BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20131225 芸術と社会?2

 

武蔵小山の立ち飲み中華の2階にある円卓で、『演劇最強論』のささやかな忘年会。お招きした某作家の新婚祝いにもなった。終電後は不覚にもほとんど寝ていた。最近はすぐに眠ってしまう。眠りの時期なのだと思う。

 

いっぽう吉祥寺では「演劇人のための鈴木教室」が開催されていたようで、それを受けて野村政之くん(サンプルのドラマターグ)や危口統之くん(悪魔のしるし主宰)らがブログに書いている文章がとても興味深い。こうやってある濃密な体験が、複数の声としてオープンソース化されていくことは重要だと思う。

http://illualize.exblog.jp/20150457/

http://akumanoshirushi.blogspot.jp/2013/12/blog-post_26.html

 

 

触発されて、まとまっていないけれどつらつら書く。ここで野村くんが抱いている焦燥感や危機感のようなものは、ある程度わたしにも理解できるところがある。例えば2014年の春に一種の「外遊」をしようと今計画しているのだけれども、そこにはやっぱり日本国内(特に東京)の文脈の外側に出たいという気持ちがある。日本がいよいよ狭くるしくなってきたというのもあるし、文脈を接続するような試みが必要だとも思うから。『演劇最強論』はあとがきにも書いたようにそうした文脈の土台になればいいと思ってつくった。その試みは今のところうまくいっているかどうかというと疑問だけど、あとあと効いてくればいいと思っている。少なくとも自分自身の意識としては大きく変化があって、やっとこれで次に行けるぞという感じは今持っている。

 

舞台芸術を支える仕組みの話については、これだけ関わるようになってしまった以上、直接それを受給していないからといって、助成金の問題なんてわたしには関係ないです、とも言い切れなくなっている。書いた劇評やレポートがその査定に利用されたりもするし、舞台芸術に関する言説をつくっていくことは、お金がしかるべきところ(必要であり、有効なところ)に流れていくことにも繋がると思う。

 

ただわたしはどうも日本の「公共」の体制や感覚に対して冷めているところがあって、そこからして突き放して考えたいという気持ちもある。ひとつには、それが形成されたのって近代以降に過ぎないでしょうという考えを拭い去ることができない。危口くんがよく言うように、都市は国家より古いし、芸術は社会より古いのだ。おそらく「芸術の社会的価値」「今、芸術に何かできるか?」などと考え始めた時点で何かが死んでしまっている。ただしそれを方便として使っていくことの重要性も一方では分かってはいる。だけど今これを書いていて思ったのだが、本当にそれが重要なのかどうかは再検討したい。

 

結果として、何か自分の中にどーんと思想的な太い幹があるというわけではなく、場当たり的な対応をいつも迫られてきたような気がする。そうやって場当たり的に流れて生きていくことにもそれなりの面白さはある。運命的なものは偶然の積み重ねとして、事後的に生まれていく。だけどどうもそうした場当たり的なやり方だけでは、この先の局面を乗り切ることはできないのでは?、という予感も最近は少し芽生えてきていて、だから「外」に出てバージョンアップしたいと考えている。

 

それともうひとつの問題意識として。自分は別に芸術どっぷりに生きてきたわけではなく、いろんな仕事に携わってきたし、芸術から遠くて、特にそれを必要とせずに生きている人たちのことも考えてしまう。大衆に迎合するとか媚びるとかそういうことではなくて、単純に自分の仕事が彼らから乖離してしまうようではダメだ、「高尚な芸術」なんかに胡座をかいていてはダメだという感覚も根強くある。最近は呑み屋に行くことと劇場に行くことがかなり等価値だ(もちろん違う体験だが優劣はない)と思っていて、まあそれもどうかとは思うけど、実感としてそれが湧いてきていることを今は面白がってみようと思う。

 

人間との距離を詰めたいのかもしれない。人間に何かしら働きかけるような芸術を求めている。

 

 

もう出かけなくては。これから宮永琢生くんたちと小豆島の話などをするけれども、それもきっとここで書いたような問題意識とどこかしら繋がっているだろうし、そうやって語りの場を設けていくことも具体的なアクション(有効打)のひとつだと思っている。

 

つらつら走り書きをして、意味不明なところも多いと思う。そういえば以前、怪我をしてすぐの頃に、「芸術と社会?」と題して書いた日記がある。まだパソコンに向かえないのでiPhoneで書いたのだった。この時期にいわゆるふつうの日常生活から遠く離れたところで抱いていた感覚は今でも信用しているところがあって、時々この「部屋」には戻りたいと思っている。

http://bricolaq.hatenablog.com/entry/2013/04/23/035714