BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20131208 F/T13閉幕

 

『東京ヘテロトピア』で、「聖イグナチオ教会」「東洋文庫ミュージアム」「王家之墓」「ショヒド・ミナール」「東京芸術劇場」などを巡っていく。しかし昼すぎに発表されたF/Tアワードの結果にあまりにも甚大なショックを受けたので、テクストはほとんど耳や目に入ってこなかった。仕方がない。人間のアンテナというのはそういうふうに出来ているのだろう。しかし『東京ヘテロトピア』はすごく興味深い試み。「東京」を再発見することになったし、各所で出会った様々な「他者」との記憶を呼び起こされる。テクストが「新潮」に掲載されると聞いてこれも楽しみ。アプリ化も待望します。

 

あとこの日は、三浦康嗣モブと矢内原美邦モブも目撃。そしてクロージングパーティへ。ガネーシャチームがいい感じだったのでトトちゃんや大場さんと一緒に踊っていたら、だいぶ調子に乗って酔っぱらってしまったらしく、勢いで某打ち上げに紛れ込んでしまった……。しかし温かく迎えていただいて(?)ありがとうございました。結局朝までコースで、去年にひきつづきWさんとラーメンを食べて帰る。去年は湘南新宿ラインで大船まで乗り過ごしたけど、今年は副都心線&東横線という強い味方のおかげで、たぶん中華街まで行って折り返して菊名、という程度で目を醒ますことができた。

 

話長いね。今のその話、要るの? とまた宮沢さんに突っ込まれそうだ。

 

 

さて今年のF/Tについて暫定的な総括を。F/T13はこれまでの蓄積を大きく感じることのできたフェスティバルだったと思う。アーティストもそうだし、観客もそうだし、シンポジウムのような場での語りもそう。一朝一夕にはこの蓄積は生まれない。「言葉=知」を大事にしてきたフェスティバルだからこそ、少しずつ育っていったところがあるように思う。「楽しかった」とか「盛り上がった」ということだけでは泡のように消えてしまう。

 

それは、ディレクターの相馬千秋という人が、彼女自身の言葉を持っていた、ということでもあるのだと思う。借り物の言葉や、肩書きだけを重んじたような当たり障りのない保身的な言葉を、彼女は発してこなかった。彼女自身の責任をもってプログラムディレクターとして立ち、そこから見えるもの、あるいは見ようとするものを語ってきたと思う。きっと、相馬さんの考える演劇観・芸術観や政治社会認識と、わたしのそれとは、違っている部分もかなりある。でもそれはわたしとしては有り難いことだった。そうした差異があるからこそ、彼女の言葉やそのディレクションによって生まれた作品から、大きな刺激を受けた。そもそも、これだけの規模のフェスティバルを動かして、様々な先鋭的な作品を上演していく以上は、予想外のハプニングもたくさん起きただろうし、批判もたくさん浴びただろうし、そこで受けるであろうプレッシャーはとてもわたしの想像の及ぶ範囲ではない。日本はまだ女性の地位が低いし、差別やハラスメントは平然と横行しているし、それに若いディレクターというのもまだ珍しい(日本では)。それでも、とにかくこうやって素晴らしい形でF/T13を結実させた相馬千秋という人物は、おそらくは世界的に見ても稀有な人材なのだろうと思う。こうやってコンセプトを発し続けることのできるディレクターが他にいるだろうか。この最終日に、生まれたばかりの子供を抱いてモブの輪の中へスーッと入っていってスーッと出ていった彼女の姿を見かけて、なんかすごい人だな、と思った。

 

おかげさまで、数年前と比べると、わたしも見える景色がずいぶん変わった。今年はなんとなく最後のご奉公的な気分に勝手になって、別に頼まれもしてないのにとにかく全演目観てやろうと思って池袋に足を運んでいたけども、現時点での構想としては、来年の同時期はほとんど東京に行かないつもり(まあどうなるか分かりませんけど)。もうすでにこういう不穏なことを書くと当局の監視下に置かれてしまう可能性もあるけど、来年2014年は自分としては「レジスタンス元年」と位置づけて、横浜に軸足を置いて活動していきたい。ただし、自分はどうも風の民(?)的なところがあるらしいので、いわゆる地に足つけて、みたいなことにはならない気もする。まあ、ともかくやってみるさ、ということで。

 

時代が変わりつつあるのを感じる。趨勢は、あまり良い方向にむかっているとは思えない。芸術はむしろそうした時代にこそ花開くのかもしれない。なかなか人間は平々凡々には生きられないらしい。たとえそう望んだとしても。