BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20130909 オリンピックに賛成の反対なのだ

 

元来の怠け者に加えて、いよいよ馬鹿になってしまったか、と思うことがある。「寝れば治る」とか、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」みたいなところが自分にはあって、そういう楽観主義はわたしに残された数少ない美点かもしれないが、同時にそれは、何も積み重ねられない動物的な愚かさであるようにも思うのだ。というのは、以上は、昨日の朝起きて、2020年のオリンピック開催地が東京に決まったことを知り、自分の中になんら高揚する気持ちを感じなかった瞬間に思ったことで、自分はオリンピック誘致に賛成ではないが積極的に反対もしない、とゆうどっちつかずの煮え切らない態度をとってきたのだが、ここまで意気が上がらないとなると、むしろきっちり反対の声をあげたほうが良かったのかもしれん、と感じ、昨年12月の自民党が圧勝した衆院選挙の時、もっと自民党ヤバイよとちゃんと声を挙げておけば良かったと著しく後悔したことを思い出した。もちろんそんな声は小さな小さなものにすぎないのだとしても。

 

安倍総理が最終プレゼンで、「the situation is under control」と手振りを交えて語ったことは、誘致賛成派の多くの人でさえも「嘘」って思ったことだろう。それをこぞって、あのプレゼンが決め手だったとか、賞賛している国内外の空気に、おぞましいものを感じる。日本はほんとに年々どんどんひどい国になっているが、とうとう「嘘つき」の称号まで手に入れてしまった。国をあげての大嘘が、日本人のメンタリティに今後どのような影響を及ぼしていくかと考えると、気が狂いそうになるので、いったんは考えないことにする。それよりもまずは今の話。汚染水の問題よりもオリンピック招致のほうが優先される論理に、それでも東京オリンピックが開催されれば政府もちゃんとやるだろう、などと当てずっぽうな信頼を日本人の何割かはかけているようだが、隠蔽と怠惰と欺瞞ばかりを繰り返してきた日本政府という存在(それは民主党も自民党も)に、まだ期待をかけているというこの事態は、植木等的なあっけらかんとした無責任の楽観主義で素晴らしいね、などと言って笑っていられることなのかどうか。とりあえず安倍政権は、国際社会に認められたリーダーシップ、だとか、アベノミクスでオリンピック特需、だとかの正統性を確保したとほくそ笑んでいるだろうし、多くの日本人が、楽観主義でもって「がんばろう日本」などと考えるだろうから、まあしばらくは現体制が続いていくとゆうことになるのだろう。その中で、虎視眈々と自衛隊を軍隊にしたがっている安全保障の専門家を称する人々が、「国際社会の一員としての義務」などと紋切り型を繰り返し、この印籠が目にはいらぬかと、さかんにそれを提唱してリフレインすることになるだろうし、そこにうっかり「日本人の誇り」などというものを重ねてしまう日本国民も少なくないのだろう、と思うとかなしい気持ちにもなってくる。だいたい、プレゼンの場で英語やフランス語を喋らなければならないとゆうことが、どういうことなのか。それで日本人も立派になったなあ、などと考えるメンタリティがどこからきているのか。それは鬱屈した極東の島国のコンプレックスではないのか。もちろん通訳を介せば意図がねじまげられてしまう可能性はあるが、それはそもそも英語やフランス語で喋ったところで同じではあるだろう。母語ではないのだから。慣れない外国語を喋ると、考えが大雑把になるし、気も大きくなるから、国際社会に向けて大嘘をぶっこくにあたっては勇気を得る結果になったかもしれない。(まあスピーチライターもいるでしょうが。)

 

オリンピック招致反対派にも、それぞれの考え方や論理があって、様々である。その中には外国人が来ると治安が悪くなる、という意見もあって、それを見るとなんだかとてもかなしくなる。確かに通りすがりの旅行者たちの中には、マナーが好ましくない人間もいるだろうし、イングランドのフーリガンみたいなどうしようもない暴れん坊どももいるかもしれないが、わたしとしては、おおむねホスピタリティをもって迎えたいと思うし、もっといえば、日本人も外国人もないような世界が、最終的には理想だとも考えている。ただそれは最終的にはであって、おそらくわたしが生きているあいだにはそこまで国籍が融解することはないだろうし、とりあえずは、例えばこの横浜のとある界隈のように、多民族が共生しているようなコミュニティが、ヘイトスピーチなどという非人間的な排他主義に屈することなく、存続し、ゆるやかにひろがってくれればいいと願うばかりだ。「我々」はどうして「我々」なのか。どうして何かを排除せずにいられないのか。そうしないと保てないような脆弱なものに、「誇り」などというものを感じようとするメンタリティは、いったい誰に教え込まれたものなのか。

 

