BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20131213 ロールケーキ

 

いつもの喫茶店に行くと、ロールケーキをサービスしてくれた。美味しい。時々バイトに入っている子が髪を切ったらしくてとても可愛らしくなっていた。というかこの子はたたずまいがいい。笑顔が素敵。舞台に出てみたらどうかな。……とか思いながら貯め込んでいた日記を書いていった。この作業に果たして意味はあるのだろうか?

 

日記を書くのは、自分をからっぽにしたいからかも、とふと思う。何かただ通りすがっていく通過点としてありたい、というのが最近の気分。いろいろな人が行動を起こすための触媒のようであればいい。それで少しは世の中もよくなるかな。まあそんなにうまくはいかないだろう。それにわたしだって触媒とか言ってかっこつけたってエゴがないわけではない。私欲を完全に消すことはできない。

 

とある劇団の活動休止を知った。まあ若いのだしゆっくり休めばいいと思う。若くなくてもゆっくり休めばいいと思う。無責任な物言いだろうか? わたしは、須賀敦子が文筆家としてデビューしたのが還暦を過ぎてからだと知った時、少し気が楽になった。人間にはそれぞれの時間が流れている。横だけを、競争だけを見ていたらそれはしんどくなる。「狭い日本、そんなに急いでどこへいく?」という標語が昔あった。わたしがまだ小さかった頃のこと。わたしもまた、彼を追い込んだ人間のひとりなのかもしれない。誰が悪いわけでもない。星まわり、という言葉を最近よく噛みしめるのだが、特に占星術的な発想に頼らなくても、やっぱり運命の運行というものを感じることはある。まわるまわるよ時代はまわる。とにかく時間はそれぞれに流れていて、その行き着く先は誰にも予想できない。何日か前の日記にも書いたけれども、人間は自分がそう思っているよりもはるかに自由なのだと思う。自死してしまった友人のことを思い出す。自由の可能性が見えなくなってしまったのかもしれない。しかしぜんぶ捨てて生き直すことだって、案外、できたりするのではないか。そのためのフィクションだ、物語だ、ということも最近は考えるし、わたし自身も少しずつ生まれ変わっているような気がする。

 

彼が、ある地方都市のはずれの小さな町に滞在していた時、不登校の男の子が、彼にすごく懐いていた。その子を信頼させる何かを彼は持っていたのだ。きっと彼は、あの子に向けて作品をつくる日がくるのではないかと思う。そういうことのできる人だとわたしは思う。でも今は休んだらいい。そして演劇から離れてみて、また何かやってみたいぞ、と思った時には、その作品に触れてみたいなと思う。