BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20140113 ヨコハマトリエンナーレ2014 200日前イベント

 

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ヨコハマトリエンナーレ2014の200日前カウントダウンイベント。朝9時に横浜美術館前に集合し、目の前にあるMARK ISに出発。「みらいの自分に『忘却の手紙』を送ろう!」というタイトルで、MARK ISと美術館を繋ぐスタンプラリーを行った。用意していた葉書があっという間になくなり、急遽増刷することに(事務局の上野さん、ごくろうさまでした)。結果的に数百枚がハケたというのは、数字としても大成功を収めた、と言っていいと思う。

 

実際には50人くらいのサポーターが関わっていたけども、終了後も残った25人くらいで桜木町の中華屋で打ち上げ、大いに盛り上がった。大人数の飲み会は苦手なわたしとしても、これは本当に心から楽しいものだった。20〜70歳くらいの年齢幅(半世紀差……)のオトナたちがこうやって楽しく騒いで語り合えるという環境は、なかなかに凄い、貴重なものだと思う。みんないい顔してたなあ……。

 

年末年始返上で準備を進め、さらには徹夜でパネル製作や搬入をしてこの日を演出したみなさんには、本当に頭が下がる思いです。

 

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ところで、さきほど「数字としても大成功」と書いたけれども、わたしが今回のイベントで良かったと感じたのは、むしろ「数字に残らない」部分だった。

 

このイベントでは、ヨコハマトリエンナーレ2014のコンセプトである華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」から、「華氏451」「芸術」「世界」「中心」「忘却」「海」という6つの言葉を抽出してスタンプラリーを行った。6箇所を回ってゴールすると、風船のついた封筒が渡され、約半年後の「未来の自分」に宛てた手紙が受理されるという、一種のタイムカプセル的な仕掛けになっている(やがて手紙の到着と共に、ヨコトリ関連グッズが全ての参加者に当たる)。

 

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各チェックポイントには、この6つの言葉のうちのひとつがそれぞれに配置されていて、例えばわたしのいたポイントでは「中心」をテーマにしていた。ここでは「あなたにとっての「中心」とは?」というお題の書かれた大きな白いシートが用意されていて、来場者のみなさんには、そこに任意で(スタンプラリーと関係なく)この問いから思いついた言葉やイメージを自由に(寄せ書きのように)書き込んでもらった。これが予想以上に素敵なコミュニケーションを生むことになったのだった。

 

 

例えば、小学生くらいの女の子二人組は、お互いにひそひそと相談したあとに、それぞれ「妹」「姉」と書き込んだ。それで、てっきり友だちだとばかり思っていたこの二人が実は姉妹であることが初めて分かった。あるおばあちゃんは自画像(?)と一緒に「顔のまん中は鼻です!」と書き、その孫は「家」と書いて、そこにかわいいドアの絵と自分の名前を付け足した。さらにその弟クンはというと、線が口から出ている絵(エクトプラズム?)を豪快に描いた。たぶん幼すぎて、「中心」や「真ん中」という言葉の意味を理解してはいなかっただろう……。またある女の子はひたすら線を重ねていて父親が「これ何?」と尋ねると「パパ!」と答えたので、父親がその線の隣に「Daddy!」と書き込んだ。さらにある小さな男の子は「○」をたくさん描いていて「何?」と訊いたら「友だち」だそうで、「何人いるの?」と母親が尋ねると「69人」と即答した。見かけによらずなかなか社交的な子であった……。わたしが休憩中で持ち場を離れていた時にドイツ語(?)で書き込んだ親子がいたそうで、それを別の小学生から「これ英語でなんて書いてあるの?」と訊かれたので「英語じゃないと思うよ、読めないけど」と言うと「英語はできるの?」と言うので「まあちょっとだけね……」と答えると「ふうん、ちょっとだけ、ね。うちのお兄ちゃんはもっとできるけどね」と小馬鹿にされたりもした。きー、悔しい。はたまたオシャレな私服で遊びに来ていた数人の女子中学生グループのひとりは「抹茶。」と書いていて、どうやら毎日抹茶を摂取しているらしい。健康的というか、歳のわりには渋い趣味だなと思った。美術館の人たちと一緒に来場したさる方は「インドネシア」と書きつけた。あるいは、落書きをしていいのだと勘違いしてしまったのか、奔放に線を描き、他人の言葉の上まで浸食してしまった女の子は、パパに「もうやめなさい」とたしなめられて腕をつかまれて泣きだしてしまった。最も印象的だったのは、しばらくこの「中心……?」という問いを前に考え込んでいたある若いカップルで、男性が思案の末に「妻」と書くと、「えー、そしたらこう書くしかないじゃん」と言いながら女性がその隣に「夫!」と書き足したのだが、二人は「とても楽しかったです」と言い残して笑顔で去っていった。少し離れたところで、そっと手を握り合っている後ろ姿が見えたのだった。

