BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

デュッセルドルフ4日目 2015年10月15日(木)

 
昨日にも増して冷たい雨。午前中は、日本に残してきた仕事が修羅場に直面しており、その対応を。日本人街インマーマン通りのラーメン屋「匠」で昼食。味噌ラーメン。なるほどレベルは高い。が、値段もちょっとだけお高くて日本の1.5倍くらい。
 
13時に中央駅でシュテファニーとルースと落ち合って、ツアー2日目。今日はメトロに乗って、彼女たちが在学しているハインリッヒ・ハイネ大学へ。在学生と一緒じゃないとなかなか足を踏み入れる機会もないだろうから、好機だと思った。2人は現代日本学科に在籍している。図書館で日本コーナーを見学。わりと蔵書もあって充実しているが、日本でメジャーな本はあまり見かけず、マイナーな本が多い印象だった。水戸天狗党についての本など、かなりマニアックなものもある。
 
彼女たちの先生の研究室(トビラにチョークで「おもろいルーム」と日本語で書かれている)も訪ねてみたけれど、残念ながら留守だった。しかしなるほど、この研究塔に、日本に関する情報が集積されているということが分かった。わたしが参加するFFT主催「ニッポン・パフォーマンス・ナイト」のポスターもある。そして例えば他の張り紙で紹介されている日本文化の項目は、「祇園祭泉鏡花、天狗、囲碁水木しげる宝塚歌劇、パチンコ、刺青」と幅広い。
 
また「ケルンに住んでいますが、日本語とドイツ語を教え合いませんか?」という手紙が貼られていたりする。後であきこさんに聞いたところ、これはタンデムパートナーというシステムらしい。元々、自転車の2人乗りを指す言葉とのこと。余談だが、ドイツ人は英語を話したがる人が多く、しかしそれはドイツ語を学びたい日本人にとっては厄介な傾向であるそうだ。
 
 
ちなみに医学部の校舎にも行ってみたのだが、行き止まりでアラーに祈りを捧げている青年がいた。イスラム系の移民か留学生なのだろう。祈りを妨げて悪いことをした。
 
 
学内でビールも呑めるので、わたしは食堂でサラダとアルトビールを。彼女たちはピザをほおばっている。少し分けてもらったけど、かなり本格的に焼いてあっておよそ学食とは思えないクオリティである。ルースはアイスクリームにも手を出していた。新学期はこれから始まるらしく、まだオリエンテーション期間だという。ピカチュウのぬいぐるみを来た青年たちが追いかけっこをしていた。彼も現代日本学科の学生らしい。「日本」は彼らの目にどう映っているのだろう?
 
雑談の中で、今は体育館が使えないんですという話が出る。なんで?、と訊くと、シリアからの難民を受け入れているからだと。気になるから連れていってくれと頼んだ。駐車場にもコンテナがあり、また体育館は一般の学生は立ち入り禁止となっている。難民と思しき男性数人のグループとすれ違った。男たちは手にレッドブルを持っていて、少し荒んでいるように見えた。わたしの偏見かもしれない。その後からやってきたやはり難民であるだろう一団には女がいて、彼女は陽気に笑っていた。
 
 
インマーマン通りに戻って、日本の本を売っている小さな書店を冷やかす。仕事があるので、彼女たちとはお別れ。また必要な時は声かけてくださいと言ってくれる。2人には本当に助けられた。
 
日本とのスカイプ通話をした後、タンツハウス(tanzhaus)へ。元々は列車の車庫だったみたいで、レールが残っている。あきこさんとカフェで少し打ち合わせをしてから、観劇。と思ったら先方の手違いでチケットがないという。それでもギリギリ見切れ席で滑りこむことができた。
 
短編が2本。1本目はLili M. Rampreの「Objet petit a」。遅れて入ることなった時には、四方を囲むようにして座った観客たちは、目をつぶり、女性が催眠術をかけるようにつぶやいている(あなたはだんだん眠くな〜る、的なことを英語で)。暗闇の中、その囲まれたエリアで、2人のダンサーが蠢いている。そして明かりがつくと……観客たちの椅子には紐がかけられ、舞台には「あやとり」のような紐のマトリックスが生まれていたのだった……。そしてダンサーたちはその紐を使っていろいろと動く。……というもの。わたしは遠くの傍観席からだったけど、目を開けた時の観客の衝撃はなかなかのものがあったはず。
 
2本目はLihito Kamiyaの「Fragments of Nostalgia」。元々は是枝裕和のもとでドキュメンタリーを学び、のちにダンサーに転身した人らしい。しなやかそうな人だなと思ったけれども、身体やパフォーマンスの強度という点ではこの夜は少し物足りなかった。しかしどんな都市に行っても思うのだが、そこならではの文化的風土がある。わたしにも(文化風土に左右されない)絶対的な価値基準がないわけではないけど、どちらかというとまずその土地の文脈を知ることのほうに興味がある。自分はまだまだ、デュッセルやドイツの文化風土を知らなさすぎる。
 
 
終演後、あきこさんとチャイニーズバーへ。今年のプレゼンテーションと、来年の『演劇クエスト』について相談する。わたしのスローペースの手探りにこうして付き合ってくださるのはありがたい……。来年に向けてのチーム編成についても話した。上演は英語は使わずに、ドイツ語と日本語で、ということになりそう。テーマについては、自分はやっぱり、異国の土地で暮らす人たちのことが気になっている。かといって今日の昼間に見た、シリアの難民の現状について取り沙汰するだけの能力もモチベーションも今の自分には欠けていると思う。何か安直に「敵」をこしらえて批判するという身振りは避けたい。『演劇クエスト』はそういうことをしてこなかったし、これからもしない。
 
数年前に『演劇最強論』にも書いたし、ソウルや城崎でも話したことだが、「誰と、どこで、どうやって生きていくか?」は自分にとってとても重要なテーマになっている。特に東日本大震災後はそうだけど、もしかすると遡れば、12歳の時に東京で一人暮らしを始めた時からある、土地や共同体や母語(方言)から切り離されてしまったというあの感覚が根深く影響しているのかもしれない。きっとそうだろう。人間がしかしデラシネの孤独に耐えて生きていくのは並大抵のことではない。マニラでジュリア・ネブリハが言っていた「エモーショナルなDNA」という言葉を思い出す。いったいデラシネはどこにエモーショナルなDNAを感じるのだろうか。生まれた土地だろうか。それとも……?
 
だから人は恋もするだろうさ……と思う。こうして書いてみて気づいたことだが、「恋愛」は実は今回のデュッセル滞在におちて大事なモチーフになっている。それは初日にあの韓国居酒屋に入った時に、カウンターで仲睦まじく、だが英語でコミュニケーションをしている、白人とアジア人の何組かのカップルを見て感じたものだった。人間は、人種や言語を超えて恋をする。そしてそれは(直感的に言ってしまうと)ほとんど孤独を埋めることにはならないのではないかと思う。むしろ、互いの孤独を尊重することでしか成り立たないような恋があるのではないだろうか?
 
 
長い一日だった。あきこさんを中央駅のトラムまで見送った後、ひとり夜道を歩いていく。治安があんまりよくないからシュッとした顔で歩いてねとあきこさんは言い残してトラムに乗った。暗くて寒い道を、背中をとられないように歩いていく。屈強そうな男たちが徘徊していて、なるほど夜道は気を抜けないなと痛感した。例の韓国居酒屋に寄ってみる。今日は日本人はほとんどいなかった。それはそれで心地いいのはなぜだろうか?
 
 

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