BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20130922 仮面パレード、悪魔としるし

 

横浜公園と象の鼻パークのあいだで行われていたカーフリデーへ。パレードに横浜ボートシアターが参加するというので、どうしても観たくなったのだ。昨夜はいらっしゃらなかった遠藤啄郎さんをお見かけしたので、ご挨拶する。まさか自分が演劇について何かしら文章を書く人間となって再びお目にかかるとは思ってもみなかった。遠藤さんは1928年生まれだから、御年85歳。昨晩、仮面をつけるのはまだ二度目、とゆっていた年配の男性(つまりこの日が三度目)が、この日はとても楽しそうにのびのびとはっちゃけていて、子供たちにも大人気だった。

 

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そのあと、伊勢佐木町でうどんを食べていたら、背後にヤスの姿が。例の赤い自転車を停めていたのでバレたみたい。そうこうして少し遅れて黄金町に行って、横浜トリエンナーレのサポーター課外活動に合流。投票でフリペのロゴを決めるなど。紙面についても細かいところをいろいろと修正。まだちょっと堅いけど、やってくうちにどんどん親しみやすいものになっていくでしょう。

 

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そして横浜駅に出て、悪魔のしるし『悪魔としるし』を再び観た。2度目は、できるだけ分析的に観察するように努めた。やはり名作だ……と感嘆しつつ、あえて弱点についても考えてみる。もちろん役者が素晴らしいとか、あの舞台美術(下手側舞台前面にニュッと張り出しており、その顔は透明なスクリーンになっている物体)はなんなんだ?、とかはある。しかしこれまでに人類(特に戦後日本人)が積み重ねてきた数々の歴史的事実を思い起こさせる素材については、どうなのか。「今ここ」という場所は、そうした死屍累々のものどもの上に成り立っているのだと、この舞台はまざまざと示している。例えば1983年にファミコン版が発売された「マリオブラザーズ」のあのゲーム開始を知らせる曲である、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」だったり。長嶋、そしてカレーが大好きなイチロー。「貧乏人は麦を食え」の池田勇人(元祖東京オリンピック閉会式の翌日に退陣表明。所得倍増計画の人)。水野晴朗。全共闘運動。マタギ。「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」。「あ、そう」が口癖の昭和天皇……。これらが若い人たちにどのくらい伝わるのか、とあえて考えてみる。教養の体系がすでに崩壊している今、歴史を流れとして捉える感覚は、今の若い人たちにどれくらいあるのだろうか。それが無いのは悪い、と言いたいわけではない。ネットネイティブの世代にだって別の強みはある。好奇心と勘さえあれば、以上のようなことはwikipediaで簡単に調べることができるのだし。ただここにある世代的(仮)な断絶をどう捉えたらいいのだろう?

 

流れ、としてではなく、なんらかの形で「歴史」を呼び起こすことはできるのだろうか?

 

まだ何もまとまっていないけれども、未完成のまま、ひとまず以下につらつらと書き残しておきたい。いわゆる「劇評」の形に整形し洗練させることは後からでもできると思うので、ここでは考えるままに書き出していきたい。

 

まず、「心霊写真」とゆう強烈なモチーフがあるので、そこに(観客もパフォーマーも)還っていける構造がとられているとゆうこと。男たちの悪ふざけも、高山玲子の淡々とした語りによって可能になっている。

 

心霊写真技師である父親(宮崎晋太郎が演じている。モデルは危口自身の父だろう)が残した、「本当らしく、それらしく、ありもしないことをもっともらしく……」とゆうセリフの反復。あるいは、一見平凡に見える「先生」が語る、998本の腕を切り取られ、何度も輪廻転生している話であるとか。あるいは、祈り(伏見稲荷)についてとか。ピンポンダッシュは革命なのか?、とか。ラストシーンの集合写真は、涙なしには見られなかった。大写しになる高山玲子の消えた顔は、危口自身の「自画像」でもあるだろう。

 

これが危口統之の遺言だ、と言われても納得するくらいのメッセージがこの作品には込められているのだが、それは演劇というフィクションを通してしか語れないことなのだと思う。彼はポストモダンの時代における「語れなさ」と闘っているように感じた。(『演劇最強論』に書いた「ダークサイド演劇論」とも通底する話として)。

 

というのは、ある個人が意見を持ち、それを交わし合うことでより良い世界が生まれると考えるのが近代(モダン)の夢だったとひとまずは言えると思う。その前提があれば、まあ言いたいことを言えばいい。ところが実際にはそうはならず、個人は分裂し、拡散し、そしてあらゆる意見は別の意見や反論や「いいね!」に飲み込まれていくとゆうポストモダンが常態になった。こうなるともはや、何をどう語っていいのか? 「大きな物語」は80年代にゆるやかに死んでいった。日本人の子供たちの多くは、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を、その本物の演奏やレコードで聞くよりも先に、ファミコンのピコピコしたイミテーションの曲として知ってしまっているのである。シミュラークルの時代。そして今や、そのマリオの曲さえも忘却の彼方である。

 

象徴的なのは井上知子が巫女のような白装束で「仇討ち」について語るシーン。その言葉は(明石竜也の)ダメ出しによって打ち消されて力を奪われていく。今や、何を語っても語らないのとほぼ同じ、とゆう状況。すべては細かい差異や言い換えでしかない。twitterで何かを発言したとしても、わらわらと有象無象の言葉に呑み込まれてしまうだろう。「感想」という名の「個人的な体験の告白」の波に呑み込まれていく。言葉は力を持たない。懸命に生きている人たちを、萎えさせることしかできない。最近のニュースで、40歳を過ぎてもなお現役のテニスプレーヤーとして闘い続けるクルム伊達公子はこう語っている。「日本の観客のため息には、エネルギーを吸い取られる!」。

 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130925-00000040-spnannex-spo

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悪魔のしるしは、前近代(プレモダン)的な語りを召喚することによって、ため息に覆われたこの日本に、なんとか信じるに足る言葉を取り戻そうと試みているようにわたしは感じた。以前どこかで危口統之と、宮本常一の『忘れられた日本人』に登場する対馬の古老について話し合ったことがある。戦後すぐのあの島では、古老たちは、何かを決める会議をすることを、エピソードを物語ることを通してやった。話を語る=聴くという行為とその時間を通して、村の大事な古文書を貸していいかどうか、といった物事の判断を導くのである。とてつもない回り道の末に。……時間がかかる!

