BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20140104 ドキュメンタリーとしての『シチュエーションズ』

 

佐々木敦『シチュエーションズ』を読み終えた。クリスマスイブの日にまず第二章までを読んで、そのあとしばらく置いて、年が明けてから続きを一気に読んだので、実質は2日で読んだことになると思う。率直に言って今、深い感銘を受けている。

 

まずつまらないことから書くと、同時代の日本の「演劇」についてこれほど言及されている本は他にほとんど見当たらないので、「演劇」に近い場所にいる人たちにはぜひ買って読んで何かしらのことを考えてほしいと思った。近年の重要な幾つかの試みについて、何が為されていたのか、何が起きていたのか、かなり詳細に書かれているという点だけでも、この本には価値があると思う。

 

シチュエーションズ 「以後」をめぐって
 

 

 

さて以下はつまらなくない話を書きたい。どうして上で書いたことが「つまらない」かというと、「演劇」というジャンル分けに拘泥すること自体、この本を読んでいるとまったく無意味に思えてくるからだ。佐々木敦は以前から批評に関して「貫通」という言葉を使っており、個々のジャンルの内部に寄生して書くのではなくそれらを貫くようなものとして批評を書いてきたはずだが、『シチュエーションズ』ではいよいよそれが究まっているように見える。それはきっとこの本が、ある共時性を帯びているからである。

 

わたしはおそらく佐々木敦の本はすべて読んでいて、といっても正直なところ、初期の音楽論集に関しては読んだ当時の自分の知識がなさすぎてせいぜい「目を通した」という程度にしか読み込めていないのだけれども、兎にも角にもすべての本に触れてはきたという前提で言うと、現時点での最新作である『シチュエーションズ』ほどまでに、佐々木敦が同時代の作り手たちに「伴走」している本はないと思う。別の言い方をすると、批評家である彼と各作家たちとの「距離」がこれほどまでに接近してシンクロしている本はかつてないと思う。このシンクロニシティは、やはりある特定の「時間」を意識して書かれたからこそ生まれたのだろう。

 

副題に「「以後」をめぐって」とあるように、『シチュエーションズ』は「2011年3月11日」の「以後」に生まれた(というか誰かによって生み出された)映画、演劇、詩、小説、写真などをめぐって書き継がれていく。だけれどもそれは、日本に住む多くの人々が感じているであろう「3.11以後」の空気が各作品に反映されている、などと単に指摘しているのではない。あるいは各作家にはもちろんのこと「以後」よりも前に「以前」があってそれぞれに「断層」を抱えているはずだが、だからといってそこで「変わった/変わらなかった」などという話を単に指摘しているのでもない。そうではなく、佐々木敦がこの本で試みているのは、そうした様々な(人によって異なる多様な)「断層」を行きつ戻りつしながら、ある作家がどうしてもその芸術作品をつくらざるをえないという、切実さをともなった動機や必然性の在り処を見極めていくことであると思う。彼の著書の中で、こうした創作の切実な動機や必然性について、ここまで突き詰めて言及しているものはわたしの記憶が正しければかつて無かったはずだ。この本に再掲されている、2012年の仙台短編映画祭のパンフレットに寄稿された文章の一部を抜粋しよう。

 

 僕が観たいのは、ある紛れもない必然性をもって生まれてくる映画だ。この必然性は、切実さを伴っていなくてはならない。撮らずにはいられなかった映画、生まれてこないわけにいかなかった映画。切実さは、個人的なもので構わない。それは使命感とか責任感とは違う。もっとある意味では取るに足らない、他人にすぐには伝わらないような、こだわりのようなものでもいい。作られる価値がある映画というよりも、出来はともかく兎に角作りたいという動機だけは煌煌と輝いている映画。役に立つとか立たないとか、ウケるとかウレるとか、そういうことはもうどうでもいい。ただひたすら、ああ映画が撮りたかったのだな、ああこの映画が撮りたかったんだな、と納得してしまうような、強い動機と必然性を帯びた映画が観たいのだ。この気持ちは、前からそうだったけれど、去年の三月一一日以後、ますます増してきている。(p126「第三章 当事者とは誰か?」)

 

ところでこの『シチュエーションズ』は「文學界」で連載されていた原稿をまとめたものであり、章立ては新たに単行本化にあたって付されているものの、掲載の順序は連載時のままになっていて、つまり第一章から最終の第七章までのあいだにアタマから順に時間が流れている。言うなればこの本は、連載が開始された2012年3月からそれが終わる2013年6月までのドキュメンタリーという性格も帯びているのである。それがこの本にある種のスリルをもたらしている。

 

