BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20140109 TPAMエクスチェンジへの参加、夢の中の『かくれていない』

 

打ち合わせ、のち、野毛山でスリランカカレー。初対面の方がいて、見たことのない苗字につい「珍しい名前ですね」などと凡庸なコメントをしてしまったのだが、彼女にとってはきっとこれまで何百・何千回と繰り返されきた反応だろう。とはいえ、いいお話ができた。

 

蒲田に移動して、落雅季子さん、山崎健太くんと渋い喫茶店で打ち合わせ。一昨日の「知らない町で飲もうシリーズ・蒲田編」で気に入ってしまったので無理矢理に蒲田集合にしたのだった。特に山崎くん、早稲田から遠路はるばるありがとう……。ともあれこのわたしより少しだけ若い2人と組んでTPAMエクスチェンジに乗り込むことに。テーマタイトルは「批評/ドラマトゥルク/メディアの可能性」。批評家はただこうるさいことを言っているだけの存在ではなくて、しかも単に宣伝塔として役に立つということだけでもなくて、(一定の距離を保ったまま)手を結べる存在でもあることを示せればと思います。良い出会いが生まれますように。

http://d.hatena.ne.jp/bricolaq/20140110/p1

http://www.tpam.or.jp/2014/program/networking/tpamexchange/groupmeeting/

 

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ところで、隣の席にいたおばさまたちが「やっと捕まったわねえ、よかった」と言っていて、それであの逃げた強姦魔が捕まったことを知った。蒲田から川崎は目と鼻の先なのだ。

 

レバ刺しと、ジューシーな羽根付き餃子とをハシゴして食べたのち、帰宅。とにかく寒い。いろんなことが順調に進んでいるようにも見える。けど、いっぽうでそれは薄氷というか、今にもすべてが崩れてしまうような危うさの上に成り立っているという感覚もある。とにかく今年はあまり調子に乗らないように(?)して、慎重に、少しずつ、事を進めていきたい。

 

いたずらに不安を煽るつもりはないけれど、北海道から沖縄にいたるまで最近起きている震度3〜4レベルの地震も不気味だし、先のことが分からない、という感じが強まりつつある。自民党の2014年の運動方針案から「不戦の誓い」の文言が削除されたというニュースも含め、政府周辺の一連の動きを見ていて、こうも露骨な表現の転換ができてしまうのは、もはや何をやってもこの民衆どもは怒らないし、たとえ怒ったところで別に大したことはない、とナメられているのだと思う。声を挙げていくしかないのだが、とはいえ声を挙げたところで、それが「体制/反体制」という強固な枠組みの中に吸収されていくようではどうにもこうにも……。

 

少々やさぐれて、付箋に「不戦」と書いて、ばからしい、と思いながらもテラスに出て、外を吹き荒れる風に晒してみた。あっという間にそれは飛ばされていった。そうするうちに、昨年死んだ友人のことが思い出されてきて、彼女はおそらくもの凄い孤独の中で死んだのだろうと思った。わたしはその最終的な方法を知らされていないし、知りたいとも思わないが、とはいえ彼女の最期を知らないことは、その孤独の本当の姿を知らないことであるのかもしれない。

 

 

そんなことを想いながら寝たせいか、変な夢を見た。おこがましいことだが、アーティストのAさんと一緒に作品をつくっていて、それが『かくれていない』というタイトルだったことははっきりと覚えている。ある子供が死んだという設定になっていて、その女児の遺品であるランドセルや筆記用具などが床に散らばっていた。ただ、その女の子はほんとうは死んでいなくて、元気で、押し入れの中に隠れているのだ。Aさんが「ちゃんとできる?」と訊くと、「うん」と言ってその子は押し入れの中に入っていった。

 

しかし開場すると、いの一番にうるさい観客が入ってきた。その人物(わたしの知らない人)は玄人観客を気取っていて、これってこういうことでしょ?、とかなんとか馴れ馴れしく話しかけてきたりするので、わたしはいちじるしく気分を害して、もうこんな環境の中では何もつくれないし何も言う気になれない、と思った。すると、その人も含めたすべての観客は消え去って誰もいなくなり、気づくとAさんの姿も見えない。わたしはそうした「消滅」のあいだもずっと押し入れのことを気にしていて、そのふすまが、あの不躾な観客や誰かによって開けられないようにと見張っていたのだ。もしかしたらそれを最後の砦だと感じていたのかもしれない。押し入れは静かだった。もう誰も会場にいなくなったので、こんなの続けても意味ないと思い、「もう出てきていいよ」とふすまを開けたのだが、そこには誰の姿もなかった。