BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20131009 人生仮眠中

禁酒7日目。
ついでにいうとコーヒーも一滴も飲んでいない。薬は規則正しく飲んだ。ようやく体調が上向いてきたのと並行して、編集仕事の勘も徐々に取り戻してきた感じ。しかし編集であれ執筆であれ、個々のミッションはあるし、やる気もあるけど、それらを超えた次の大目標を欲している。短期的な目標を今は見失っている状態。でもそれも悪くない。燃え尽きているわけではない。何が大事なのかは見えてきたし、長期的な視野はある。まあもう少し迷子になってみたい。人に言われた「人生仮眠中」という言葉が気に入っている。「あなたは今、人生仮眠中なんでしょうね。」

 

薬を飲むと突然眠くなったりする。


夢の中でよく行く場所は、10代までに見ていたはずの原風景と少し似ているようだ。これまで自分の過去について、ごくごく大雑把な出来事しか周囲の人に語ってこなかった。語るに値しない、気恥ずかしい、あるいは複雑すぎて語れない、と思ってきた。最近日記に続けて書いている語彙でいうと、「余り」を語る力がなかったということ。けれど、もしも過去が、自分の所有物としてではなく、未知のものとして新たに立ち現れてくることができるのだとしたら、その封印を解いてみたい気はする。どの人生もそれぞれに複雑なのであり、自分もその中のひとつにすぎないと思えば、こわくはない。ただ、単に手持ちのエピソードを古い引き出しの奥から引っ張り出すのではつまらない。そんなふうに自分を切り売りしても、痩せ細るだけだぞ、という感覚が強くある。宝物であると思うなら後生大事にとっておけばいい。幾つかの事柄はそのまま誰にも公開されずに墓場まで行くはずだ。しかし宝物の守護神や、墓守というのは、わたしの仕事ではないと思うのだ。様々なものを手放してみようと思う。そして墓なんてなくてもいい。遺灰は海に流してほしい。放射能ほどには海を汚さないはずだろうから。……さてそんな自分は何者か? 記憶の所有者なのか? 出来事の当事者なのか? 物語の語り手なのか? 自分の鏡だけを見るつもりもない。他人の浸入を許す身体をこそ愛したい。エクリチュールとフィクションの力をもっと信じること。それは純粋に透明なものではない。ノイズと偶然性を孕んだ未知の領域である。それが世界を変えていく日を夢見てとにかく今は眠ろう。現実と対峙するためにはもっと力が要る。

 




満天の星空。こんなにたくさんの星が見えたのは横浜に来てから初めてかも。台風が去ったあとで、しかも月が出ていないせいなのかしら。明日はお酒を飲む。





 

 

  

 

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