BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20140314 地点×KAAT『悪霊』

 

とある魅力的なミーティングにお誘いいただいたけども、仕事量・体力ともに不可能なので断念して家で仕事。

 

夜、地点×KAAT『悪霊』初日。ブリコメンドにも書いたように、あの長大かつ奇妙な小説をどうやって舞台に……?、と思っていたけども、想像以上に『悪霊』だった。がぷりよつの大相撲という感じ。ドストエフスキーの長編小説はポリフォニック(多声的)と称されてはいるものの、『悪霊』を読んだ人はお分かりのように、いわゆる普通の群像劇とは全く異なっていて、基本的にはひたすら、気の狂った人たちがそれぞれの独白をぶつけ合っていく小説である。事件は起こるし、ドラマティックではあるけれど、一方では極めて観念的でもある。舞台もその感覚を具現化していて、だからどうとっついていいのか(既存の観劇の文法からすると)手がかりを見失いかねないが、とはいえいろいろな裂け目というかフックはあって、案外それは、ステパン先生のいけすかないフランス語かぶれや、「あーーーーつっかれちゃった」と言ってシャートフの気違いじみた熱弁を脱臼させてしまうマリイの振る舞いだったりするのかもしれない。その一方で、革命家ピョートルの語りに取り憑いた「悪霊」はもちろん恐しくて迫力があるわけだが、「悪霊」は彼だけに憑いているわけではないし、今回の三浦演出では、ピョートルやスタヴローギンだけが脚光を浴びるわけではなく、Gという語り手(最もドストエフスキーに近い客観性を持っている)を置くことで、まさに「湖で溺死する」ような彼らの姿を捉えようとしている。ふと気づくと雪が降っていて、物語の筋や思想よりも、なんだかそのことに感動してしまったりもした。例えば、キリーロフの「木の葉」の話を聴いていて不意に強いショックを受けたのだが、観ている時はその理由がよくわからなかった。原文(第二部 第一章 5)からその箇所を引用してみよう。

 

「あのときはまだ自分が幸福なことを知らなかったんです。きみは葉を見たことがありますか、木の葉を?」

「ありますよ」

「ぼくはこの間、黄色い葉を見ましたよ、緑がわずかになって、端のほうから腐りかけていた。風で舞ってきたんです。ぼくは十歳のころ、冬、わざと目をつぶって、木の葉を想像してみたものです。葉脈のくっきり浮き出た緑色の葉で、太陽にきらきら輝いているのをです。目をあけてみると、それがあまりにすばらしいので信じられない、それでまた目をつぶる」

「それはなんです、たとえ話ですか?」

「いいや……なぜです? たとえ話なんかじゃない、ただの木の葉、一枚の木の葉ですよ。木の葉はすばらしい。すべてがすばらしい」

「すべて?」

「すべてです。人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないから、それだけです。これがいっさい、いっさいなんです! 知るものはただちに幸福になる。その瞬間に。あの姑が死んで、女の子が一人で残される——すべてすばらしい。ぼくは突然発見したんです」

「でも、餓死する者も、女の子を辱めたり、穢したりする者もあるだろうけれど、それもすばらしいのですか?」

「すばらしい。赤ん坊の頭をぐしゃぐしゃに叩きつぶす者がいても、やっぱりすばらしい。叩きつぶさない者も、やっぱりすばらしい。すべてがすばらしい、すべてがです。すべてがすばらしいことを知る者には、すばらしい。もしみなが、すばらしいことを知るようになれば、すばらしくなるのだけれど、すばらしいことを知らないうちは、ひとつもすばらしくないでしょうよ。ぼくの考えはこれですべてです、これだけ、ほかには何もありません」

「きみは自分がそんなに幸福だということをいつ知ったのです?」

「先週の火曜日、いや、水曜日です、もう深夜をすぎて水曜日になっていたから」

「どんなきっかけで?」

「覚えていません、自然とです。部屋の中を歩いていて……これはどうでもいいことだな。ぼくは時計を止めましたよ、二時三十七分でした」

「時が静止するしるしにですか?」

 

