BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

デュッセルドルフ5日目 2015年10月16日(金)


日本での仕事とのタイミングで、朝6時(日本時間の13時)頃にいったん起きる生活が続いている。そのくせ就寝は毎晩2時頃。そろそろ身体のメンテナンスを真剣に考えないといけない。

朝、駅の反対側にあるモロッコ街を歩いてみる。アル中っぽいおじさんに何かわめかれた以外は特に危険を感じることもなかったが、他のエリアとは異質な人種的偏りはあった。マンハイムにあったトルコ人街を思い出したが、あそこまで広範囲に集住している感じではなく、狭いエリアの中にそれらしき店が点在する感じ。エリアを抜けた先のヨーゼフ広場には古びた立派な教会があり、印象的だった。

ケルナー通りをひたすら北上し、昨夜も訪れたヴォリンガー広場へ。なるほどホームレスっぽい雰囲気のおじさんたちがたむろしているが、そんなに危険な匂いはしない。横浜橋前の大通り公園でたむろしているおじさんたちに近い感じか……? 「なにわ」で味噌ニンニクラーメン(美味しかった)を食べた後、そのままアルツシュタットのほうに歩いていって、ネットの使えるカフェでこれまでの日記を書き始めた。

こないだシュテファニーとルースに連れていってもらった「鍵」の名前がついた醸造所が近くだったので、アルトビール1杯、キレピッチュ1杯をさくっとスタンディングで呑む。これがドイツ流の立ち呑みスタイルというところか。おじさんたちが数人のグループで、あるいはひとりで新聞をひろげながら、昼間からワイワイと呑んでいる。

ちょっといい気分になったので、このへんならもう地図なしでも歩けるだろう、と高をくくってインマーマン方面を目指したのだが、いつの間にかあらぬ方向に進んでいたらしく、標識を見るとカイザー(皇帝)通りとガルテン(庭園?)通りとある。あわわ、ここはどこだ……? 通りすがりの人に道を尋ねたら、たまたま日本人だった……というくらい、この町には日本人がわんさかいる。

今この日記を書きながらあらためて地図を見ると、道に迷った理由がよくわかる。ブルーメン通りが斜めに走っている。ここまではいい。ところがその先の教会のあたりが工事中になっていて変なふうに迂回せざるえなくて、そこで方位感覚が狂ったのだ。そこから入ったベルリナー・アレーは、てっきり東向きに伸びている道だと思い込んでいたが、実際は南北に走っている。おそらくこれはデュッセルにおける主要道路のひとつだろうから、地元の人が迷うことはないだろう……。しかし無知なわたしは哀れにも北に向かってずんずん突き進み、オペラハウスの裏手にある公園に入ってしまったというわけ。

日本で迷子になるのは難しいので、楽しかったのだが、時間を大きくロスしてしまった。そして雨も降ってきた。夜の観劇の会場まで急がなくてはいけない。TENTENカフェで少し休憩したあと、せっかくだから知らない道を行ってみようと思い立ち、教会前で右折してホエンツォレルン通りに入り、ブランコの横を抜けて、シュテファニエン通り、カール=アントン通りへとジグザクに抜け、ケルナー通りを少し南東に戻る形でヴォリンガー広場へ。そこからアッカー通りへと舵をとり、線路の見えるひらけた場所で右折、ゲルレスハイマー通りに入る。そしてドロテーエン通りまで。85番地のマンションの一室が会場だった。
 

中に入るとFFTのカチャが待っていて、よくたどりついたわね、と迎えてくれる。デュッセルでの数日間はどう?、と英語で尋ねられ、とにかく寒いねと答えると、こんな天気でごめんなさい、私が代わりに謝るわと笑う。

やがてユリアもやってきて、これから観るIngo Tobenの『QUARTIERE(隣人)』について、最低限の予備知識を教えてくれる。終演後に聞いた話も合わせると次の通りである。……この巨大な複合的建物はかつて移民も含めた貧しい労働者たちが住む場所だったが、現在は空き家になっており、早晩、取り壊されて新しいビルが建つ予定である。Ingo Tobenはここに住んでいた人々にインタビューを行った。そこから立ち上げられたテクストは、リアルな生活をそのまま描いたわけではなく、抽象的であったりもする。それを15、6歳の少年少女が演じる。彼らはサマースクールのワークショップから一緒にやってきた。演出家以外にも写真家、音楽家、ドラマトゥルクなどがメンバーに入っている。

上演はインスタレーションともパフォーマンスとも呼びうるもので、さほど広くないはずの部屋がパネルで複雑に仕切られて迷路のようになっている。観客は好きに動いてもいいし、そこらにある椅子に腰掛けてもよい。特に何の指示もなかったが観客たちは自然にそうしていた。椅子には時折パフォーマーも座るので、誰が観客で誰が演者なのかよくわからない。ゲネプロだったせいかもしれないが、演出家は途中で子供たちに耳打ちして指示を出したりもしている。部屋は迷路になっており、すべてを見渡すことができるポジションは存在しない。壁面はすべてモノクロームの写真になっている。かつてここに住んでいた人たちの生活……顔や食器等を写したものだろう。迷路内の幾つかのポイントにマイクや楽器やレコードなどが仕込まれており、マイクの前には楽譜のようにテクストが置いてある。子供たちも動きながら、それらを使って朗読や演奏をする。したがって同時多発的に、いろんなところで音や声が生まれる……

