BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

マニラ3日目

 
起きたらすでにアイリーンしかいなくて、みんな出払っている。シャワーを浴びて支度して、wi-fiを求めてマクドナルドへ。各所に連絡をとり、流しのタクシーを拾ってマラテ地区へ向かう。りささんから借りた地図を頼りに、ちゃんとマニラ市街に向かっていることを確認して安堵する。
 
マラテ教会の前で降りる。海だ。マニラ・ベイだ。少し感動して海の写真を撮ろうとした(人は写してなかった)ら、背後に誰かが近づく気配。振り返ると若い女がいきなり殴りかかってこようとしている……! 威嚇して事無きを得たけれども、マニラ市街に到着して早々だったこともあり結構なショックを受けた。彼女は近くのテントで物売りをしている女のようで、おそらくは物盗りが目的ではなく、最初から敵意剥き出しという感じだった。わたしが日本人だからだろうか……? とか、理由を考えてしまいながら、とりあえずファーストフード店に駆け込んでラージサイズのコーラを飲んで気持ちを落ち着かせる。しかしwi-fiはここにはない。
 
wi-fiを探しに外へ出る。街の匂いが相当に臭くて、先ほどの体験と重なって非常に醜悪に見えてしまう。半裸の男たちがそこかしこにいて、時々こちらをじっと見つめている。早くどこかに落ち着きたい。が、なかなか良さそうなカフェが見つからない。時々日本料理店を見かけることに微かな希望を抱きつつ。ようやく発見したカフェで一息ついていると、小さな女の子がガラス張りの壁に唇の跡をつけて遊んでいる。彼女もやはり路上生活者なのだろうか。
 
 
午後3時。今回のKANRABAL Festivalでわたしはinternational exchange platformに参加して、現地在住のアーティストと組むことになっている。そのパートナーであるJulia Nebrijaと待ち合わせたレストランへ。もちろんこの日が初対面。彼女の自宅兼事務所に案内される。さっきそこで襲われかけた、と話すと、「日本人であることが原因とは思わない。彼女はクレージーじゃなかった?」と彼女。言われてみればそうだったかもしれない。やつは狂人だ、と名指すことで安心している自分がいる。良いか悪いかは別にして。
 
「マニラの人たちはもしかして地図を読まないのでは?」というわたしは仮説に対して、ジュリアはその通りだと言った。ではどうやって自分の位置や目的地を認識するのか? 彼女によれば、マニラの人たちは彼らのnarrativeを生きているのだという。つまり、ある場所を認識するということは、そこに対する彼/彼女の記憶と繋がっているのだと。もちろん個々人の記憶には限界がある。だからこそ他人に訊く。それは記憶の交換ということになるだろう。他人とのコミュニケーションによって彼らはみずからの道を発見するのだ……。
 
 
ジュリアに連れられて、タクシーでキアポ周辺の中華街まで。川沿いに人が集まっている。どうやらこれはツアーで、わたしも今からこれに参加せよとのことらしい。都市のリサーチをし、様々なプロジェクトを遂行しているジュリアにはたくさん知人がいて、いろんな人と挨拶している。かなり社交的でオープンな人だという印象。
 
いわゆる廃墟めぐりのツアーで、25〜30人ほどの集団を組み、今はスクウォッター(不法占拠者)たちが住んでいるその歴史的な建物をめぐっていく。街の人たちが奇妙なものを見るような目を投げかけてくるが、そこに敵意は感じられず、単に珍しそうだ。良い天気だったが、早々に激しいスコールが襲ってくる。すると、通りすがりの車がジュリアの前で立ち止まり、窓からスッと傘を差し出す。え、何? と思ったらその車の人物はジュリアのご近所さんで、偶然見かけたから傘を貸してくれたのだという。なるほど、「他人と交換しながら生きている」という感覚が少しわからなくもないできごと。
 
ツアーは複雑な気持ちになった。マニラに来てから、自分が日本人であることがつらいと思う場面が何度かある。英語力の乏しさを痛感する時もそうだが、日本人特有のシャイさの中に自分が閉じ込められていると感じる時に顕著になる。見た目が日本人であることで得することもほとんどない。この地区は1945年の日本とアメリカとの闘いで多くのマニラ人が惨殺された場所だ。忌まわしい記憶に血塗られた民族の末裔として、どう振る舞っていいのか……。日本ではほぼ、マニラで何が起きたかは忘れられている。それどころか今日本の実権を握っているのは、あの時代を美化したい政治家たちなのだ。そして日本人は無関心の中に閉じ込めれられている。政治に対してだけではない。他者に対して。外国に生きる人たちに対してはもちろん、自国の中にいる人たちに対しても、それどころか隣人に対しても。ここ(マニラ)にいると、自分も所詮はその輪の中で育ってきたのだと痛感させられる。こうした現象は巨大すぎて、わたしがどうにかできるものではないように思える。もの書きの端くれとしてしかし、それはあまりにも情けない話ではないか。いっそ筆を折って、別の生き方をしたほうがいいのではないかという考えすら脳裏をよぎる。目の前にいるこの貧しい人たちを見ていると、日本の空虚な豊かさだとか、ぬるま湯のような空気感とかが、つくづくイヤになるのだった。
 