 

……こういったやりとりの痕跡が、このシートには残っている。寄せ書きというか、まるで曼荼羅みたいというか、様々なイメージによって織り成された集合体になった。これがそれぞれの言葉ごとに全部で6つあるわけだが、これはもはや「財産」と言っていいと思う。誰の財産かといえばひとまずは「ヨコハマトリエンナーレの……」ということになるんだろうけども、本当のところは、誰の所有物でもないのだろう。

 

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実際問題として、この企画を楽しんでくれた彼らが、ヨコハマトリエンナーレ2014の本展に来場するのかどうかは分からない。単に「風船が欲しいって子供が言うから……」とか「なんとなくスタンプラリーって楽しそうだから」という動機だけで参加した人たちも多かったと思う。というか、8〜9割がそうかもしれない。美術館はまだしも、MARK ISを歩いていたのはごくフツウに休日を楽しみに来た人たちなのであって、バーゲンが目当てだったりするわけで、必ずしも現代アートというものに常日頃親しんでいるというわけではないのだから。

 

それでも、MARK ISを回遊していた多くの人々の目や耳に「ヨコハマトリエンナーレ」という文字列やそのコンセプトイメージは(かすかにでも)届いたはずだし、スタンプラリーに最後まで付き合ってくださった人たちには、いずれ「過去の自分」からの手紙が届いて、半年間のタイムトリップを味わいながら「あ、そういえばトリエンナーレとか言ってたな……」とまた思い出す機会も訪れることだろう。

 

もしかすると、すでにして彼らはヨコトリに関わった、とも言えるのかもしれない。少なくとも「とても楽しかったです」と言い残して去っていったあの若い夫婦の後ろ姿は、わたしが「ヨコハマトリエンナーレ2014」をいつか回顧する時に、きっとそれも含めて思い出すであろう甘美なイメージのひとつになった。

 

 

バックヤードで片付けをしていると、MARK IS内の店舗で働いているらしい若い女性から声をかけられた。「これって何だったんですか? なんか楽しそうだったからずっと気にはなってたんですけど、お店があって離れられなくて……」と言うので、実はかくかくしかじか、と説明してヨコトリのパンフとフリーペーパー「ヨコトリーツ!」を手渡したら「へえ、読んでみますね!」と快活に言って素敵な笑顔を残して去っていった。感じのいい人だったな。店舗で働いている人からもそうやって歓迎していただけるのはとても嬉しい。

 

大規模な芸術祭には、こういう裾野(?)のほうでささやかに生まれる「できごと」というのがたくさんあるはずで、それもまた芸術祭の魅力の一部を成すのだと思う。というか、ある芸術祭が成熟していく過程というのは、そうした「できごと」無しにはありえないのではないだろうか。

 

 

あと余談的なこともありますが、それは次の日の日記に譲ります。

 

 

下の写真は打ち上げの席にて、なかなかいい顔をしている信号色トリオ。

 

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