BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

北京5日目

 
冷たい雨が降っている。地点と空間現代は『ファッツァー』の仕込みがあるので、わたしはひとりでホテルに留まって仕事。午後をやや過ぎてから出発することに。6月4日。今日はたぶん、パスポートを持って行ったほうがいいだろう。無理はしないこと、と自分に言い聞かせてホテルを出る。
 
 
 
バスを降りて歩いていくと、警官たちが物々しい警備をしている。ああ、これは確実につかまるな、と思ったら案の定呼び止められ、パスポートを見せなさいと言われる。内心穏やかではないけれど、不思議とアクビが出た。これも一種の防衛本能なのかもしれない。しばらく無線で連絡をとっていた担当の警官は、最後に微笑んで「ありがとうございます」と日本語で言ってパスポートを返してよこした。わたしのパスポートには適度に幾つかの国のスタンプが押されているから、いかにも模範的な旅行者であると思うし、実際その通りである。
 
 
さてどこまで行けるのか……無理はしないでおこう。誰に頼まれたわけでもない蛮勇を今は発揮する時ではない。ともあれそのまま歩いていくと、故宮エリアへの入口があり、人がたくさん並んでいる。荷物チェックがあるらしい。できるだけ目立たないようにしよう……と、地点ワークショップ2日目の、目立った瞬間撃たれるあのゲームを思い出す。すると列の後方で女の叫び声が聞こえ、紙切れが宙にバラ撒かれているのが見えた。警備員たちが色めき立って走り寄っていく。ビラだろうか? 少し狂っているのかもしれない。こんなところでささやかな抵抗を試みたところで、まるで犬死じゃないか……。騒ぎはすぐに収まった。やっぱりこれは、迂闊な行動は謹んだほうが良さそう。
 
 
道を挟んで反対側があの広場だが、ひとまずは故宮に向かうことに。毛沢東の肖像がでかでかと掲げられた天安門を潜り、巨大な故宮の敷地内に入る。すでに16時近くだったので、故宮の中に入るのは諦めて、ぐるっとお堀を通って西門に抜ける。とにかくスケールがデカい。西門を出たところに小さな食堂が幾つか並んでいたので、牛肉麺を15元で。粉っぽい味がした。
 
 
しばらく歩いて、意を決して天安門広場に行ってみる。幾つかの入口があるが、その全てで検問が行われている。さっきよりも厳重な荷物チェック。今日、だからなのか? 冷たい表情の女性警官が、荷物の中身をかなり詳細にチェックしていく。水は中身の匂いを嗅がれる。『地球の歩き方』をパラパラめくって、これはなんだ?、と訊いてくるくらい。なるほど、見ようによっては怪文書にも見えるかもしれない。男性警官にパスポートをチェックされる。職業は?、と訊かれて、嘘をついてこじれるのもアレだなと思って「エディター」と答えたが、「劇評家」とかのほうがまだ穏当だったか……。まあいい、「ジャーナリスト」という呼称よりは良さそうだ。テレビのか?、と訊かれたので、マガジンの、と答えた。マガジン? ああ、マガジンね、という感じでようやく解放される。彼がどんなマガジンを想像したのかは知らない。
 
誰にも気付かれないようにフーッと大きなため息をひとつ。
 
パスポートをチェックされるたびに「日本人?」と訊かれるわけだが、そのことによって嫌な気持ちを味わうことはなかった。というか北京に来てから、今のところ一度もそんな目には遭っていない。むしろ日本人だと言うと、歓迎の意を表してくれることのほうがはるかに多い。この点は特に強調しておきたい。
 
 
さて、巨大な広場はすっかり安全な観光地と化していて、ほのぼのした空気さえ漂っている。今日が何の日かを知らない人たちもきっと多いのだろう。もはや、観光以外の用途にこの広場を使うことは到底不可能に思える。出入りは完全にコントロールされていて、必要とあれば「水の栓」を閉めればよいだけの話なのだ。真に面倒なのは民衆の団結なのであって、ごくひと握りの知識人や芸術家や不平分子にかんしては適度に寛容に泳がせておけばよい。……そういう力学を思い知ったような気がして、ドッと疲れが押し寄せてきた。さっきの犬死にの女の気持ちもわからなくはない。遺族かもしれない。悲痛な叫びであったのかもしれない。そして芸術という手段を持たなければ、たとえ犬死にであっても直接的行動に訴えるしかないと思い詰めてしまうのかもしれない。その究極がテロリズムである。つまり、芸術の反対語がテロリズムであり、テロリズムの反対語が芸術なのだ。
 