いやしかし……と思い直す。サラやイェンイェンみたいに日本のユースカルチャーに興味を示してくれる若い人たちがいるのも事実だ。それに日本が様々な経済的・文化的な援助をしてきたことで日本に対するフィリピン人の見方も変わってきている、という話を鈴木勉さんの書いた『フィリピンのアートと国際文化交流』を読んで知っていたこともあり、まあ捨てたもんじゃないはずだぞ、わたしがここに今いることも……となんとか気持ちを奮い立たせる。先人たちが繋いできてくれたパスを、きちんとまたどこかの誰かへ手渡していくのがわたしの仕事ではないだろうか。
 
……などとつらつら考えながらマニラを歩く。それにしても圧倒的な貧困だ。ぼろぼろの服を来た子どもたちがツアーに混ざってきて、ガイドの話を物珍しそうに聞いている。繰り返すが彼らに敵意は見られない。純朴な人たちなのだろうと感じる。しかしおそらくこの街では彼らは人間扱いされていない。ゴミの中で生きている彼らは猫や犬と同じように見られているのかもしれない。というか存在自体をほぼ無視されている。こんな荒廃した世界……。ホーチミンもここまで酷くはなかった。彼らは完全に見棄てられている。しかし夥しい数の人たちがそんな境遇に置かれているのである。
 
ジュリアとその友人たちと共にジプニーに乗る。これは米軍のジープを改造して作ったバスで、フィリピンを象徴する乗り物だが、特に停車場があるわけでもなく、猛スピードで走っていくジプニーの行き先を一瞬にして見分けて停めなくてはいけない。そんなのは到底無理! だからジュリアに頼るしかない。車内は10数人の人たちでひしめいていて、入口付近の人がお金を払う時は、あいだにいる人の手を介して運転手に渡す。お釣りもまた同じく。降りたい時は運転手に叫ぶか、天井をコンコンと激しく叩く。この言葉は適切ではないかもしれないが、実に野蛮な乗り物だ。そしてこの野蛮さは嫌いではない。
 
ジプニーでジュリアの家を経由した後、タクシーで一緒にケソンシティまで戻る。道すがら、ジュリアが興味深いことを言う。「エモーショナルなDNA」によってマニラの人たちは土地と結びついているのではないかと。これは「アイデンティティ」とか「郷土愛」という言葉とはたぶんかなり異質なものに思える。多民族・多言語で政情も不安定なフィリピンでは、「ナショナル・アーティスト」や「ナショナル・ヒーロー」という言い方はあっても、国家に対して従順な忠誠心や愛国心を示すことはあまりないのではないか。わたしが接している人たちだけがそうなのか? しかし乞食生活をしている人たちにしても、いったいどうやってあの状態で愛国心を持てというのだろうか。だけどたぶんエモーショナルなDNAはどんな境遇にある人にも良くも悪くも存在している。それはわたしなりに自分の考えに引き寄せてみるなら、「エートス」や「ゲニウス・ロキ(土地の精霊)」という言葉に繋げられそうだ。どうもこのあたりが、マニラで『演劇クエスト』を構想するにあたっての肝であるように思える。というか、こうやって考えていくこと自体がすでにして『演劇クエスト』ではないか。
 
 
家に帰るとJKたちはいつものごとく哄笑し、「よく帰ってきたなあ!」と大歓迎してくれる。この人たちはいつも陽気で、えらいなあ。朝から晩までたくさんの人とコミュニケーションしているし。彼らのリハーサルが終わるのを待って、歩いて近所のレストランでディナー。今夜は特に地面をたくさんのコックローチが這っている。JKは平然としているし、イェンイェンは「どうしてここにはこんなにたくさんのコックローチがいるのかしらね!」と嘆くけれども、まあ大して気にしてない点では同じである。日本ではなんと呼ぶのかと訊かれ、名前を口にするのも憚られるのでイニシャルをとってGと呼ぶ人も多いのだと話す。ディナーにはたくさんの人が次から次にやってくる。豚の血の料理にトライしたらなかなかイケている。ディアグヌン(?)とかそんな名前の料理。
 
 
……考えることは山ほどある。時間はまだたっぷりある。レストランから外に出てなんとなくラジオ体操をしていたら、イェンイェンが「それ見たことある! 『バトルロワイヤル』の映画でたけしがやってたね!」。ああ、なるほどそうやって彼らは様々な事象を記憶していくのだろう。家に帰ると仕事していたサラが憮然とした顔で言う。「嵐の最近の作品はどうしてYouTubeで見られないの? 彼らは生きているの? 山下君は? ショウ・サクライは? ニノは? 『Letters from Iwo Jima』の彼は良かったと思うんだけど。生きていますか?」
 
 
 

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