東京がどうなろうと知ったことじゃない、などと嘯いてみせながらも、実際には東京で仕事もしているし、なにしろ20年以上も住んだ場所だから、それなりには愛着を持っている。様々な場所を歩いた。好きな町もある。そこで恋もした。東京とはつまりは恋愛であった。が、オリンピックに向けて進んでいくであろう再開発の中で、何がどう変わっていくだろうか。何でも反対、というメンタリティはわたしの中にはないし、下北沢もすっかり様変わりしつつある今となっては、現在ある東京の風景の中に、どうしてもこれだけは残してほしい、というものはわたしの中にはもはやなくなっている。いや強いていえばムサビの前にある玉川上水の遊歩道だが、あれも新しい道路で分断され、果たしてどうなっていくことか。おそらくは古くなって危険といわれている首都高がこの7年で大々的に改築されていくことになるだろうし、その波の中で、東京の下町的な良さが消えないといいなとは思うけども、それも所詮はノスタルジーにすぎない甘い考えか。谷根千のあたりは「テーマパーク」として残されるかもしれない。とりあえずホームレスは叩き出される可能性が高まるだろうが、彼らはではどこにいくだろう。いよいよスラムとかゲットーとかいったことが現実の未来として見えつつある。囲い込まれた貧民街。これを言うと反感を招くかもしれないが、寿町などにいくと、そうした未来を見ているような気がして、わたしはつらい気持ちになるのである。そういえば最近、近所のおっさんが借金をつくったまま夜逃げしたらしい。何度か飲み屋で見かけたことがある人で、酒とギャンブルに溺れてはいたけれど、ほんとは気の優しい小心者なのだろう、と感じた。人間の生きやすさ、生きがたさとはなんなのか。繊細な心の持ち主ほど、この社会から落伍していくのではないのか。いったいこの社会は何を求めているのだろうか。

 

反対なら反対といえばよかった、などと言いながら、こんなグダグダしたことを書いていては話にならんわ、とみずから失笑せざるをえない。しかし賛成も反対も、それが誰かを排他的に攻撃するものであるとするならば、どっちつかずで日和見主義のさらなる少数派としてつまはじき者にされるとしても、のらりくらりと観察する皮肉屋であるほうが、まだしも自分の中のかすかに残っているヒューマニズムに即して行動できるもしれないと思っている節がある。きっとこれから、オリンピックへ向けた動きが加速する中で、嘘と隠蔽にまみれた「復興」と称するものが進行し、実際には汚染と殺人が進行し、そこに乗らない、乗れない人間は、空気を読めないだとか、水をさすだとか、ダサいとかキモイとか生理的に受け付けないだとかいわれ、あるいはひどい場合には公然と「非国民」などといわれて、蔑まれる、などということが、オトナの世界からコドモの教室の片隅にいたるまで、様々な場所で進行していくことになるだろう。オトナの世界の歪みや欺瞞は、まわりまわってコドモの世界にまで影響してしまうものなのだ。息苦しい状況の中で、繊細で豊かな感受性をもった素晴らしいコドモたちがその才能にフタをされないことを願いたいし、フタなんてしなくていいんだよ、とゆうことはことあるごとに言っていきたい。それが芸術にたずさわる者の使命だと思っているから。「非国民」上等である。しかし世界が壊れればいいとは思っていない。たくさんの貴重な、ひとりひとりの生命が、すこやかに生きられるとしたら、それはどんな社会であるだろうか。芸術は果たして何ができるだろうか。そして言葉はどのように使われるだろうか。

 

オリンピック開催で良いことがあるとしたら、それは1964年のオリンピックという伝説と、「あの時代」へのノスタルジーに、トドメをさせるかもしれないとゆうこと。新しい歴史が刻まれるのだから、もういよいよ世代交代もして、この手で新しい時を刻むのだ、という感じになってほしい。などと書くそばから、いやいやそんな意気のあがる感じはあんまりしないなと打ち消す声も自分の中から聞こえてくる。それでも例えば知り合いのデザイナーなどが、オリンピックに向けて行われていく東京の刷新に手を貸していく可能性は十二分にあるし、それは喜ばしいことだと思うし、わたしとしても対岸の火事として安穏と見ていられるとはかぎらない。とにかく見極めよう。何に従って行動していけばよいか。楽観主義と悲観主義のあいだで、いかに舵をとるかがこれからの7年のカギかなと思う。7年、というモラトリアムの数字をことさら意識する必要はないのかもしれないが、実は7年後にわたしは43歳で、その数字に驚くというか慄いてしまうのだが、その年齢にかんしては思うところがあって、ある人々に最初に会った時、その人々の年齢が確か43だった。わたしはそもそも同年代という意識が希薄で、それは12歳で一人暮らしを始めてしまったり、2浪したりしたせいで、だから同い年の友達はそもそも超少ないし、何歳の時に誰がどうだったからそれと比較する、みたいなメンタリティはほぼ皆無なまま、のらりくらりと、だがそれなりにというかかなり波乱の人生を歩んできてしまったのだが、とにかく43の時までには、ある程度自分として納得できるところにまで行っていたい、という気持ちがある。それは社会的な地位や成功についてではなくて、自分の中の知的状態についてである。それが彼らを超えていたい、という意味でもない。比較には意味がない。世代も時代も違うのだ。それをいったら過去の死んだ連中のことも意識しているし、それでも比較ではない。比較ということ自体の先にいっていたい。バカボンのバパが41歳だから、なんとそこにプラス2年もあるのである。バカボンのパパが2年も経つとどうなるのか、想像もつかないが、強いていうならライバルは彼かもしれない。これは冗談のような本気ではあって、だから反対の賛成なのだ。

