20140507 演劇センターF立ち上げにあたり
この日は、演劇センターFの立ち上げにあたっての文章が公開された。書いたのは市原幹也。ロマンティックで良いなと思います。
http://tcf-project.net/readme.html
昨日聴いた訃報というのは、ある友人が餓死した、というものだった。つまり孤独死ということなのだと思う。歳上だったが、同郷ということもあって、可愛がってもらった。最近あまり呑み屋に現れないな、と思って心配していたのだが、結局のところわたしは何もせず、最後のほうは連絡もつかなかったらしいが、わたしは連絡さえとってみようとしなかったのだ。というか、先方から来たメールや電話を、例によってスルーしたりさえしていた、という点にかんして、やはり去年のこの時期にあった訃報と、まったく同じことを繰り返していることになる。いのちの電話を無視したのだ。
そのことに関して、自分が負い目を感じる必要はない、のかもしれないが、ではいったいアートやら演劇やら、というものに関わって、それなりに自分としては精力を注いで批評活動をしていて、それがどこかで世の中の役に立っているはずだ、などと自惚れながら、身近にいる人をさえ助けられないでいる、という事実は、事実として目の前に突きつけられている。
自分が『演劇クエスト』を7月にやるに至ったというか、それ以前に、三浦半島に足繁く通うようになったのは、この友人のひとことがキッカケだった。芸術が、仮に、目の前の人を見殺しにしてさえも、「誰か」を救うのだとして、それが芸術の本質的な役目かもしれない、そのことに一定の説得力は感じつつ、でもいっぽうではおそろしく無力である、という事実は、芸術になんらかの形で関わる人間としては引き受けていかざるをえないだろうと思っている。