例えば、ある意味では上の文章を佐々木敦に書かせたと言っていい「仙台」は、そうした時間の流れの中でこの本に3度登場している。まずは「第一章 失語に抗って」の中で、この映画祭が2011年度に制作したオムニバス作品『311明日』について語られている。それが1度目。そしてどうやら連載時のその言及がきっかけとなって、映画祭の一環として2012年9月に開催された「シネマてつがくカフェ『震災と映画』」に、佐々木敦は『311明日』の重要な監督のひとりである冨永昌敬と共にゲストとして呼ばれ、仙台を訪ねているのだ。これが2度目である。

 

 いわゆるパネルディスカッションの形式とは違い、ファシリテーターが一応の交通整理はするものの、基本的にはその場に集った全員が同じ立場で自由に発言し、対話を交わし、議論を深めてゆくというものである。当然、冨永監督と私も、その中の一員として話した。(p116)

 

ここで交わされたディスカッションは、『シチュエーションズ』におけるひとつの刺激的なハイライトだと感じるので、ぜひ実際にこの本を読んで体感してほしい。ここですごく重要だとわたしが思うのは、この本の書き手である批評家(つまり佐々木敦自身)がこの議論の輪の中に参加(コミットメント)していて、しかもそこで起きている状況(シチュエーション)に何かしらの影響を及ぼしている点である。この議論での「必然性」や「切実さ」に関する佐々木敦の発言を受ける形で、「初老の男性」が次のようにコメントしているのはその影響(この場合、眠っている言葉を引き出すこと)の証だと思う。

 

「(前略)先ほど、作り手としての内的な必然性、切実さという話がありました。それだけではなくて、私たち観る側、オーディエンスにも、観る側の必然性ってものがあると思うんです。それは自分にとって何なのだろう、とずっと問いかけながら、『なみのおと』とか『測量技師たち』とか、色んな映画を震災後、観てきました。どうして観るんだろうかと自分に問うてみると、それはやっぱり、震災と自分との距離感を推し量りかねてるんですよ、ずっと。あれから一年半も経っても、一年半しか経ってないっていう言い方もあるかもしれませんが、そこに答えを見つけかねている。たまたま被災地にいるということで、何かを精算できない自分を抱えたままでいる。

 冨永さんの今日の映画も、正直いって全然理解できないんです。でも、理解できないから投げ出してしまうのではなくて、わからない自分も大切にしたいな、というか。何かを精算できない、震災との距離感をはかりかねている、ずっと戸惑ったままの自分っていうものを、そのままちょっと抱えていきたいというか。変にわかりたくない、わかったつもりになりたくないという気持ち。だからきっとこの先もずっと、自分は冨永さんの作る映画を観ていくのだろうと思います」(p132)

 

さらにこの仙台への旅は重要な出会いを呼ぶことになった。この時に置かれていたチラシによって、佐々木敦は写真家・志賀理江子の活動を知るのである。これが3度目の「仙台」の登場である。

 

 二〇一三年の初めに仙台に行ってきた。せんだいメディアテークで一月半ばまで催されていた志賀理江子の個展『螺旋海岸』を観るために、約四ヶ月ぶりに東北新幹線に乗った。前年の九月に「仙台短編映画祭」に呼んでいただいた時、まだ開催前だったがすでにチラシが置いてあり、そこにあしらわれた漆黒の中に浮かび上がる艶やかで謎めいたイメージに、強い興味をそそられた。これは時間をやりくりしてでも絶対に来ようと思った。そして予感した通り、展示はおそるべきものだった。(p188「第四章 被災地で、海外で、」

 

偶然とはいえ、いや偶然だからこそ、運命をも感じさせるような出会いだが、実際に批評という活動は、こうした運命的な出会いとつねに隣り合わせであるのだろう。ある作品があらかじめ用意されていて、それを「絶対安全」な立場から腕組みして見物して論評を加える……ということだけが批評家の仕事ではないのである。

 

ただしこうした出会いはまったく完全なる偶然によってもたらされるものでもなくて、置きチラシを見て「時間をやりくりしてでも絶対に来よう」という「予感」を抱けるかどうかという嗅覚やアンテナのようなものが、きっと批評家には不可欠なのだと思う。

 

そして、その後の時間に属しているためにこの本には書かれていないが、この出会いはさらなる連鎖を生み出していくことになる。おそらくこの仙台での出会いがなければ、2013年末のエクス・エクス・エクス・ポナイトでの飴屋法水×吉増剛造のパフォーマンス志賀理江子の写真が用いられた)はずいぶん違ったものになっていただろうし、もしかするとそもそも企画自体が生まれなかった可能性すらあるとも考えられる。

 

 

『シチュエーションズ』はこのように、ある批評家(佐々木敦その人)を登場人物として「以後」を捉えようとしたスリリングなドキュメンタリーとしても読める。おそらくは否応なく歴史に残ってしまうであろう大震災直後の混沌期の、作家たち、そして言葉たちに伴走する、ある批評家の貴重なドキュメンタリーでもあるのだった。

 

 

