20130703 日常とは
稽古場に着くなり、佐山さんの「行こう行こう!」のひと声でいわきに行くことが決定した。佐山さんの自由っぷりはなかなか凄いなと最近思っている。ともかく、10人乗りのレンタカーで一路、東北へ。最初はみんなだいぶはしゃいでいたけれど、いわきに着いたあたりから少し緊張感が漂い始めた。
1年半ぶりに訪れたいわき総合高校では、電光掲示板で今日の線量が表示されていた。0.133マイクロシーベルト。雨が降っている。高校生たちが「こんにちわー」と元気よく挨拶をしてくれるのがとても印象的。いしいみちこ先生と、去年から勤務されているサイトウ先生にご挨拶して、コーヒーをいただきながら少し談笑する。
いしいみちこ先生のことはずいぶん前から存じ上げていたので、やっと会えた、という気持ち。と同時に(ネガティブな意味ではなく)ついに会ってしまった、という感じも。直接お話を伺う中で、様々な複雑な事情がニュアンスとして伝わってくる。ただそれは知識として「わかる」ということでもなく、むしろ「わからない」領域は増大してしまったと思う。先生の話を通して、いわき、という町がわたしにとってまったくの無関係なものではなくなってしまったようにも感じる。放射能のことを話す時、自分の身体がこわばるのがわかる。
先生たちとお別れして(見えなくなるまで手を振ってくださった)、Jヴィレッジを目指す。そしてさらにその先へ。20km圏内に突入する。規制が緩和されてずいぶん入れるようになっている。ここに住んでいた人たちには申し訳ない気持ちになるけれど、これこそ廃墟だな……と思ってしまった。いやおうなくタルコフスキーの『ストーカー』を思い出してしまう。ここには日常というものがまるでなかった。
しかし、さっき先生の話を聴いたからだろうか。この場所に戻りたい、家に帰りたい、と思う人の気持ちのことも、少し考えた。
辺りがだんだん暗くなってきて、頼れるのは車のヘッドライトのみ。遠くに信号機の灯りが見えるだけでも安心してしまう。雨は相変わらず降っている。どれくらいの放射線を含んでいるのだろう。TJはガイガーカウンターを持っているそうだがこの日は忘れてしまったらしい。代わりに間野ちゃんが、この付近の3月時点での線量をネットで調べて報告してくれたが、その数値は最大でさっきのいわき総合高校の100倍に達していた。とはいえ数字を聴いても現実感はまるでない。誰にも、それが現実におよぼす影響の全貌はわからないのだから。
急に、恐怖を感じ始めた。自分たちは、やばいところまで入りすぎてしまったのではないだろうか? そうだ、マスクを持っていたはず……。スギちゃんが全員に配ってくれた。エアコンを止める。気持ち悪くなってきた。自分の身が放射線に冒されることの恐怖もあるけども、何かもっと別の、どうしてこんな場所が生まれてしまったのかというその圧倒的に巨大な闇だとか、この車に乗っている女性たちの身体の心配だとか、何かいろいろなこと……よくわからない。ひとりだったら、泣くか吐くかしていたと思う。
いっぽうで、好奇心なのか使命感なのか、よくわからないまま、可能なかぎりのところまで行ってみたいとも思っていた。このままフクイチまで到達してしまうのではないか、と思われたところで検問に止められた。ここから先は通行証が必要とのこと。彼らはマスクに雨合羽だけという頼りない装備でこの雨の中を仕事している。給料は果たしてどれくらいなのか。この人たちの子供がいわきの学校に通っている可能性だって大いにある。その直後に、愛知県警のパトカーが追ってきて職務質問を受ける。わりとフレンドリーなその警官はマスクすらしていなかった。
首都高で、スカイツリーと夜景が漠然とひろがるのを見た時、ホッとすると同時になんだか虚無的な気持ちにもなった。東京はあの立ち入り禁止区域と地続きだった。そういえば最近、虚無、ということをあまり考えていなかった。