BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20140523 マンハイム2日目

 

目覚めて、ホテルで朝食。ほぼ毎日、8時半から9時くらいに起きていたので、この日もそうだろう。食堂では同じホテルに宿泊している面々に会うので、なんとなく話しながら食事するのが朝の始まりになっていた。


アドラーテの中心部、パラーデ広場(Parade Platz)にあるスーパーで、ビールや水を買い出し。水は間違って炭酸入りのものを買ってしまう。ドイツ語をちょっと調べれば簡単に理解できそうなものだが、滞在中は吸収しなければならないものも多く、ドイツ語の勉強まではほとんど手が回らなかった。むしろ言語ではなく、町のリズムに慣れていくことでいろんな問題は解決された。


事務局の若いスタッフが進めてくれたCafe Vienaにも行ってみた。豆腐バーガーを頼んだら、予想していなかった大量のポテトがついてきて面食らう。

 

http://instagram.com/p/oX0yxQKskg/

 

 

まず屋外で、オープニングのスピーチ。シャンパンや苺が振る舞われた。かなりの炎天下だったから、コ・ジュヨンさんと一緒に日陰で涼みながら聞いていた。コさんはブリュッセルでクンステン・フェスティバル・デザール(Kunstenfestivaldesarts)を観た帰りにマンハイムに寄っているらしく、わりと休暇モードでリラックスしているように見えた。


そこから大劇場Schauspielhausに入って、Jacob Appelbaumのスピーチ。エドワード・スノーデンの親友でもあるハッカーWikileaks関連の話題は日本では他山の火事だけれども、欧米世界においてはおそらくかなり重要な意味を持つのだろう。スピーチを依頼したTheater der Weltの意図も、今やグローバルに展開されている権力に対するindependentの精神を説くためではないかと受け取った。

日本では左翼・右翼ともに悲惨な暴力を発動した歴史があり、偏った思想は暴力的なものに直結する匂いを感じさせてしまう。かといって中道リベラルのような思想風土も未だ成立せず(民主党の敗北は痛い)、結局のところ、政治はカネがらみで動き、つまりは長期的なビジョンや理念を持ち得ないまま場当たり的に動いていく。ポピュリストによる過激な言動が時折言い放たれ、それが「劇場型政治」としてワイドショーで消費されて終わる、というのが常態になっている。一般的なメンタリティとしても、闘争はあまり好まれない。「和を尊ぶ日本人」という刷り込みもどこかにあるのかもしれない。ともかく結果として、日本語は、ある対立軸を生み出して論理的・弁証法的に解決策を見出していくようにはほとんど使われず、ぬるっとした曖昧な空気を共有するためのものになってしまった。阿吽の呼吸とか、侘び寂びとか、そのような美徳があるとしても、結局何を共有しているのかよくわからない、ただ「空気読め」という形でひとりひとりの首を絞めていくような状況がずっと続いているような気がする。


前日のHOTEL shabbyshabbyツアーで痛感したのは、「公共性=public」というものを成立させている土壌が、ドイツ(ヨーロッパ?)と日本とでは相当違うということで、もちろんそのことは文献を通して程度理解していたつもりだったが、なるほどこんな風に現れるのか、と目の当たりにしたのはショックだった。日本では「公共」というとただちに国家行政のシステムに従属した分野のことを指すことがほとんどで、議論もその外に出ることはあまりない。そのことはいつもわたしを苛立たせる。もう別の言葉を使うしかないのかもしれない。つまり日本語の「公共性」とは、全く「public」とは別のものなのだと。

 


……とりあえず今は先を急ごう。

 


さてスピーチの後は、休憩を経て、エルフリーデ・イェリネクの新作をNicolas Stemannが演出した『Die Schutzbefohlenen』。2012年から13年にかけて、ウィーンの教会にパキスタン人の不法移民が立て籠もった事件を題材にしたもの。中盤、実際に移民のように見える人々が舞台に上げられ、何かを客席に向かって訴えるのだが、俳優たちはそれを「代弁」しようとし、彼らの発音を稚拙なものとして捉えて「矯正」しようとする。だがそこから移民たちの逆襲に遭う……というところまでは、それなりに分かりやすい構造ではある。しかし、仮面を被ることでついに白人でも黒人でも黄色人種でもなくなった人々が、同じ顔をして(というかある意味、固有の顔を剥奪されて)共に手を取り合う、という美しい絵でこの劇は終わる……のかと思いきや、(高速の英語字幕のために内容はよく理解はできなかったものの)その後もしばらく蛇足のような時間が続いた。スッキリとした簡単な解決なんてありえない、と言わんばかりのこの時間にわたしは好感を持った。この粘り腰こそが、この時代にものをつくる人間として必要な資質なのかもしれない。


劇場の外に出て、昨日からいる面々に加えてさらにこの日やってきた、演劇評論家の桂真菜さんや美術ライターの島貫泰介さんらとあれこれ話しつつ、ベイルートから来ているJoe Mamyの『Automobile』が広場で展開されようとしているのを見守る。ごく簡単に言えば改造車の爆音で何か演奏する、という試みらしいのだが、これを全部見届けようとすると『Tararabumia』が観られないので、選択を迫られる。ベイルートをとるか、ロシアをとるか? 島貫さんは「ぼくはベイルートに賭けてみます!」と言って残ったが、後の面々はほとんどロシアへのシャトルバスに乗り込んだ。


倉庫のような場所に着いた。遠くで花火があがっている。ここでは、モスクワに拠点を置くDmitry Krymovによる『Tararabumbia』。かなり人気の演出家らしく、場内の期待値は最初から高かった。対面式の舞台で、そのあいだをベルトコンベアーが流れており、俳優たちがその上を何度も何度も行進していく(動画参照)。チェーホフの断片のコラージュ……かと思いきや、ボリショイ歌劇団ヴェニスの商人、水泳団、挙げ句の果てにはズンドコ節のテーマで空手のフリをしていたり……もはやなんでもアリのハチャメチャなエンターテインメントだった。特に『かもめ』からの引用で、ニーナが23人のトリゴーリンと対峙するシーンは実に馬鹿馬鹿しくて圧巻。お客さんには大ウケで、ビール呑んでる女の子集団が地団駄踏み鳴らしたりして、カーテンコールも盛り上がった。なるほどお客さんも結構テキトーなんだな、ということは分かった。(こういうのを経験しまくった後に、日本のカーテンコールを見ると、あまりにも寂しく思える……)


 

シャトルバスでナショナルシアターに戻ると、広場はすっかりパーティ会場と化していた。Theater der Weltでは期間中、毎晩深夜2時頃までDJが入ってパーティを繰り広げてた。そこで踊ってもいいし、広場でまったり話ながら呑んでもいい。劇場は一種の解放区として存在していた。そもそも『Tararabumbia』が終わった時点ですでに深夜0時を過ぎているのだ。ビールを呑み、午前2時前には脱落してホテルに戻った。