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BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

北京6日目

 
朝の食堂に空間現代・野口君(ギター)がいたので、ゆうべ2時半頃、何かなかった?、と訊いてみる。「ああー、山田(ドラム)がちからさんの部屋いこうぜって言って。すげー酔っ払ってたんで、すんません……。でも訂正すると、正確には3時ですね」。……泥酔しているわりには記憶はしっかりしているらしい。まあこれで謎はひとつ解けた。 


ツイッターFacebookに繋がらないこの生活にもだいぶ慣れてきた。大げさに言えば、今ではもうそんなものがあったことすらも遠い過去か未来のようである。どんな情報を摂取するかによってその人の世界が形づくられていくのだとしたら、残りの人生をいい感じに生きていきたい。

 


夜まではフリー。イスラム教徒が多く住むという牛街に行ってみる。地下鉄を乗り継いで長春街駅まで向かい、20分ほど南に歩く。頭に白い帽子を被った人たちが目立つようになったと思ったら、すぐそこが牛街礼拝寺(モスク)だった。

 

ちょうど礼拝が終わった時間なのか、たくさんのムスリムたちが中から出てくる。洋の東西(アラブ式、中国式)が入り混じった不思議な建築様式で、建立されたのは10世紀、つまりは1000年を超える歴史がある。人々の顔立ちから推測するかぎりでは、人種的な血もかなり混じっているのではないだろうか。礼拝を終えて出てくるムスリムたちの表情はとても柔和である。奥のほうにある女性専用のモスクでは、頭にスカーフを巻いた(だが顔は露出した)女たちがにぎやかに談笑している。

 

近くには「輸入胡同」という名前のストリートがあった。羊肉を売る店が立ち並び、ここがイスラムの町であることを告げている。とはいえ他のエリアから隔絶された時に生じるあの独特の閉じた感じはない。手頃な食堂に入り、羊肉麺(20元。他の麺類よりちょっとだけ高い)を食べる。量が多くて驚いたものの、わりと美味しくて、ぺろりと平らげてしまった。

 


暑さに体力を奪われたので、無理せず帰ることに。地図と駅名を頼りに適当に目星をつけてバスを乗り換えて、結果的に前門駅までたどりついた。前門は天安門広場の南側に位置する門で、かつては紫禁城門前町として栄えたらしい。しかし北京オリンピックを機にすっかり観光地化されていて、横浜中華街みたいな街並みだな、という本末転倒な感想を抱いた。


ホテルに戻ってシャワーとハルピンビールで休息。だんだんこちらのさっぱりしたビールにも馴染んできた。そして蓬蒿劇場でいよいよ地点『ファッツァー』初日。会場前から列ができ、満員御礼となった。

 

 

『ファッツァー』は京都で確か3度、六本木のスーパーデラックスで短いバージョンを1度、さらには映像でも観ているが、中国で観る『ファッツァー』はまるで新しい別物のように感じた。もともと観るたびに受け取る印象が異なる作品だが、今回は特に(最後方の席で観たせいもあるかもしれないが)中国人観客の目を借りて観ているような気分になった。つまり言葉のひとつひとつが(支配する種類、群衆人間、団結、戦争、革命……etc.)、この国の人々が日々抱いているであろう具体的なイメージを伴って浮かび上がってくる。そして地点は、そうした中国人の観客を確実に意識して確信犯的に弾を撃っているように思えた。目に見えて顕著なところとしては、「くそったれ」のセリフがすべて中国語の「他妈的=タマーダ」に変換されており、ファッツァー役の小林洋平が何度か(ジョークも交えて)中国語で短い言葉を喋るシーンがあり、そして終盤、勝負どころでの安部聡子のセリフもやはり中国語になっている。ついでに言うと最後の空間現代のひとことも「謝謝」である。ロシア公演でもセリフをロシア語に変えたらしいから、今回の北京公演だけが特別というわけではないにしても、彼らのプレイやセリフには、ワークショップも含めたここ数日の北京滞在の時間が流れ込んでいるようにわたしには感じられた。もちろんそれは長い時間ではなかったが、それでも様々な出来事があり、多くのことが交わされてきたと思う。要するに説得力(=この地で上演することの必然性)が感じられた、ということである。ただひょいっと来て上演するだけでは、「他妈的」ひとつにさえも、このような説得力が宿るのは難しかったのではないだろうか。

 

わたしが北京で観た他の3演目に比べても、観客がある集中力をもって舞台に反応していることは伝わってきた。けれども、たとえばカーテンコールにヨーロッパのような成熟した作法があるわけではなく、韓国のような感情表現の豊かさがあるわけでもなく、フィリピンのように熱狂的に盛り上がるわけでもないので、実際のところどうだったのかは、まだちょっとつかみかねる。

 