 

おそらくこれから日本は、ある種の決断主義の変奏として、きっぱりした言葉が横行していくことになるだろう。それがまともな意見の応酬であり、コミュニケーションであり、交通であるのなら、それは必要だと思うし、わたしも時には使っていきたい。いちおうこんな支離滅裂な文章ではなくて、もうちっと論理的な文章を書いたり、喋ったりもできるはずだから。「国語」は小さい時から大の得意だったし、オトナになってからもそれなりの年月、それを仕事にしてきたのである。まあ多少の自負と経験値はある。だけどしかし、きっばりした言葉だけが横行していくようでは、それはキツイのだ。ある言葉は、選択だ。つまり排除なのだ。必ず何かを切り捨てていく。その明快さに惹かれることもあるけれど、そこからこぼれ落ちたものも感受しておきたい。夜逃げしたおっさん。みずから死を選んだあの人。謎の死因で、異国の地で命を終えたあの人。たぶん最後は静かにぽつねんとこの世を去ったあの人。いや人間にかぎらないのだが、とにかく、様々なものは忘れられていくし、それは、繋がりがはっきりと可視化される社会にあってはますますそうなるだろう。ケータイが普及してから電話番号をおぼえる能力や習慣が人間からはあっという間に抜け落ちたが、おそらくは繋がりが可視化されるようなソーシャルメディアの時代にあっては、目に見えない存在を感受する力が衰退しているのではないか。しかし、いつのまにかあの人は姿を消しているのだ。繋がれているのは元気な人たちだけだ。ある日、あの夜、あああの人は死んだんだよ、という話を、じゃっかんの悪口と共に聞かされるほど辛いことはない。死者を美化する必要はまるでないけれども、いったい誰が彼女のことをわかっていたというのか。もちろんわたしもわかっていない。なぜなら、聞こうとしなかったのだから。彼女の言葉を。現代人は他人の声に耳を傾けているほど暇ではないのである。だが本当にそうなのか?

 

 

……以上を起き抜けに寝床の中でiPhoneで書いて、我ながらひどいものを書いたもんだと思うけれども、まあそれが日記というものだろう。この日は、いつもの喫茶店に行き、しばらく仕事をした後、GsQについての長いブリコメンドを書いたせいで、まるでブリコメンドしか書いていなかったのではないか、つまりお金にならない仕事しかしなかったのではないか、という考えに一瞬襲われたけれども、よくよく冷静に振り返ってみたらそうでもなかったし、まあいいか、と思って赤ちょうちんにフラッと入って、なるほどこのへんでは、ホッピーを頼むと「氷を入れますか?」と訊かれるらしく、それは横須賀の三冷ホッピーの文化圏なのかな、などと考えながら、京急の3つの駅でそれぞれハシゴをしてしまった。ひとりで酔っていると、つい要らんことをtwitterで呟いてしまうもので、それは寂しさの現われなどという幼稚な現象として、単に、片付けていいものなのかどうか。おそらく今わたしの中にはある種の憤りのようなものがあって、しかしそれを公然と「怒り」という形で噴出させることがけっしていいとは思っていなくて、だからある意味ではそれを押し殺しているのだが、とはいえ、それは静かに内爆はしているのであって、それが時々、酔った勢いなどというお世辞にも好ましいとは言えない形で、噴出しているのかもしれない。と思うのと同時に、やはり本を書いたということもきっと大きくて、ある人によれば、わたしの文体に変化が見られるらしいのだが、それをうっすらと自覚しているようでもあるし、自覚していないようでもある。というのは、言葉はもちろん、書いた人間がいるのであって、それは言うまでもなくわたしなのだが、出て来るそばから、そこで吐き出された言葉が、まるで自分のもののようには思えないのである。それは、喋っていてもそうだし、書いていてもそうで、というか、喋り言葉と書き言葉が、このところはかなり近接しているようにも感じる。といっても、書き言葉のほうが、今自分の中では優位を占めているとは思っているのだが。ともあれ、そうやってまるで他人事のように言葉が吐き出されていくと、自分自身はまるで幽霊のような気持ちでそれを眺めているのだが、しかし歴然としてその言葉がわたしのものである以上、喋った/書いたからこその責任は生じるのであって、そのことが気持ち悪いというか、面白がっている、という節はある。ただ面白がっているとはいっても、状況はかなり悲観的だし、絶望はひたひたと進行しているのだけれども、もうなんだか、絶望も希望もそう変わりはしないなという気分に最近はなっている。まあこういう種類の文章が、最初から最後までいちおうちゃんと読まれ、つまりはそれくらいには落ち着いた時間を人々が持っており、そして揚げ足取り的、脊髄反射的に一部分だけをとりあげて攻撃される、などということがなくなれば、多少は明るい未来もやってくるのかもしれない。だがそんな時間はどこにあるだろう。

 

 

 

 

 

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