上演はすべてドイツ語だったので、最初のうちはユリアとカチャに英語である程度ウィスパリングしてもらったのだが、あまりに膨大なテクストであることに加え、上に述べたような構造はすぐにわかったので、何が起きているのかを見れば今はそれでいいと思い、途中からは、ただその空間と時間に身を任せてみることにした。

わたしはなんだか、とてもリラックスしてこの70分くらいの上演の中にいた。子供たちは時々目が合うと微笑んだりもする。彼らはまだ非常に脆い(ヴァルネラブルな)状態であり、かつてここに住んでいてどこかへ行ってしまった人たちの波乱の人生を引き受けるのは荷が重すぎたであろう。しかし後でカチャもコメントしていたが、子供たちはまったくナイーブではなかった。朗読や演奏をいじらしい手つきで、だが実に堂々とやってのけたのである。

テクストが楽譜のような扱いを受けていたのも興味深い。よく知られているように日本には平田オリザやそのある種の後継者たる柴幸男がいるし、やはりまた別種の後継者である多田淳之介も楽譜のようにインストラクションを記すことはしているので、戯曲を楽譜のように書き記すこと自体はすでに日本にもある。しかしではこのように楽譜を置く場所が複数ある場合、いったいテクスト全体はどのように構成・記述されているのだろうか? 見ていると子供たちはストップウォッチを使ったりもしていて、何秒経ったら次のアクションへ、という指示も施されていたのだろう。ドイツ語を解せないわたしには語られている物語の内容は分からなかったが、それが具体性と抽象性を併せ持ち、詩的に構成されているというのは感じ取れた。おそらく誰かが聞き出さなければ、忘れられ、埋もれ、歴史のはざまに消えてしまったであろう物語が、未来のある子供たちによって紡がれていく……。日本でもし国内在住のアーティストによって同様の上演が為されたら、岸田國士戯曲賞の有力な候補になりうるだろうと思った。


階下で少しパンやトマトスープをいただいてから、ユリアと別れ、カチャと一緒にトラムとメトロを乗り継いで次の会場へ。Chikako Kaidoの構成・振付による『Azamino Tokio』。舞台には3人のダンサーとコントラバス奏者。会場であるWeltkunstzimmer(世界芸術室?)は元倉庫とあって面白い空間だった。打ちっぱなし感がコンテンポラリーダンスには向いてそう。しかし寒すぎた……。そのせいもあるのかパフォーマンスの立ち上がりはスロースタートに感じられたのだが、コントラバス奏者が踊り始めたあたりからようやくグルーヴ感が出てきたのだった。しかしそうした構成も狙ってのことなのかもしれない。寒くさえなければずっと観ていられる感じがあり、ジャズの即興演奏のような様相を呈していたように思う。
 

中央駅まで戻ると駅前は何かのデモでものものしく封鎖されていた。ノースモーキングオーケストラの曲が大音量でかかっている。なんのためのデモなのか聞きそびれた。


そしてまたいつもの韓国居酒屋に寄ってしまう。新規開拓するより落ち着けるというのは正直ある。日本人経営のお店に行ったほうが、リサーチとしては効率がいいのかもしれない。しかし効率がよければ創作のインスピレーションが湧くわけでもないだろう。それに、この店には、わたしが『演劇クエスト』において重要視している「できごとの蓋然性(起こりやすさ)」を感じる。

果たしてそれは起こった。金曜日のせいか混んでいたのだが、この夜の客はほとんどが韓国人。しかし2時間ほどすると日本人客が何人か入ってきた。わたしの隣に、日本人の中年男性と、二十歳そこそこの韓国人女性が座った。上司と部下らしい。日本語で話している。彼らの大事なプライバシーに関わるので詳述は避けるが、男が女に恋愛相談をしていた。ありふれた話と言えばそうだ。しかし聞き手が韓国人でなかったら、おそらくこの男は自分の悩みをここまで赤裸々に吐露することはなかっただろう。男の悩みは青臭いとも言えるほどだったが、それだけに痛々しく、目頭を打つものがあった。いっそ話しかけようかとも考えたが、それでは彼の立つ瀬がないだろうと思いとどまり、ならば無害な人物であることを装うために、できるだけうつろな目をして、アルトビールをちびりちびりとやっていた。
 

深夜2時過ぎに帰宅すると、階下の住人たちがパーティで大騒ぎしている。デュッセルの人たちはどんなハレとケの感覚を持っているのだろうか。カーニバルも気になる。しかしとにかく寒い。湯たんぽに熱いお湯を注ぎ込んで、眠りにつく。


 

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