どちらも、社会を変えうるという点では共通している(実際にはほぼ失敗する)。しかし芸術というのは不可思議なものであり、圧倒的なわけのわからなさを孕んでいる。そして究極的には、このわけのわからなさゆえに、芸術は何かのための手段ではなく、それ自体として存在することができる。だからこそ芸術はいつも、いつだって、生き残ってきたのではないか? 北京に来てから感じ続け、考え続けていることの最重要項目は、まさにここであるように思う。わけのわからないものの強さに賭けてみたい。そんな気持ちをあらたにしている。
 
 
広場を後にして、人民大会堂(党大会などが開催される巨大な建物)の前を歩きながら、徒労感に包まれる。自分は最近、外国で無駄に頑張りすぎてはいないだろうか。これは皮肉で言っているのではなく、もっと日本で平穏な生活に浸っていたほうがいいのではないか……。昨夜の話が思い起こされる。この国のことを最終的にどうにかするのは、やっぱりこの国の人間なのだろう。その一方で、そうした考え方自体が、国家という枠組みに囚われすぎているとも思う。今のところまだ明確な答えはない。大事なのは、芸術は越境するという事実である。そして芸術を介することによって、様々な人に出会えるということ……。
 
 
 
天安門広場から西に徒歩数分。国家大劇院が見えてくる。巨大なドーム状の建物で、周囲には水が張り巡らされ、発案者である江沢民の名前が大きく入口に示されている。2007年竣工。つまり北京オリンピックの前年に完成したことになる。
 
目当ての龍馬社『蓮花』は最も安い100元(2000円)の席を買えた(最高は480元=10000円)。字幕なしの中国語のドラマ劇だけど大丈夫?、とチケット売り場の人が丁寧に尋ねてくれる。モーマンタイ。国家の威信をかけた劇場だけあってやはり厳しい手荷物チェックがあり、飲食物の持ち込みはNG。開演までまだ時間もあるので、近所を散策してみることにした。
 
この辺りはいわば国家の中枢とも言えるようなエリアだが、驚いたことに、国家大劇院のすぐ西に古びた胡同が残っていた。細い路地が入り組んでまるで迷路のようだ。子どもが遊んだり、老人が夕涼みをしていたり、果物の露天商が出ていたり。治安状況を知らないので少し不安ではあったが、人心が荒廃している感じはなかった。しばらく歩いて劇場に戻る。
 
 
国家大劇院の中にはオペラハウス、コンサートホール、戯劇場、小劇場がある。戯劇場の客席は1500席くらい。最安値の100元の席は予想通り見切れ席だったが、空席も多く、開演と同時に観客たちがぞろぞろと見やすい席に移動し始めたので、わたしもそれに倣って移動して、良い席をせしめる。
 
『蓮花』は鄒静之の戯曲で、映画の脚本で知られる鄒静之とたぶん同一人物だと思う。ストレートプレイの演劇で、少し前の時代設定の恋愛ドラマ。言葉がわからないこともあってかなり退屈ではあったが、それはそれで慣れていくもので、どういう演出・演技や言葉のリズムなのか、また観客の反応はどうなのかを、ぼんやりと眺める。その点では目新しいものは特になかったが、もしも言語と物語を理解できたら、落涙はしたかもしれない。けれど、中国に泣きに来たわけではない。ただ、この舞台や物語に流れている精神性のようなものは気になる。フィリピンについてもそうだけど、日本に帰ったらしばらく座学の時間をとりたい。
 
 
ところで隣の空席に一瞬、若い女性が座っている気配が濃厚にあって、あれは幽霊だったのか? 彼女はずいぶんリラックスして劇を観ていた。たぶん、ただの幻だとは思うけど。
 
 
地下鉄を乗り継いで帰る。ホテルの近くのヌードル店で、辣油たっぷりの辛い麺(15元)と、地ビール(大瓶600mlで5元=100円!)を。店員さんたちは、言葉の通じないわたしにフレンドリーに接してくれて、救われたような気持ち。ちょうど彼らもまかない(?)の時間だったらしく、大きな鍋を何人かでつついていた。いいな、この感じ。
 
23時。ホテルに戻って中庭を覗いてみたが誰もいない。まだ帰っていないのか? それとも明日からの本番に備えてもう眠ってしまったのか? 部屋に戻ってひとり寂しくハルピンビール(500mlで8元=160円)を呑む。そしていつの間にかそのまま眠ってしまう。夢か現実か、誰かがピンポンを慣らしている。ベルは2度鳴った。時計を見ると夜中の2時半。誰だよ、と思って生返事をすると、「安全確認に来ました」との声。誰だろう……。よくわからない。あの謎の名刺を残した建築技師だろうか。あるいは「安全」の確認に来たお迎えかもしれない。もはや何でもいい。わたしは危険ではないですよ、とつぶやきながらベッドに潜り込む。
 
 
 
 

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国家大劇院