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BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

デュッセルドルフ8日目 2015年10月19日(月)


次の家へと移動する日。準備をして、日本料理店「kagaya」で親子丼を食べる。日本酒の値段をちらりと覗き見ると、日本の倍くらい……。帰国したらきっと日本酒のありがたみを身に沁みて思い知ることになるだろう。アンドレアスさんにお礼のビールを買ってテーブルに置き、709番のトラムに乗って移動する。まだ慣れないので、降りる時にドアがひらかないことに一瞬焦ったりなんかする。恥ずかしい。まあ仕方ない。こないだ日本で観たサンプル『離陸』で、赤ちゃんになってゼロから覚え直していく話をちょっと思い出す。

トラムは古い街並みをすり抜けていった。デュッセルドルフの違う顔が見えてくる。新居の最寄り駅まですぐに着いたが、16時半の約束まで3時間近くあるので、事前に調べておいたマクドナルドに入って少し仕事を。


アストリッドさんは50歳前後くらいの女性で、学校の先生。英語はそこまで超得意ではないが、むしろ話しやすい。良い部屋だけど、ドアが閉まらないとかwi-fiが安定しないとかいう問題はある。

引っ越しが無事に終わったので、再びトラムに乗って、あきこさんに教えてもらった「日本映画週間」へ。最初に上映された「東京ショートフィルムプロジェクト」の3本は、東京オリンピックに向けて東京の魅力を発信しましょう、という強い意志を感じるものだった。なるほど、こうした国策において作家が批評精神を発揮することは非常に難しい。20世紀の人々はかつてそれを「プロパガンダ映画」と呼んだのだった。

ちなみにフィリピン人監督の作品のエンドロールに見覚えのある名前が。Teresa Barrozo。素晴らしい音響作家である。


それから今夜の目玉である短編『ひとりっこ』の上映。ふつうに日本人の父と息子の話……かと思いきやどうやら舞台が外国らしいことがすぐに(絵的に)明らかになる。父はどうやら離婚していて、週に1度だけ息子と合うらしい。ところがバスに乗り遅れた息子が父の家に帰ってみると、そこには……という物語。

コーラを使って息子のやり場のない感情を表現するなど、制約の多い「短編」という枠組みの中で秀逸なアイデアが光る。「家族」という極めて私的な問題を扱いながら、その背後に広大な世界を垣間見えさせる、という構造は、どこまで意識されたものかはわからないけれど、いやむしろ無意識的・必然的なものであるからこそ、興味深く思えた。

ただ現代日本映画にありがちなケースとして、(大人の)俳優の演技に対する演出が甘いと感じるのは、やはりこの映画もそうだった。演技・演出が、演劇界に多大なインパクトをもたらした「現代口語演劇」を(採用するかはどうかは別にして)経験しているかどうかはあまりに大きいことなのだ。多くの映画監督が「リアル」だと勘違いしているものはまったくリアルではないのであり、ではいったい「日常のリアルさ」を映画というフレームの中でどのように表現するか/しないか(しなくてもいい)についてもっとよくよく考えてほしいと前から思っている。ここ数年は日本の現代映画を全然観られていないので、もしかしたらもうすでに変化は起きているのかもしれないが……。

興味深かったのは、ラストの「ごめんな」というセリフに「Big brother」という英語字幕が施されていたことだった。観客の9割以上は白人系だったが、この点について何人かから質問が出た(ということはつまり質問者は日本語の「ごめんな」の意味を理解していたことになる)。監督のヴァン・ウェイエンベルグ美和子はみずからこの字幕を施したといい、もちろん直訳は英語のI’m sorryだがそれはしっくりこなかったのだ、というようなことを答えていた。質問者はのべ15人くらいにのぼっただろうか……。ひとりだけドイツ語で質問して司会者が英語で通訳した場面があったが、あとの観客は人によって英語力に差があるとはいえみな英語で質問をしていた。監督はというとまだ22歳だが、実に堂々とした、だが攻撃的ではない、やわらかな態度で、それらの質問に答えていた。ブリュッセルと東京を拠点としているという以外にどういう出自の人なのか存じあげないのだが、トークでも少し触れられていたように、おそらくこの映画の中で描かれているような「家族」の在り方は彼女自身のアイデンティティにも関わっているのだろうと思われた。


トラムで帰ったが、1駅ぶん乗り過ごした。そこで、ああどうして自分も質問しなかったのだろうかと今さら思い起こされた。別に日本語で質問してみてもよかったのである(監督が日本語を喋れるのかどうかもそれでわかるのだから)。やっぱりちょっと疲れているのかもしれない。火曜と水曜はあまり無理をせずにフラフラと過ごしてみるのはどうだろうか。デュッセルドルフを相手取るということは、自分にとってはヨーロッパを相手にするということでもあり、なかなか難問だと思いつつも、だからこそのやり甲斐も感じている。デュッセルとヨーロッパというスケールの異なるものを混同するわけにはいかないのだが、とはいえ自分としては「ヨーロッパ」を体感するのはきっと必要な通過儀礼なのだろう。そしておそらく多くの日本人が、この通過儀礼において失敗してきたのではないかとも推察する。日本人にとってヨーロッパはあまりに遠く、巨大すぎて、しかも複雑かつ重厚な歴史があり、これを精密に咀嚼して捉えていくことはたぶんかなり難しい。正直に言うと、わたしはここに来るまでヨーロッパというものにそこまで深い関心を寄せていなかったのだが、そして今でも、アジア的な大地の温かさや猥雑さを懐かしく思っているのだが、今はこの、圧倒的な他者であるヨーロッパのことを、もっと知りたいという気持ちがムクムクと湧いてきている。

夕飯を食べそびれたので、少し近所をうろついてみる。けっこう暗い。が、女の子2人が路上で駄弁ったりもしていて、そこまで荒んだ雰囲気はない。いちおう周囲には気をつけながら歩く。幾つかのバーが開いていたけれど、ちょっと中に入るのは勇気が必要な感じで、今日の自分には無理そうだったので後日を期すことにした。それでマクドナルドの隣りにある中華料理屋に入ってみたら、やたら高級な雰囲気で、これはこれで場違いに思えた。まあいい。とにかく腹が減っているのだ。適当に注文したら、とてつもない量の焼きそばが運ばれてきた。まったく、相手は、巨大である。


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