはイヤなので、だいぶためらいましたが、佐藤ヤス君のこの投稿には、本牧アートプロジェクト2015の感想(?)として非常に重要というか、わたし自身が演劇や芸術と関わるうえでいつも考えている、とてつもなく大事な何か、が書かれている気がしたので勝手ながらシェアします。

 

佐藤 泰紀 12月13日 12:37 Facebookより


昨日、本牧アートプロジェクト2015のプログラム、JKアニコチェ & 多田淳之介『GOVERNMENT』。途中、誰かが言った「とても高学歴な(意識が高い?)方達ですね」という言葉を引きずりつつ、終演後に自宅最寄りのやきとん屋に入る。隣のテーブルに20代前半くらいだろうか、幼馴染らしき男が3人。途切れないチェーンスモーク。そのグループにあとからやってきた女性が1人。誰かの彼女かと思ったけれどそうでもない。興が乗っているのか、飲んでいる酒のグラスにタバスコを大量に入れ、店員にタバスコがなくなったと声をかける。常に笑い声は絶えない。いつからか女性の声が聞こえてこなくなる。同じくらいのタイミングで一緒にいた妻も喋らなくなり、居づらくなったから店を出ると、「さっきの女の子が目線で助けを求めてきた」と言う。彼女に私達ができることはあったのだろうか。彼らはきっと今後も劇場には来ないだろう。ところで『GOVERNMENT』の冒頭、「今の政府に満足している人は挙手してください」と観客に投げかけられたのだが、その日の観客は誰も手を挙げなかった。JKアニコチェはその様子を見ながら笑顔が絶えない。先月、JKアニコチェと同じカンパニーの女性と会ったときに聞いたマニラの様子、本牧アートプロジェクト2015のプログラム・ディレクターから聞いたマニラの様子などを反芻しながら、政府への満足/不満についてもう一度考えている。いったいどの国に行けば満足できる政府があるのだろうか。満足と不満のバランスはとめどもなくエントロピーのように増大し続ける。 

 


ぶっちゃけ、まさに今この瞬間、武蔵小山の立ち呑み屋で、隣にいるハタチそこそこの男の子2人がいわゆるネトウヨ的発言を大声でしていて、酒がまずくなるわい、と思いながら、しかし30分くらいじっとガマンして聞いていると(坂本龍馬が好きとか、高知県出身者としては簡単に言われたくない)、ああこの子たちも何か熱いものがたぎってんだなあ、そしてそれは今の世の中では解消されないし、結局この子たちもたぶん劇場には来ないんだろうなあ、とか思うとなんだか泣けてきます。

 
本牧AP最終日の打ち上げの三次会だか四次会だかで、JKアニコチェと武田力くんと、スタッフとして手伝ってくれた高谷楓さんと朝まで呑み明かしたのですが(JKが「HONMOKU "HEART"PROJECT」と命名、笑)、みんなの語りが熱かったので、わたしもつい、横浜の黄金町近くに引っ越したたぶん本当の理由、そして10代の頃に2日に1度は通っていた、荒川区のバーの常連客のオカマMさんのことなど語ったのでした。もしもあの頃にMさんに出会っていなかったら、自分は性やジェンダーに対してもっと保守的だったのかもしれない。あるいはもっと頭でっかちに理念的だったのかもしれない。

 
問題は常に「他者」がいるということです。現実に。それはいけすかない存在かもしれない。気にくわないかもしれない。だけど生きている。そう思うと、演劇作品をつくるより、見せるより、批評文を書くより、隣のテーブルにいる男の子たちに今すぐ声をかけることのほうが、この世界により深くコミットすることになるのかもしれない。そういう時が自分には遠からず来るかもしれないっていう予感もある。というかある程度はすでにやっている。けれど、やっぱり「今ここ」にいない人たち、遠くの人たちに、文章という形で言葉を投げかけていくのも大事だと思う。

 
そして演劇や芸術にも、まだまだ可能性はあるはずだ。本牧アートプロジェクト2015はそれを示したかった。反省や至らなかったことやうまくいかなかったことも山ほどあるけれど、今言った意味での演劇や芸術の可能性を示す、という目的において自分が今できることはやれたと思っています。そして良いアーティスト、スタッフ、協力者、参加者に、本当に恵まれました。まったくわたしの想像のレベルを超えて素晴らしいものでした。しかし自分がこういう形で日本社会に何かを投げかけることはもうないかもしれません(わかりませんが、少なくとも2016年にはないでしょう)。

 
来年はBricolaQとしては国内ではあまりパフォーマティブなことをせず(ありがたいことに『演劇クエスト』もいくつかお話をいただいてはいるのですが……)、マニラとデュッセルドルフでの創作に専念し、できれば他の地域との関係も模索したい。国内的には批評とジャーナリズムをもっとがんばろうと思っています。言葉が足りてないと思うので。特に「外」に出ていこうとする動きについて、フォローアップできている言説は残念ながら現時点では皆無に等しい。あるジャンルや閉ざされた空間で作り込まれた「完成度」に対する感性・美学・言語と(それはわたしにとっても今のところ大事なものではあるけれど)、もっと拡張された領域において現実とフィクションとが入り混じり、作為と偶発性とが複雑に交錯する世界、というものに対する感性・美学・言語とは、やはり別物ということなんだろうか……。そして後者について敏感な書き手が育つような土壌がこれまでほぼなかった以上(今後も見込めない以上)、このままだと日本では後者が一過性の動きとして潰れていく危険性もあるのではないか。ドイツ、フィリピン、韓国など、他国の動きを見ていると、まだその価値が社会的にも認められている気がするけれど。いったい演劇は、芸術は、どこに向かっていくのでしょうか。とにかくもっと各地に仲間が必要だとは思っています。しかしまずは自分たちが。そのために旅を続けます。

 

 

 

Togetterまとめ】 

本牧アートプロジェクト2015に至るまで - Togetterまとめ

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