BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20130910 余計なお世話(感想/批評について)

 

パスポート更新手続き。憂鬱だったせいで、証明写真がひどいマヌケ顔になってしまった。10年もこの顔と付き合うのかと思うといささか気が滅入るけども、元々がマヌケなんだから仕方ないよねと諦める。三吉橋、野毛などを渡り歩いて本を読む。『演劇最強論』が早くも書店に並び始めたらしい。あとラモーナ・ツァラヌさんが東京デスロック『シンポジウム』の紹介文を英文でブログにアップしてくれた。辞書を引き引き読みながら、なるほど日本人のメンタリティの中には、「passivity」というものから抜け出そうとする時に及ぼされる影響力を、なんでも「暴力」という言葉で捉えてしまう習性が根深くあるのかもしれないなあ、とあらためて思った。そしてこれは日記としてはフライングだが、この翌日の9月11日に、落雅季子さんが「wonderland」にやはり『シンポジウム』の劇評を書いてくれていて、まさにその問題に言及している。面白いのは、ネットで流れてきた反応のなかに、まさにこの劇評で書かれている通りで自分にはあの体験が受け入れがたいものだった、的な感想が幾つかあり、不思議なのは、では同じ体験をしていると感じながら、どうして落さんはその体験から何かを受肉しようとしており、なのに自分はそうではない、というその差異について考えようとしないのか?、ということだった。あの最終章をいったいどのように読んだのだろう?

 

『シンポジウム』をやってみて早々に(公演の早い時期に)思ったのは、まあ人間は「自分の見たいものしか見ようとしない」よね、ということだった。ある程度わかってはいたことだけれど、あのポジションにいるとけっこういろんなことが「見える」ので、それはなかなかに絶望を進行させる事態ではあった。誰だって大なり小なりそういう側面はあるけれども、批評というのは、ある知性の力を利用して、別のものの見方を喚起し、それによって対象を鋭く捉えるものだと思っていたが、案外そういうふうにもなっていないらしい。「自分のものの見方が実は卑小なものにすぎないかも?」と一度でも省察してみれば、もっと別の体験ができるかもしれないのに、賞賛であれ批判であれ、かなりの数の人が「私」の感じたものという枠組みを強固にもっているらしかった(そういう意味で、いちばん嬉しかったのは、面白かったとか素晴らしかったとか言われるよりも、それがその人の中にどうやら何かを残しているらしくて、それがある程度の時間を経過して何かしらのものを芽生えさす瞬間だった。それは最初否定的な感想を抱いたという人たちでもそうである)。でも、もしかしたら豊かかもしれない別の体験への省察を薦めてみるなんてことも、やっぱり余計なお世話なのかしら? だがそれが、単に個人の好き嫌いや趣味嗜好のレベルで留まるのならばよいのだが、実は「自分の見たいものしか見ようとしない」習性こそが、対話を困難にさせ、建設的な議論を不可能にし、ネット上の「感想」やら「意見」やらの応酬を、互いへの敬意を欠いたゴミ捨て場同然のものに貶めているのではないか、と考えると、これは由々しき事態にも思えてくるのである。(この文章もまた、お前もまたお前の見たいものしか見ていないではないか、という同じ罪を着せられることになるだろうか?)

 

かつて……いやその頃のことをわたしはあまりよく知らないが、かつては公演の「感想」はアンケートに書き込まれるものであり、それはつまり劇団や主宰者に対する「手紙」という側面を持っていたはずだ。つまり宛先があったのだ。しかしネットでは明確な宛先は消失し、ぼんやりとした不特定多数に向けて、何かしらのポーズをとってもってまわった言い回しをすることが「感想」のデフォルトになっている。立川談志風に言うと、二人称ではなく三人称になってしまうのだ(東葛スポーツ『ゴッド☆スピード#ユー』を参照)。昔は牧歌的で良かったとか、だからネットはダメなんだ、などと紋切り型のことをあらためて言うつもりはない。もうそんな言葉は聞き飽きている。そうではなくて、このネットで発言する時のポーズ、つまりは何かを「論じている」かのように見せる「感想」の素振りの中に、何か重大な思い違いはないだろうか?、ということ。

