BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20131117 ムルエ、サンプル

 

この日はまた池袋へ。ラビア・ムルエの『雲に乗って』。銃弾を受けて脳に障害を負い、幼稚園からやり直した、という実弟イエッサ・ムルエを主演に迎えた、虚実入り混じったパフォーマンス。弟への愛を感じた、のが良かった。これは一種の「歌」と呼んでいいと思うのだが、日本語圏の作家が日本語圏の観客に向かってこのような「歌」を歌いあげることはかなり難しいだろうとも思った。外国人である、ということを挟むから、恥ずかしく感じないで済む、ということはたぶん結構ある。

 

 

バスでにしすがも創造舎に移動して、サンプル『永い遠足』。不思議な舞台だった。というのは、素晴らしい、と思いつつも、何か観客の「絶賛」とか「熱狂」とかをすり抜けていくようなものを感じるからである。例えばそれを「物足りない」とか「完成度が低い」というボキャブラリーで捉えることはできない。何かまだここから育っていきそうな、有機的なものの存在を感じるのだけど、それは決して「足りない」からではない。

 

これまでの松井周とサンプルの試みのひとつに「境界を溶かす」ということがあった。それはあらゆる倫理観を崩壊させる危険性も孕んでいたわけだが、『永い遠足』では、物語を脱ぐだけではなく、新たにまた別の物語を着る、そしてそれによって生き直しを図る、といった感覚をこれまで以上に感じる作品だったのだ、この『永い遠足』は。……あ、なんだか今ひとつの文の中に重複してタイトルを使ってしまったけれど、最初のと2つめのとでは何か含むものが変わっている可能性はあって、そういうところに「変態」というものの兆しはあるのかもしれない。何かをくぐっていく感覚、あるトンネルの中を抜けて別のところに出る感覚。そういうのは例えば村上春樹の小説にはあった。松井周やサンプルも、もしかしたら構造的には同じもの(トンネル)を持っているのかもしれない。人外なものがそれを導いていく感じとかやっぱりかなり面白いし。ちなみに『永い遠足』では「オイディプス」だけでなく「桃太郎」も使われているけども、鬼退治、というのは鬼を倒すところに意味があるというよりも、途中できびだんごをあげたりしていく中に何か物語的な面白さがあるような気がする。そしてそういう面白さはこの『永い遠足』の中にある。

 

鵺みたいになってきたな(サンプルが)。

 

アフタートークで松井さんが、『地下室』のような構造を持った物語もいいけど、やっぱり自分はこういう物語を書きたい、的な趣旨のことを言っていて、なんだかそのことに「やったー」みたいな気持ちになって心の中では快哉を叫んでいた。