読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

サンプル『蒲団と達磨』、素晴らしい、だが今なぜこの戯曲を?

 

「松井氏、ヤ軍初のフロント入り」というニュースの見出しを読んで、ヤンキースのフロント入り記者会見をする松井周の姿を想像してしまうくらい、何日か前にKAATで観た劇団サンプル『蒲団と達磨』(作・岩松了、演出・松井周)を引きずっている。後に尾を引く、良い芝居だったということは間違いない。しかし観ながらひっかかったのは、当日パンフに演出家の言葉がなかったことで、数日経った今でも、やっぱりそのことに対してちょっとオブセッシブなくらいに不満に思っている。

 

 

▼今なぜ上演するのか?


『蒲団と達磨』が1989年の岸田國士戯曲賞を受賞したのは、演劇史的にはかなり重要な意味を持つに違いない。宮沢章夫『ヒネミ』の受賞は1993年、平田オリザ東京ノート』の受賞は1995年まで待たなければならない。今回のサンプルの上演は(意図的にか、結果的にか)、岩松了の『蒲団と達磨』こそが、「静かな演劇」の最初の狼煙であったのだと宣言しているかのようだ。

 

そして今これをあえて「先祖がえり」的に上演することは、岩松了の演劇的遺伝子を継承しようとする意志のあらわれにも思える。

 

そうした演劇史におけるミッシングリンク(『演劇最強論』所収の徳永京子「ミッシングリンクを繋ぐ者たち」を参照)をあらためて繋ぎ直す作業に、意義のあることはわかる。平田オリザのもとでみずからの演劇を練磨し、また岩松了に影響を受けた者として、松井周に心中ひそかに期するものがあることは、想像できなくはない。

 

しかしある公演をつくる演出家として、四半世紀以上前に書かれたこの戯曲をどういった意図で手元に手繰り寄せ、何を問題化して観客の前に差し出そうとしたのか、その点についてはわたしにはよくわからなかった。

 

いや、もちろん日本における「お芝居を鑑賞する」という文化が、特に作り手の意図を(60年代アングラより以後は)要請してこなかったということは知っている。この上演が、現代を舞台にして、現代に書かれたものであれば、たとえ作り手の意図が語られなかったとしても、観客はその作品の中から様々な文脈を自分なりに読み取ることはできるのかもしれない。そして様々に観客が何かを感じ、考えたとしたら、その上演は一定の成功を収めているとも言える。そしてもちろん26年前の戯曲が上演されても、観客はやはり、舞台上に起きたことと、みずからの内的な記憶や体験とを、勝手に結びつけてなんらかの解釈を(無意識のうちに)ほどこそうとするだろう。しかし、なんといっても26年だ。四半世紀である。舞台上で描かれている生理や価値観は、現代のそれとは少なからずズレている。それをどう受け止めればいいのだろうか?

 

この上演には外国語字幕がついていなかったので、「日本語を母語としない観客層」が想定されていないことはわかる。もちろんそれはやむをえない。それにこの上演を、仮に字幕がついていたとしても、日本語圏でない人たちが受け止めることはかなり難しいのではないかと感じる(やってみないとわからないが)。しかしもし外国人に向けて上演するとなったら、さすがに演出家はみずからの上演意図を説明する必要に迫られるだろう。では、今回の上演は、日本人に向けられているから、上演意図を説明する必要がないと本当に言えるのだろうか?

 

 

岩松了『蒲団と達磨』の戯曲について

 

今回の『蒲団と達磨』の上演を観て、1行目から匂い立つように「戯曲」だな……と感じた。妹のセリフに突如ドキッとするあの単語が出てきたり、思わせぶりなタイミングで電……というのもすごくうまくて、劇作の妙を感じる。そしてあの選曲……! 関係性によって態度や権力が目に見えて変わったり、照明で……というあたりは、松井周の演出による効果がおそらく大きいと思うけれど、戯曲の中にその片鱗がすでに埋め込まれていると考えることもできるだろう。

 