 

エドワード・サイードが『知識人とは何か』の中でたしか述べていたアマチュアリズムとは、「専門家」とされる人たちが特定の業界や組織の利害関係に左右されることに対してのオルタナティブな可能性のことだった。これはさらに遡ればカントの『啓蒙とは何か』とも同根の話であって、つまりカントの考える「公共性」というのは、ある特定の社会的地位にのっとって発言することではない。特定の立場にいるのはむしろ「私人」なのであって、そこから離れた「公人」として発言することではじめて「公共性」は生まれるとカントは考えたのだ。どちらも読み返して正確に引用しようと思ったのだけど、なぜか今手元に本がないのでうろ覚えになってしまう。とりあえずここでわたしが言いたいのは、アマチュアリズムというものは、ある狭い世界の視野を抜け出て、自由な発言を可能にするものとして夢見られたということ。

 

ところが実際にはどうかというと、他人を尊重するという基本原理の共有すらままならない状態のなかで、「自分の見たいものしか見ようとしない」ことの言い訳として「感想」という「個人的で絶対的な体験」を告白するのがアマチュアリズムということになっている。仮に「UFOを見た」と言う人があるとして、たとえそれが思い違いであっても、本人は「だって自分は見たんだもん」という「個人的で絶対的な体験」があるのだから、他人を寄せ付けない(たしかこの例は以前佐々木敦がどこかで挙げていたはず)。そしてその体験をさらに絶対化する伝家の宝刀として持ち出されるのが、「自分はお金を払ってそれを見た」という事実である。相手に対する敬意を持ち合わせる必要なんてない、なぜなら自分はお金という代償を支払ったのだから何を言ってもいい、というわけである。こうなるといよいよ、アマチュアリズムは単なるクレーマーに近づいていくわけで、つまり「受動的な消費者」として何かをはすっぱに見るやり方は、ますます強化されていく。落さんの劇評は、そのことを根底から問い直し、そこを変えていかないと演劇というかそれ以上に日本は本当にいよいよまずいよ?、と警鐘を鳴らすものであったと思うのだが、それもまた余計なお世話として片付けられるのだろうか? では余計なお世話と感じるのはいったい誰なのでしょう。「観客=受動的な消費者であるという特権を許された者」である「私」のこと? ではその「私」はどこに立っているのでしょう。その「私」が「受動的な消費者」のひとりであるとするなら、大多数がやはり「受動的な消費者」であるという事実の中に埋没してもそれでよしとできるのはなぜなのでしょう? それとも「私」はとても知的でエラい人間だから、そうした「受動的な消費者」たちが大勢を占めている日本をはすっぱから見て、たまにそれらしい身振りでもってアリバイ的に「論じて」批判していさえすれば、その知的な雰囲気を保てるとでも思っているのでしょうか? 禅問答です。

 

 

「生きづらいだろう、中道シーゲルよ。そんな人がこの世には無数にいるのだ。まさに羊頭狗肉…。神はお前たちにそこそこ使える分析力理解力だけを与えた。お前たちには優秀な人間になる為の努力や忍耐を行う機会や動機が与えられていないのだ。ある者は大衆の愚かさに目をつむり大衆の世界で暮らし…またある者は特別な技術を習得して社会とのつながりが比較的少ない生活を営み…どちらも難しい者は、苦しみに満ちた日々を数少ない理解者と共に歩んでゆく事になるのだ。おそろしく字だらけになってしまったから1コマ休憩しよう」『香山哲ファウスト〈1〉』 

 

 

 