(長すぎるので中略)

 

「賭けてもいい、今度ぼくが来るときには、きみはもう神さままで信じていますよ」

 

 

……とまあこんな感じで『悪霊』は語られていく。わけがわからないのである。ここで女の子を陵辱することについて触れられているのは、小説では編集者に止められてカットされてしまった「スタヴローギンの告白」のシーンを示唆しているものと思われるが、それについては今は割愛する。それより何より舞台を観ていて恐ろしかったのは、ここで描かれているのであろう「悪霊」が、自分の中にも普通に潜んでいる、と感じざるをえないことだった。

 

日々を自分なりに懸命に、誠実に生きながらも、実のところはそのすべてがどうでもいい、とたぶん自分は感じている。善良に生きたいと願ってきたのだが……いや、そのことに性急に結論をつけたくはないし、「ニヒリズム」や「虚無」という言葉をそこに充ててわかった気になりたくもない。まあきっとそんなに悪くもない人生だろう、と考えることもできなくはないし、無いものねだりをしたいわけでもない。ただ精神の崩壊とは何らかの形で闘ってきたとは思うし、実際にどこかで崩壊してしまった人たちのことを他人事には思えないという感覚もある。やっぱり『悪霊』が150年も読み継がれてきた最大の理由は、この小説が、人間が生きているこの世界の根幹を揺るがすような鍵を握っているからに違いないのだろう、と今感じている。それはたぶん、この世界に存在しないほうがいい鍵だが、かといって、失われるわけにはいかない鍵でもあるのだろう。

 

 

終演後、役者たちが去っていったあとも拍手が鳴り止まなかった。しかし待っていても俳優たちが出てこないので、だんだんとその拍手は少なくなったが、それでも20人くらいの人たちが熱心に拍手を続けていて、これは……どうなるのだ……という感じになった。わたしがついに拍手するのを諦めてから10秒後くらいに、とうとう演出家の三浦基が出てきて「明かりつけて!」と言って、それで俳優たちもパラパラとちょっと気恥ずかしそうに出て来て、喝采を受けた。それは少し異様な光景だった。

 

少なくとももう1回は観に行きたい。

 

 

中華街のバーで、KAATの技術スタッフの人たちの熱い話を聴くことができた。特にHさんにお願いして「技術監督とは何か?」について語っていただいたのがとても面白かったし、こういう知識や経験はもっとパブリックなものとして共有されていったほうがいい。わたしは洋酒が基本的には苦手なのだが、この日は珍しく、ギネスを呑んだ後に少し甘いカクテルを呑んだ。カウンターですでに我々よりも先に呑んでいたベテランのスタッフが、「あの劇場には心があるからねえ……」としみじみ呟いていたのが忘れられない。どんな劇場も最初はまっさらで、心なんてありもしないはずだが、結局どこかの場所に心を宿すのは、(観客も含めた)人間なのだろう。

 

深夜の1時過ぎに某公爵が「チャーハン食べたい」と言い出したのでてっきり中華に行くのかと思いきや、てくてく歩いて伊勢佐木あたりにいい感じの蕎麦屋を発見した公爵は「お、いいじゃん」と言って店にすたすた入っていき、それで蕎麦焼酎の蕎麦湯割りを呑みながら野菜天ぷらとせいろを食べた。蕎麦アレルギーの人にとっては致命的な取り合わせだったが、なんとなく深夜に蕎麦を食べるのは妙な背徳感もあってなかなかのものだった。そういえば『悪霊』の登場人物たちは結構早起きだな、という印象もあるのだが、夜のシーンもある。家に帰り着いた頃には2時半を過ぎていて、自殺することで人間が神になると考えていたキリーロフによれば、このあたりで時間が止まることになる。