多くを語らずして人間の深い心の機微を描く、という意味では、お手本のような戯曲だとも思う。この戯曲を書くために、三軒茶屋の三軒の喫茶店(!)をハシゴして書いたというエピソードもまた、ドラマティックである。ローチケのサイトにあった次の対談での、岩松了の言葉も素晴らしい。


http://engekisengen.com/stage/interview/sample_interview/

 

「人間の記憶に残り、蓄積されていくのは、全部、自分が被害にあった時のものだよ。言ったことではなく、言われたこと。何かを深く確かめることができるのは、全部、矢印が自分の方に向いた時だと思う。」

 


この戯曲から学べることは多い。例えば弟夫妻のあいだに横たわる問題も、いくつかのエピソードは語られるものの、結局なんだかハッキリとはわからない。家政婦もそう。兄と妹の関係も微妙。コンちゃんの真の想いはどこにあるのか? しかしそういったことが完全には確定されず、ぼんやりとした複数の可能性を含んだまま、芝居として成立するようになっている。平田オリザもしばしば「実は妊娠したのか、してないのか?」と宙吊りにするような描き方をするけれども、岩松了の『蒲団と達磨』はもっとリゾーム状に可能性が張り巡らされ、結果的に真実はほとんど何ひとつわからないまま、それでいて人間が生きていく上で直面する「何か」が描かれるのである。

 

これを書いている時点で当時の岸田賞の選評を確認できていないので、受賞時の実際の評価がどんなものだったかはまだわからない。しかしこれが受賞に値する作品であることは26年経った今(後出しジャンケン的にかもしれないが)痛烈にわかる。

 

 

▼再び、なぜ今この戯曲を?

 

しかし「言外に背景を匂わす」というこの語り口が、日本の演劇史や文学史における金字塔であったとしても、果たしてこれから先の日本や世界でどこまで通じるのかというと、そこは疑わしいのではないか? というのは、あまりにも「日本語」とそれが生み出す婉曲ぶりに依存しているように見えるからだ。もちろん、そこにいない人間の「不在」を常に感じさせたり、言葉では語られない背景を感じさせるという手法自体は、特に日本にかぎったものではない。しかしこの『蒲団と達磨』は、その「語らないことによって語る」ことを、日本語特有の間接性や迂遠さを最大限活用する形で、過剰にやってみせたという点において、1989年当時に斬新だったのではないか。

 

ここで描かれている、一種の閉塞感のようなもの……。男たちの下卑たホモソーシャルな空気とか、相手との関係性によって態度や言葉遣いを変えていくヒエラルキーのありようとか、そういった20世紀的な世界観を、もちろん岩松了は肯定的に描いているわけではないし、松井周も当然、単に肯定しているわけはないだろう。しかし今これを上演することが「こんな時代もあったね」と言いたいのか、「日本人には未だにこういうメンタリティが眠っているはずですよね」と言いたいのか? よくわからなかった。現代日本の閉塞感を描く、というやり方は、2000年代の半ばくらいまでで、もうすでに、ひと区切りついたのではないだろうか?(そして松井周は2004年の『通過』初演で、すでにそれを描いていたではないか。)

 

そこは、演出家に語ってほしいとわたしは思う。

 

 

▼俳優について


俳優陣、特にサンプルのメンバーは(例によっての不穏さも含めて)盤石の安定ぶりだった。だんだん小さく硬くなっていくけれど、最後の一線は失わないというあんな安藤真理を観るのは初めてだった。彼女と古舘寛治の最後の対話、そしてあのラストシーンの絵は美しいと思う。大石将弘ら客演陣もその職人ぶりを見せている。一見まっとうに見える人間のほうが怖いのだ。田中美希恵はほとんど反則技的ポジションだけど(笑)、単に飛び道具ということではなく、「そこに居る」感じがしてすごくいい。彼女や、あと野津あおいもそうかもしれないが、プロセニアムという枠組みをちょっとハミ出していたようだ。しかしなんといっても無口な「コンちゃん」を演じた三浦直之を忘れるわけにはいかない。彼にはまったく驚かされた。