BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

北京4日目

 
ゆうべ帰宅すると部屋の入口のカードキーを刺すところに、誰か知らない建築技師の名刺が刺さっていた。何のメッセージなのか。謎すぎる……。
 
 
そういえば昨日書き忘れたできごと。優秀な通訳のエミイと劇場のカフェで話した。新潟に留学していたらしく、震災の時は春節で中国に帰っていて、3月15日に日本に戻る予定だった便がなくなったという。シンシンとは同級生で、よく高田馬場あたりで遊んでいたとか。こうやって国や言語を越えて活動する人間がいかに大切か。そして日本やその文化に興味を持ってくれる人間がいかにありがたいか。身に染みて思う今日この頃。日本人にはもっと、そんな愛すべき隣人たちのことを大切に思ってほしい。ちなみにエミイはヴァルター・ベンヤミンが好きらしく、そういう話ができるのはちょっと嬉しい。
 
 
 
さてここからやっと今日の話。地点のワークショップ最終日は『ファッツァー』を扱う。音は銃弾であり、自分の発話とぶつかってしまった俳優は死ななければならない、というあのルールで地点の俳優たちが何度かデモンストレーションを繰り返していく。そんな中、ある回が神懸かり的に面白く、結局そのまま20分近い上演になる。演劇の現場では時々こういうミラクルが起こる……。まるで新たな作品の誕生に立ち合ったかのような。中国人参加者たちも熱のこもった拍手をしていたので、何かはきっと伝わったはずである。
 
そして後半はディスカッション。わたしも司会というか話の繋ぎ役をつとめさせていただく。1時間半もやれるかね、と心配していたのが嘘のように、蓬蒿劇場のオーナーである王翔さんの登場もあってアッという間に2時間が過ぎ去った。参加者から北京の演劇事情についてもあれこれ聞くことができた。途中、警官が(消防点検のために)来たのでやや緊張が走ったりもしたけれど。地点のワークショップのここまでの本気度が参加者たちにも伝わっていると感じた。北京に来てから、大きな一歩を踏み込んだ感じがする。しかしながら、境界線上で踏みとどまることもひとつの大事な態度ではあるだろう。敵の中にも友はいるはずだ。その逆もまた然りかもしれない。
 
黒。みんな黒か。これで、俺たちはまた友だちだな。(ベルトルト・ブレヒト『ファッツァー』)
 
このトークも録音はしてあるが、陽の目を見ることはあるだろうか? 終盤はやたらと北京ダックの話ばかりしていたが、冗談抜きに、北京ダックに仮託する形で、我々はおそらく非常に大事なことを語り合ったのである。
 
 
終了後、空間現代のメンバーや技術スタッフも合流。王さんが実際に北京ダックをご馳走してくれる。なんという大盤振る舞い……。白酒で何杯も乾杯した。格別の味だった。
 
 
テンションの高い一団で、国活先鋒劇場に押しかける。顾雷という人の作・演出による『顾不上』。客席数は300くらい。地点と同じフェスティバルに参加している作品で、英語字幕付き。俳優の演技が上手いわけではなく、美しい舞台装置があるわけでもなく、田舎から出てきた男女が大都市に翻弄されるという物語自体も(日本人の感覚からすると)目新しいものではない。しかし三浦基はカーテンコールで「ブラボー!」の声をあげる大絶賛であり、その気持ちはわたしにもわからなくはなかった。この数日間を北京で過ごしてきて、簡単ではない局面にもしばしば接してきた以上、この作品が孕んでいる切実さやアイロニーはある程度理解できる。好感も持った。だが、では彼らが果たしてこの活動をこれからもしぶとく続けていけるのかどうかは、わたしにはまだ確信が持てない。結局のところ、最後は芸術的な強度がモノを言うのではないだろうか?
 
 
基金の後井さんや林さんに、別言語の演劇はいつもどうやって観るんですか、と質問されて、まず構造を見ますかね、とお答えする。戯曲についてはやはり母語でないと細かいニュアンスをつかむのは難しいので、そこは母語をものする翻訳家や批評家にお任せして、自分は(演出や物語の)構造をフックにして迫っていくほかない。ただ、例えばサッカーをスタジアムで観るとボールを持ってない選手の動きも見えますよね。そうなると、もちろん百発百中とはいかないけど、点が入りそうな匂いはわかるんです。それと同じような感覚でたぶん演劇も見てますね。4-4-2のフォーメーションがどうたらこうたらというのは後付けで、やっぱりまずはパッと感覚的に得点の匂いを捉えているというのが正直なところだと思います。……とかとか。
 
 
バスでホテルに戻り、シンシンに明日観劇可能な演目を教えてもらう。彼女には本当に連日お世話になっている。どうか休める時に少しでも休んでほしい……。
 
 
中庭にて、空間現代の3人と三浦さんと大さんとで、ビールを呑みながら遅くまで話す。煎じ詰めれば、どこで、誰と、何のために芸術をするのか、という話だったと思う。部屋に戻ってからもしばらく胸に熱いものが残っている。こうして異国に来て何ごとかを為すためにはやはりエネルギーが必要で、若さが残るうちにしかできないこともたぶんあるはずだ。それにしても、北京に来てから朝から晩までエネルギーが漲っているこの感じ、何なんだろう? 大陸だからな、と三浦基は言う。すぐに海にぶちあたるわけじゃない。どこまでも、どこまでも、行けてしまうからな。
 
 
 
 

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シンシン(右)とエミイ
 

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