BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20140213 『Rと無重力のうねりで』

 

朝からON-PAMの公開ディスカッションに参加。午前は「東アジア」がテーマで、海外の人が圧倒的に多く、活発な意見が乱れ飛んだ。いろいろな話を聞いていて触発されたので、ON-PAMは運動(ムーブメント)なのではないか、というような発言をした。鳥の劇場の斎藤さんは面白い人だなと感じた。いつかゆっくりお話を伺ってみたい。

 

午後は「公共性」がテーマだったのだが、まあやっぱり空中戦になった感は否めない。輸入された概念であるこの言葉は、革命の起きていないこの国には馴染まないし、しばしば「公共=行政」ということが盲目的に信じられてしまうのでヤバいなと思う。特に若い制作者には「public」ということについて、多少なりともその理論的背景は勉強しておいてほしい。しかしながら、この場である種のフラストレーションが共有されたことは大きいのでないかとも思う。いろんな人の声が聴けたのもよかった。特に京都のロームシアターを準備中の蔭山さんの、「世の中が青と言っている時に、赤、と言うことも劇場の役割だし、それがバランスとも言えるのではないか」的な発言には非常に感銘を受けた。

 

思いのほか疲労したので、YCCの一階で岸井大輔さんたちがゲリラトークをしているのを眺めたりしながら、宮永ディレクションの空間を楽しみつつ、ぼんやりとして、来た人と話をしたりする。ここにいるとほんとにいろんな人に会う。『「演劇」という名の展示』は、それをごく自然な形で発生させるこの場の磁力に貢献しているようにも感じる。象の鼻テラスでの『象はすべてを忘れない』で昨秋感じつづけていた、あの不思議な居心地の良さにもどこかしら通じるものがある。

 

 

夜はマームとジプシー『Rと無重力のうねりで』。苦しんでいるな、とわたしとしては感じた。ここで描かれている2種類の暴力のあいだに、連関があるとも思えなかった。しかしそこを論理的に繋げばきれいな演劇作品になるとして、それが欲しいとも思わなかった。提示される「闇」は、ある種の逃げ道でもあったかもしれない。それでもわたしとしては、この「闇」が呼び出されるほかないという、作家の衝動がここにはきっとあるのだろうと感じた。たぶんここにはとても大事なものがある。もっと耳を澄ませてほしいと思った。きっと彼ならばそれを聴くことができるはず。

 

ジムに通ったという男優陣たちの身体は本当にシャープになっていて、椅子を跳び越える時など、ひらり、という音が静かに聞こえるかのようである。

 

 

そのあと、とある飲みの席にOさんを呼んでみた。彼女は隣にいて何かを考えているらしかった。それをまったく予想できないわけでもない。わたしにとっておそらく「批評」を考えるうえでもっとも大事な生命線であるこの場所になぜ彼女を呼んだかといえば、いつかわたしは彼女に(比喩的な意味で)殺されるだろうと予想しているからなのだ。だけどそう簡単にはやられはしない。