BricolaQ Blog (diary)

BricolaQ(http://bricolaq.com/)の日記 by 藤原ちから

20130611 正体不明の疲れのせいで

 

やはり起きたら体調は最悪であった。でも、チューニングしていく。金沢八景のいつもの店に行って、昨日いったん書いた「ele-king」の原稿を仕上げて送信。季刊ペースだけど、もう2年半も書かせてもらっている。ありがたい。今回は木ノ下歌舞伎の『黒塚』について書いた。あの作品は、いわゆるアクチュアリティという意味での批評性はないと思うのだが、それにもかかわらずなぜ凄いと感じたのか、という観点から。もちろん俳優・武谷公雄についても。書いているうちに発見があった。まだ編集部チェックは通ってないけども、自分としてはひとつ視野がひらけた感じ。

 

 

夕方、今夜夜行バスで西へ帰るという某劇団主宰から新宿で呑みまへんかという電話があって、あー、元気だったらいくわー、また連絡するー、みたいな感じで答えたけど、まるで貧血状態……。とりあえず弘明寺まで出て温泉銭湯に入ってみたけど、やっぱ全然アカンかったので、新宿行きは断念してそのまま仮眠室で眠って体力の回復を待った。

 

そしてファミレスに移動。貧血の原因は、たぶん低気圧と、夜なべだと思う。なんとかあと一週間くらいでこの夜な夜な原稿書く生活にも区切りをつけたい。東京デスロック『シンポジウム』の稽古も始まっているし。ただ、わたしが合流するのはもう少しあと。めっちゃ楽しみや。せっかくなので、いちおう筋トレとかやっておこうと思う(そういうことを求められてない気もするけど)。

 

 

以下、全然関係ないけど、なんとなく引用。 

 

 

ところがわたしは、はじめて本当の恐怖を知る。ベッドに身を投げ出し、あれこれと思いあぐねたすえに、心をきめる。今後、あの人については、なにひとつ占有を望むまい。

(…)

占有願望は断ち切られなければならない——ただし、非・占有願望の方も、相手に悟られてはならない——献身などありはしないのだ。わたしは、この激しい情熱のたかまりを、「退化した生、死の願望、大いなる倦怠」などに置きかえたくない。N・V・S(引用者註:非・占有願望 non-vouloir-saisir)は善意の側にはない。それは激しくそっけないものである。

(…)

わたしはあの人を断念したふりをする。しかし、あいもかわらず(秘かにではあるが)あの人を征服しようと欲しているのではないか。わたしが遠ざかるのは、より確実にあの人を捉えんがためではないのか。

(…)

最後の罠。一切の占有願望を断念することでわたしは、自分に「善きイメージ」を与える。そしてこのイメージに興奮し、うっとりとなる。わたしは恋愛体系の外へ出るわけではないのだ。

(…)

N・V・Sが「想像界」の体系から切り離されてあるためには、このわたしが、どこかしら言語の外部へ、無力性のただ中へと、おちこんでゆく(なにやら正体不明の疲れのせいで)のでなければならない。いわば、ごく単純に、すわりこんでしまうのでなければならぬのだ。

(…)

(あの人より)来たるものは来たらしめ、(あの人より)去りゆくものは去らしめる。なにひとつ占有せず、なにひとつ排除せず、受け入れて保持せず、産み出してわがものとせず……

 (…)

したがって、非・占有願望は、このようにいたってきわどい運動を通じて、たえず欲望をそそぎこまれているのだ。わたしの脳裏には愛しています je t'aime がある。しかしわたしは、それを唇の裏側に封じこめておく。わたしは発語しない。もはやあの人ではない者に、いまだあの人ではない者に、沈黙のままに言うのだ、わたしはあなたを愛することを堪えているのです、と。

 

ニーチェの強調、「もはや祈らずして祝福せよ」。ある神秘家の強調、「この上なく上等で、美味で、この上なく酔いをさそう酒よ。疲れ果てた魂は飲まずしてこれに酔う。自由にして酔いし魂よ。忘却の魂、忘れられし魂、飲まぬもの、ついに飲むことのないものに酔いし魂よ」。

         ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』

 

  

やれやれ。まったくきわどい運動だこと。しかし、正体不明の疲れに襲われているのは、たぶん良い兆候。