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BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20130915 夏の終わりの妹

 

夢が、池袋に向かえと告げていたので、台風の恐れはあったけど行ってみる。夢は時々、自分の無意識を露骨に突きつけてくるらしい。とにかく後悔のないように。

 

遊園地再生事業団の『夏の終わりの妹』。今作はボーリング場にも似た5つのレーンの上を、俳優たちが縦移動のみをしながら演じていく。昨秋F/Tで上演されていたイェリネクの『レヒニッツ』にも似て、彼らはどこか素知らぬ顔で、抜け抜けと語っているところがある。その場に生起している「騙り」はどこか信用ならない。インタビュー資格制度、なるものが存在する渋谷区の架空の町が舞台で、沖縄出身の女が、『夏の妹』という映画に感じたわけのわからない感触を知りたくて、その監督である大島渚に話を聴きたいと願い、その資格試験を受けるというストーリー。中盤、試験官のやついいちろうと、女を演じる松村翔子が対峙するあたりから、物語に一気に色彩が与えられていく。そこまでは演者たちのエモーショナルな感情はほぼ排されており、だから、様々な過去の記憶についてえんえん語っているにも関わらず、安易にノスタルジックな感傷をほとんど呼び起こさない。このテンションが見所だったと感じた。泣いたり喚いたりしなくても舞台は成立するのだし、こうやって遠くに行けることもある。

 

舞台が終わった時の余韻が凄かったのでこのまま帰ろうかとも思ったけども、宮沢章夫×岡室美奈子(早稲田大学教授、演劇博物館館長)のアフタートークはやはり聴きたかった。今野勉佐々木守、テレビの可能性についてなどなど。とても興味深い内容。そして岡室さんが、インタビュー資格を取得したというカード(もちろんフィクション)を用意していて、すごく演劇的な仕掛けになっていた。遊び心、大事だなあ。

 

それにしても、大島渚がすでに死去していることを観客の多くは知っているはずで、つまり、インタビューがおそらく不可能であることは予見されている。それでもこの舞台への興味が失われなかったのはなぜだろう? そして「死者にインタビューはできない」という当たり前の不可能性こそが、わたしがインタビュー仕事をしばらく受注しないと決めた最大の理由だとあらためて再確認することになった。死者にインタビューはできないのだ。

 

 

桜井圭介さんが池袋にいるっていうので、西口のふくろで軽く一杯。最近観たあれこれについて話す。それからGsQへ。それについてはもう別の日の日記に書いたのでここでは繰り返さない。終演後に起きたちょっとしたことについても、すでに書いた作家と批評家の違いや、あるいは感想と批評の違いについてを読んでいただければそれでいいかなと思う。批評家は複数の物差しを持っているものだし、どれかひとつの神だけに仕えることはできない……のだと肝に銘じたい。強いていうならば、それもまた一種の信仰ではあるといえばそうかもしれない。神々の世界を眺め、そこにある未だ見ぬ言葉を発見することに命を賭けている、という意味において。