どうやら知性というものは全く現代では誤解されていて、「論じている」ポーズをとればそれがあるかのように考えられているようだが、まったくもってちゃんちゃらおかしいというか、脈々と受け継がれてきた人間の知性の歴史に対する冒瀆でさえあると思うこともある。もういい加減に、そのようなポーズで「感想」を垂れ流すことがいかに浅はかで恥ずかしいことか、気づいてもよい頃合いではないのか。考えてみてほしい。自分の「感想」がいったいどのような効果を世の中にもたらしているのか。それが芸術にどんな貢献をしたのか。作り手にどのような思いをさせているのか。何かひとつでも良いものをもたらしているのか。一度考えてみてはどうだろうか。OKOK。「私」が言いたいことはよくわかっている。「私」の発言は「自由」ではないかと。批判が許されないような世の中こそ全体主義の温床ではないかと。しかしながら「知性的」であるはずの「私」が、そのような言論の自由のためにいかに先人たちが努力をしてきたか、どんな血や汗や涙が流されてきたかをまったく知らないわけではあるまい。そして芸術の歴史の中で、様々なアーティストたちが、様々な生き方をして、何をつくってきたか、あるいはつくろうと夢見てきたか、そしてそれらがどのように受け止められ、あるいは棄てられていったか、そして埋もれるものと生き残るものは紙一重であったのだという事実を、ただの一度も考えたことがないわけではあるまい。だから何も言うな、ということではない。全然違う。ただもっと感受せよ、と言いたいのである。これは余計なお世話だろう。わたしもそう思う。だが、余計なお世話ではあっても、言い続けていく必要があることだ。そうでなければどこに未来があるというのか。

 

「感想」は素朴でいいのである。人間が何かを見たり触ったりして、「わあ〜」と声をあげることは、ヘレン・ケラーが「水……!」と言った時の興奮にも似て、感動的である。だが「批評」は、そのような感動を内に秘めながらも、単なるその感動の告白とは一線を画すものだ。芸術というものは人間の思考と試行の蓄積の歴史でもあり、それらの受容には、おそらく哲学(思想)と宗教(信仰)が役立ってきた。その両者が失われていくに従って、いやおうなく誕生せざるをえなかったのが「批評」ではないだろうか? そう考えていくと、「批評」とは、神なき世界において、芸術という奇蹟と人間とを繋ぐ回路なのではないか。

 

そうしたことの一切を考えようとせずに、なんとなく「論じている」ポーズによって臆面無く「私」の「感想」を垂れ流せるのが、「受動的な消費者」である。もちろん批判可能性はつねに担保されていたほうがよいから、自由に発言したらいいとはわたしも思うけれども、「私」ではない隣人が同じ場にいて何を考えたであろうか、ということをもう少し観察してみてもいいのではないか、と思う。あまりにも他者への想像力が衰退しすぎている。

 

だがこの「想像力」にもまた新たな罠がある。観察の手前で、数少ない証拠を手がかりに、勝手な想像を張り巡らせる、ということがあるのである。つまり「あの人はきっと楽しんでいない、なぜならむすっとした表情をしているから、そしてそれは演出家が悪い」などという甚だしい勘違いと三段論法的な飛躍を瞬時にしてしまうのである。それは観察とは似て非なるただの妄想であり、他人に対する恐怖のあらわれでしかない。何を考えているか分からない未知なる他者の「顔色を窺う」ことは、未知なる他者の考えを洞察することとは全く異なるのである。シャーロック・ホームズは骨相学の天才であった。探偵に必要なのは洞察力である。あるいは諸葛孔明は戦略の達人だが、彼は風は読むけれども「空気を読む」わけではないのである。洞察力のない想像力はただの妄想にすぎない。結局のところそれでは「自分の見たいものしか見ない」という奴隷状態を抜け出すことはできない。わたしも含めて、人間の持てる知性にはかぎりがあるが、それでもそれをいかに用いていくか、ということをもっと考えてもよいのではないか。そうしないとマズいところにまでいよいよ来ているのではないか。このまま世の中を腐らせてもいいのか。「私」の殻に閉じこもったまま。

 

 