 

このポストモダン的な世の中では、そうした回りくどい非効率で迂遠な語りはほぼほぼ不可能になっている。だが演劇はこの不可能性に近いところにある芸術であるようにも思える。いかにも回りくどい表現形式だ。非効率の極み。だがこの迂回を通してしか語れないことがあるのではないか? 

 

演劇は煎じ詰めれば、死んでみせること、にその最大の強みがあるのかもしれない。死んでみせること。あるいは死者が亡霊として蘇ること。悪魔のしるしでは、これまでもしばしば、演出家がゾンビとして舞台に登場した。ではそれは、ただのピンポンダッシュとどう違うのだろうか? 「革命」を安易に口にすることとどう違うのだろうか? 死んでみせることもまた、一種のポーズにすぎないのではないか? 

 

『悪魔としるし』2回目は、そこを意識しながら観た。

 

呼び鈴を実際に(フィクションとして)押すシーンは2回あるのだが、その2回目では、戦車化した昭和天皇(武本拓也)が下手側から舞台上にインサートされてくる。戦車になるのは、彼の将来の夢として作中でも語られていた(軍隊をマッカーサーに奪われたから?)。その戦車化した天皇の車輪に轢かれて、革命家(八木光太郎)はあっさり死んでしまう。だが心霊写真技士の平凡な娘(高山玲子)は、現人神であるところの天皇と記念写真を撮り、そして彼に「後悔はないの?」と尋ね、「あるよ」という回答を引き出していく……。

 

それらも所詮、全ては負け戦であるだろう。だが、まさに作中に現われた賽の河原のように、石を積み上げていくしかない。ここは地獄でもあるのだ。えんえんと石を積んでいく。「1つ積んでは父のため〜」。『悪魔としるし』ではそこまでしか語られないが、この歌は次のように続くのである。「2つ積んでは母のため、3つ積んでは国のため、4つ積んでは何のため……」。3つ積んだら「国のため」として、この地獄の果ての所業でさえも回収されてしまう。国家は強大である。だが4つ積んだら何になるというのか? もしかしたらそこに可能性があるのかもしれない。

 

人間は生きた痕跡を残そうとして(あるいは残すまいとして)必死に生きている。石も積む。たとえインチキな道化の顔をしていたとしても、おそらくはそうなのだろう。

 

……なんの話をしているのか、わからなくなってしまった。

 

あらゆる人間は父と母によって生まれてきている。現在の科学技術においては、まだその再生産の法則はかろうじてキープされていると考えていいだろう。だが鳶が鷹を生む? カエルの子はカエル? どちらの諺が正しいのか。そこに正解はない。正解というものは(まさに作中の「心霊写真の構造分析」で語られているように)、キャプションによっていかようにも付与されうるものなのだから。心霊写真のように、正解はその都度、捏造されていくことだろう。それは、80年代に花開いた、消費文化の要請でもある。人が楽しめればそれでいい? 金が降ってくる。だがそれで幼子が死んでしまうこともある。その時、誰が責任をとればいいのか? これにも正解はない。戦後の日本では、(まずはA級戦犯をはじめとして)その都度の生贄が供されるばかりで、誰も責任なんてとってこなかったのだから。ただ場当たり的な責任がとられる。英霊として讃えられ、祀られる。死人に口なし。死人は美しい。日本人の美徳である。死んだらみんないい人になる。そして無責任な言葉が巷に溢れていく。

 

作中で語られる心霊写真の話は、演劇論のアナロジーでもある。つまりこの『悪魔としるし』は、作中で語られる心霊写真のように、「作品と呼ばれることを後悔するような何か」でもある。「作者の死」。だがそれもまた「痕跡を消す? 聞いて呆れる」と娘によって否定されてしまうのだ。なぜなら作者の痕跡はどうしても、いやおうなく、残ってしまうのだから。痕跡を消そうとする身振りそれ自体が、もはやその作家の作家性を証明してしまっている。いやしかし、とくと考えてみよう。ある人間が生きた痕跡というのは、なんなのか。あらゆるものが記憶され、記述され、だが記述されるのは一部であり、そして多くのものごとは忘却されていく。新しいものどもによって上塗りされ、結果として「現在」だけが残る。では、人間の生きたしるしはどこへ行ったのか。ラストの集合写真で、消えかかった顔として顕れていた彼女は、どこへ行ったのか? そのしるしは過去の「印(sign)」なのだろうか? むしろ、何か未来に向かっての「徴(symptom)」ではないだろうか?

 

日記にしては長くなりすぎたので、この日のアフタートーク「逆襲のショウタ」のゲストだった森翔太の面白さについては割愛したいと思います。

 

 

終わってすぐ、黄金町に戻ってわいわいと飲んだ。若い女の子がなぜか泣いてしまった。今日にかんしてはたぶんわたしのせいではないと思うのだが、慰めようとしてつまらないモノマネなどやってしまった。モノマネって考えてみたら凄い。その場に居ない何かを引用するのだから。死んだ人のそれだって呼び寄せることができる。イタコみたいに。