わたしは読んでいて安穏としていられない気持ちになった。特に第一章を読んでいる時には胃が痛くさえなった。それはわたし自身が、この本で紹介されている作家や作品ほどの倫理的強度を獲得できていないせいかもしれない。すごく正直に言うと、いささか自信を喪失しかけたというか、「お前はどうなんだ?」と問いを突きつけられているような気持ちにもなったのだった。

 

あらゆる表現者にとって、2011年3月からのこの2年あまりの時間は、その表現の妥当性を「アクチュアリティ」や「当事者性」や「今自分に/芸術に何が出来るのか?」といった言葉によって直接的/間接的に厳しく問われる時期でもあり、極端に言えば「踏み絵」の前に立たされるようなところがあったと思う。おそらくは今後もしばらくのあいだ、「誠実」か「不誠実」かを問うようなこの踏み絵はつづくことになるだろう。わたしは自分がそのシリアスな判断を迫られる中で生き残れるとは到底思えない。どうやったって隙や矛盾がある。完成度が低い。倫理的強度が足りない。……と感じるからである。きっと間違いを犯してしまうに違いない。しかしながら、どうしても「強さ」のほうに行ききれない自分がいるのも確かで、おそらくはそこにあるためらいや逡巡の中にこそ、自分の大事なものがあるのではないか……とも思いながら、いやいやそれは言い訳にすぎず、後戻りのできない場所へと踏み出す「勇気」によって切り捨てられてしまうものが怖いだけなのだ……などとぼんやり考えながらというか感じながら、この『シチュエーションズ』を読み進めていった。特に第一章が書かれたのはまだ震災からわずか1年ほどしか経っていない2012年の春だから、「誠実」か「不誠実」かを判断する踏み絵のシリアスさは今の比ではなかったと思うし、書き手である佐々木敦もまた、そのようなシリアスな空気の中でこの連載を書き始めざるをえなかった(あるいはもしかしたらその空気への違和感こそがこれを書き出す動機にもなった?)のではないだろうか。

 

その踏み絵的状況を反映したような空気はしかし、第三章あたりから変わっていくようにわたしには思える。先に引用したように佐々木敦は仙台へと向かい、そこで現地の人たちと対話をし、そこで生まれた様々な市井の人々の声に耳を傾けているのだが、この体験を経て以降、この批評家のスタンスは「作家/作品を論じる」というモードから、「その言葉に耳を傾けていくような在り方」へと変わっているように感じられるのだ。

 

彼が向かった先が「仙台」であったこともやはり大きいのではないだろうか。『シチュエーションズ』は、「被災地」や「当事者」という言葉によって東北地方や福島第一原発を中心として同心円状に把握されている「距離」(要するに、フクイチに近かったり直接の被害を受けている人のほうが「当事者性」が高いという考え方)を相対化する試みでもあるわけだが、しかしながら、東京というある意味なんでも言えるからこそのギスギスした言論状況で繰り出される言葉と、大きな苦難を経験した(あるいは今もしている)可能性の高い人々が生きている土地で交わされる言葉とでは、やはりかなり質が異なるのではないだろうか。「被災地」により近い場所に行ったから変わった、ということではなくて、ある「移動」を通して異質な言葉のあいだを渡り歩いたという経験が、すでにして膨大なキャリアのあるこの批評家にとってさえも何かとても貴重なものとなり、何らかのゆるやかな転回をもたらした、というのは考えすぎだろうか?

 

とはいえあらためて読み返してみると、その変化の萌芽は仙台に行く前の、柴崎友香を論じたくだり(p92以降)から始まっているようにも読めて、それは柴崎友香が「距離」をテーマにしてきた小説家であることとも無縁ではないと思うけれども、これ以上はそれぞれ読む人の判断に委ねたいと思う。

 

 

兎にも角にもこの批評家は、『シチュエーションズ』を通して様々な言葉をたぐり寄せていくことになる。このタイトルが「ズ」という複数形であることの意味はまさにここで浮かび上がってくる。単一の結論を導き出すためにこの本は書かれたのではない。「移動」というのはなにも実際の物理的な空間移動だけを指すものではなくて、最初に述べたような「以前」と「以後」とを行きつ戻りつするような時間的な運動でもあるし、各作家の想像力によって様々に生み出されているフィクションのあいだを渡り歩いていくということでもある。

 

最後に、この批評家はある詩人の長い長い文章に辿り着いてこの本を書き終えるのだが、そこはわたしには未知の境地であった。批評家の長い移動を追跡するうちにその未知の場所に連れていかれたわたし(ある読者)は、その詩人の言葉を前にして何の価値判断もできずにただ立ちすくんで読むしかない。ただ読むしかない。何度も読むしかなかった。しかしこれは明らかにあの「私は言葉を失った」という種類の失語とは異なる沈黙の読書体験であって、だからこそわたしはこのそれなりに長い文章を書いたのだと思う。