これもまた勘違いしないでほしいのだが、わたしは別に怒っているわけではなくて、ただ少々失望を重ねた結果として慢性的な絶望の病に悩まされているというだけである。便秘のようなものだ。特に鬱というわけでもなく、いやむしろ問題はもっと深刻なので、特効薬もないし、これと付き合っていかざるをえないのだろうけども、それにしてもこれ以上絶望を蔓延させないでいただきたい、という気持ちはある。ある誰かの勇気のある試みが、瞬時に、「私」の「見たいものしか見ない」言葉の群れに呑み込まれていくのは、見ていていささか辛いものがある。俗っぽい言葉でいえば「萎える」。このままでは一億総インポテンツということにもなりかねないし、まずその「萎え」によって芸術家がやる気をなくして口から呪詛の言葉を吐いて滅び、次第に仕事を失った批評家は極貧生活についに耐えきれず筆を折ることになるだろう。そもそも少子高齢化はますます進んでいく。未来はない。いや、もしかしたら、オリンピック開催で単純な喜びを爆発させ、それをもって様々なことを忘却し、見ないフリをすることのできる人間だけが、今後精力的に生殖活動を繰り返し、繁殖していくことができるのかもしれない。「嘘つきは泥棒のはじまり」という慣用句は滅び、「嘘つきは末は博士か大臣か」というおぞましい575が形成されることになるだろう。人間は単純な生き物になっていく。どんどん動物というか、飼い慣らされた家畜に近づいていく。しかし、野生のイノシシもブタと交配してイノブタになれば、爆発的な繁殖力を発揮できるらしいので、そう考えると家畜にもそれなりの価値があるのかもしれない。そもそも肉を提供している。だが誰がそれを食べるというのか? いっぽうで、ものごとを真剣に観察し、何ごとか思考をめぐらせようとする人々は、「特定秘密保護法」などによって引っ捕らえられ、獄中で何年も臭い飯を食わされることになる。その中にはあの家畜の肉も入っているのかもしれない……なんという共喰い……! これも一種のダーウィンの法則なのか。弱肉強食。強い者だけが生き残る。だが人間がそんな野蛮なことでいいのか。果たしてその「進化」は本当に進化と呼べるのか。飼い慣らされた牢獄の中で発揮される生命力は、果たして強さと呼べるのか。単に不味い餌でも我慢して食べられるだけの耐性を得たというだけではないのか?

 

いろいろ引用できなかったので、かわりに渡辺一夫の「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容であるべきか」(1951年)の末尾を引用してこの相変わらずグダグダした日記を終わりにしたい。別に怒ってはいない、ということはこれを読めばわかってもらえるはずだと信じたい。呼びかけたり、挑発したりすることは、関係を絶とうとしているのではなく、橋を架けようとしているのだ。誰か特定の人を貶めたいわけでもない。それならば名指しにする。ただ流れてくる言葉をひょいっと拾ってしまったので(それは避けようもないことだから)、何かを考えたというだけのことである。敵は、誰かではなく、もっとひろく蔓延しているこの時代の空気のようなものだと思う、ひとまずは。いずれもし的確に個人を敵として名指す必要があると感じれば、その時はそうするが、今はその時ではない。まだその必要はない。共通言語のない時代にあって、いかなるところから対話が可能なのか?、ということを探りたいだけなのである。しかしながら、様々な試みがなされているにもかかわらず、橋はすぐに燃やされてしまう。虫が食ってしまう。腐っていく。願いはつねに裏切りに遭遇する。

 

 

 現実には不寛容が厳然として存在する。しかし、我々は、それを激化せしめぬように努力しなければならない。争うべからざることのために争ったということを後になって悟っても、その間に倒れた犠牲は生きかえってはこない。歴史の与える教訓は数々あろうが、我々人間が常に危険な獣であるが故に、それを反省し、我々の作ったものの奴隷や機械にならぬように務めることにより、甫(はじ)めて、人間の進展も幸福も、より少い犠牲によって勝ち取られるだろうということも考えられてよいはずである。歴史は繰返す、と言われる。だからこそ、我々は用心せねばならぬのである。しかし、歴史は繰返すと称して、聖バルトロメオの犠牲を何度も出すべきだと言う人があるならば、またそういう人々の数が多いのであるならば、僕は何も言いたくない。しかし、そんなはずはなかろう。そんな愚劣なことはあるはずはなかろう。また、そうあってはならぬのである。