終演後にはアフタートークがあり(通訳は国際交流基金シンシン)、劇場のディレクターであるフォイフォイが出る予定だったが、彼女の依頼でわたしも急遽登壇することになった。30分くらいの予定だったが、主に『ファッツァー』のテクストや地点語のことを中心に質問や意見が相次いで、気づいたら80分にも及ぶ長さに……。中国人の話が長いのはワークショップですでに体験してはいたけれど、上演とほぼ同じ時間に及ぶとは。日本人的な「空気を読む」感覚は彼らにはあまりないらしい。ただし、政治的な話題になるとやっぱり独特の緊張感が走る。

 

途中、ある質問があり、その中のある中国語をどう日本語に訳すかで会場がややざわつく場面があった。結局その言葉は観客たちの意見により「左翼的」と訳されたのだが、この「左翼的」という言葉が正確には何を意味するのか(体制的なのか、その反対なのか)、そういえば聞きそびれた。

 

それにしても彼らの熱心な態度と知的好奇心には畏れ入る。トークが終わった後も質問は続いた。ギリシャから休暇で帰ってきたという男性(ギリシャは素敵なところだよと言っていたが、今あちらの経済は大変ではないのだろうか?)。トークでは堂々と発言していたのにいざ面と向かって話してみるとやたら恥ずかしがってキョドる女の子(中国にもこんな子がいるんだと思って好感を持ったけれど、もしかすると英語でコミュニケーションをとったせいかもしれない)。彼らは奇妙なことに、地点がこうして現地語に接続(adapt)しようとしているのはなぜなのか?、とわたしに訊いてきた。わたしは地点のメンバーではないから、その質問はサンプーチー(三浦基)に直接訊けばいい、と勧めたのだが、いやあなたはどう思うのかを訊きたいのだ、サンプーチーになったつもりで答えてくれと言うので、おそらく彼らはこの土地のエートス(ethos)にアプローチしているのだと思う、と答えた。

 


質問にはキリがなく、最後のひとりは打ち上げ会場に向かう道すがらに話を聞いた。彼女はワークショップ初日の「我」「我们」「你」「你们」の4つの言葉だけを使って発話するエチュードの際に、洋平さんが突然「我愛你……」と話しかけて会場の爆笑を誘ったいわくつきの美しい女性であった。女性演劇人の状況について興味があるそうなので、如月小春の話を少しした。如月小春がもっと長く生きていたら、中国を含めたアジア各国での知名度や女性演劇人の状況はもう少し違っていたのではないかとも思う。

 

というか、国境・言語の壁を越えていった時の知名度の落差は激しい。2日目の日記に、中国語や韓国語で日本演劇のことを伝える本が必要だと書いたが、わたしはそれを簡単に口にしているわけではない。韓国でも実際そういう本を出したいねという話は出ているし、マニラでもその必要性を痛感したところである。あまりにも、言語の壁を越えた情報の流通は少ない。特に、個々のインタビューが翻訳されることはあっても、状況を俯瞰できるようなものはほとんどない。

 

ただここでひとつ大きな問題は、いったいその俯瞰地図の中にどのような情報を入れるかということである。この困難さは国内向けに『演劇最強論』を書いた時にも味わったことだが(結局ああいう体裁になると、誰を入れた、入れないという話は必ず沸いて出てくるので)、海外に向けて書く時にはもう少し違う観点が必要になるだろう。すなわち、国境を越えうるようなコンテクストを構築するか、あるいはドメスティックな日本の文化状況の独自性を言語化するか、そのどちらかが肝要になるはずだ。

 

個人的には前者(国境を越えるコンテクストの構築)は非常に難しいと思う。しかしその前者にこそ意味があると今は考えている。なぜならば、それは日本の側からの一方的な発信だけではなくて、相互理解を前提としてつくられていくものになるからである。つまりそれは、他者に対する知的好奇心・関心とセットでしかありえない。この関心こそがおそらく国際交流の真の意味であり、ほとんどすべてであると言ってもいいのではないだろうか。昨年末からの、韓国、マニラ、北京の旅を経て、わたしは今のところそう思うに至った。

 

 

中国とひとくちに言っても本当に広い。国際交流基金の林晓慧さんは北京よりも東北のほうの出身らしいが、冬場はマイナス30度になるという。もはやほとんどロシアですね、という感想を抱く。日本にいるとほとんど実感を抱く場面はないけれども、ロシアと中国は隣り合っているのだった。

 

全然関係ない話だけど、安部さんが、「低調」と書かれた肩掛けカバンを竹下通り(南羅鼓巷のことを我々は「竹下通り」と呼んでいる)で買ったらしい。シンシンによると、低調、は調子が悪いとかいう意味ではなく、謙遜をあらわす言葉であるらしい。安部聡子が「低調」と書かれたバッグをかけていると、何か地の底から彼女が攻めてくるような感じがする。

 

 

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 牛街礼拝寺

 

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クール、というニュアンスもあるらしい「低調」

 

 

 

 

 

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